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3月, 2022の投稿を表示しています

法四依

 法四依  法に拠りて、人に依らざるべからず。  義に依りて、語に依らざるべからず。  智に依りて、識に依らざるべからず。  了義教に依りて、不了義に依らざるべからず。  そういえば、わたしはよく人の言葉尻をつかん で反論する。 知識や感覚に頼って、自分なりの判断を妥当と決めつける。 反省しきり。 職場に不登校の子を持つ親がいたので、この言葉を伝えた。 希望の光を失うと生きる意味を見失う 価値観にしばられていると、それ以外はダメと決めつけてやる気を失う。 超一流進学校を落ち、進学校に入学した息子さんは、 勉強するのは嫌だった、こんなふう(不登校)にしたのはお父さんだ!とやる気を失った。 自分に起きた理不尽と思えることは、他人や言葉や環境や社会制度や規則に依るものではない。 過度に親に依存するでなく、よく整えた己を依るべにして、たくましく生きようと気づいて欲しい。  

自観法

痩せこけ犬 あの当時は痩せこけていた、思い出しただけで胃がきゅんとなり、鉛でも飲み込んだ気分になった。今となっては痩せていたと周りにいうだけで、またまた?という感じだが。 その当時のことを忘れてしまったのでも、気にしなくなったのではない。記憶は鮮明にあり(逆によく思い出せる)、教訓というか今の自分の糧となった。あのことが無ければ、延々と同じことを繰り返していたかもしれない。 ロングツーリング 自証分を見出そうとしたのは、バイクで竜飛崎まで600km、仕事を終えた後、ロングツーリングに出かけた時だ。 出発直後、後ろのタイアに釘が刺さりパンクし、出鼻をくじかれたが、丁度、バイク屋の前だった。このパンクが無ければ、行きから相当飛ばしていた、多分。 安達太良PAで小休止した後は、バーストは無いと勝手に踏んで飛ばした。 高速道路のつなぎ目は、高速だからとバネを少し締めたせいか後ろが少しだけ跳ね気味で、 タイヤ半分ぐらい外側に飛ばされる。(荷物も積んでいるし、リアヘビー) 早くバイクを寝かせるために、ほんの僅かにハンドルをコーナーと逆向きに押す。 すっと倒れてくれるけど、前輪も跳ねて暴れてくるようならやめておく。 ホンダはもうついてこない。カワサキはしっかりついてくる。 同行のカワサキ900とホンダ750からなんでそんなに飛ばすと聞かれたが、 新調したチタンマフラーを焼いているんだよと笑って答えた。 こちらは、証自証分の実践中なので、危険な状況はしっかりと把握しつつもそれに付随する恐怖感に乏しいので、怖くないというより、内観の静けさに集中していた。 通勤途中の車の中も相当いい感じだが、バイクもヘルメットの閉塞感と生身で高速移動している実感が相まって、なんとも乙だ、これが。 竜飛から戻ると胃が痛くなる事をかなりすっきりと整理というか、受け入れることができた気がした。 もうその事で思い悩むことはなかった。 なるべくして成ったと腑に落ちた。  

ラジオを聞きました

こころの時代 随分と前に、ラジオを聞いた。朝と言っても早朝4時ごろ、NHKのラジオ第一 で「こころの時代「園長先生のひとりごと」幼稚園園長…小塩節さんを聞いた。ラジオを聞くでもなしに流していると、「茗荷谷」「御茶ノ水女子大」と懐かしい地名が聞こえてきた。小学校の頃、御茶ノ水女子大近くの教育センターへ理科の実験授業の為に通っていた。大学の前に上品な老夫婦(英国調)がやっておられたパン屋というか喫茶店というか今で言うオープンカフェがあった。そこでホットドックとコーヒー(MJBのグリーン缶)を頂くのが楽しみでよく通っていた。(なんと生意気な小学生でしょう)懐かしさも手伝って少し聞き入っていると、乳児に胃潰瘍があるとドイツ文学者が語っていたのを興味深く聞いた。なぜ、乳児に胃潰瘍でできるかと言うと、口腔内のピロリ菌の関与とストレスが原因だそうで、乳児の時の記憶に乏しい私は、乳児がストレスを感じていることに少し驚いた。 カンガルーケア 保育器に入れられている乳児は、外界と隔離されている為ストレスで胃潰瘍できる。母体にいた時は羊水に守られ、いつも母親の心音が聞こえていたのに、体内環境と大きく異なる保育器に入れられ、それがストレスになり胃潰瘍ができる。薬物療法も試みられているが、乳幼児の薬量は難しく治療効果も上がらなかったところ、画期的な療法がここ数年で確立されたと話していた。それが、「カンガルー療法」で授乳時にただ栄養として母乳を与えるのではなく、子供を母親のお腹の上にのせ(カンガルー療法の名の由来)、皮膚を密着させ肌の温もりを伝え、心音を聞かせ、乳児に語りかけることによって胃潰瘍の治癒率がアップしたそうだ。ああ、やっぱりなという感じだ。人の温もりはホッとさせるものがある。こうした交流が安心感を熟成していくのだろう。こうした温もりを感じることができなかったサイレント・ベビーは長じてコニュニケーションの問題を抱えると言われている。 女性らしさ カンガルーケア  

人の鑑

増田先生 小学校の卒業の寄せ書きに担任の増田先生が「人の鑑となってください」 と書いて下さいました。 増田先生は字がお上手で、まるで書家のような凛とした立派な字を書いていました。そして、悪いことをしたら、殴りつけるような厳しさがありました。たまに悪いことをする私は、もちろん殴られていました。 理科の時間、5・6年生は専門の理科教諭が教えていましたから、おそらく4年生の頃だったと思います。 観察 授業でチェーンを使っている場所や仕組みを皆であげていました。 自転車。オートバイ・チェーンソウ等々一通り上がったあと、私が上下に動く黒板に使われていることをあげました。 その教室で使われていた黒板は上下にスライドする黒板で、歯車とチェーンで上下に移動させるものでした。 その時、先生は思いがけず(だから憶えています)、私の観察する姿勢について少し時間を割いて褒めて下さいました。 叱られることはあっても、あまり褒めらたことのない私は気恥ずかしさで居所がありませんでした。 推薦 増田先生は、区の教育センターで行われていた理科の実験授業の3名の推薦枠に、ずば抜けた成績でもない私を推して下さいました。 土曜の午後に行われるその特別研究授業は、予算・時間の都合等で全就学児童向けにはできない「考える理科実験」が行われ、 理科の楽しさに触れることができ、貴重な体験となりました。 増田先生は生徒のことをよく観て下さいました。 増田先生有難うございます。 おかげ様で理科が大好きになり、生活の糧となりました。 維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆  

行者然とした男

おもしろい男 その昔、長い髭を貯えた外見はいかにも修行者然とした人と話をしたことがあった。 話上手で知識も豊富、思い切りも良く、おもしろい男だった。 「あなたは私だけど、私はあなたではない。 この理解がないと、これ以上君と話しても意味がない。」 とその人は言った。 私は、屁理屈は嫌いじゃないので、適当に 「はじめの「あなたや私」と次の「あなたや私」って言葉は同じだけども、違う概念では? 先の「あなたや私」は汎神論的な「あなたや私」で、 次の「あなたや私」は自他の別をつけた「あなたや私」じゃないの? 私と話す意味がないと思ったのか、その男は二度とその話をしなかった。 また、話をする機会もなくなった。 滝行 別の機会に山峡の滝場でその男を見た時、本当のところは分からないが、 他の人たちとなんら変わりがないように見えた。 いや、むしろへなちょこに見えた。 シロクマさんのように寒さに強いかどうかということではなく、 立ち居振る舞いが、「あっ、この人は」という人と全く違っていた。 実は凄い人かもと期待していたので、がっかりしたことがあった。 別の意味で、人は見かけによらないと思った。 本当に凄い人 維摩会 春秋館で本当に凄いと感じる人は、行に向かう姿勢、覚悟が全く違うように思う。 それは、日常生活の行いにも云えることかもしれない。 そうじゃないな、日常を行に高めらる人だからこそ、凄いと感じさせるのだと思う。  

舌を動かさなくなると二年後にフレイル(虚弱)のおそれ

フレイル 日常生活が自分でできる状態と介護を要する状態の中間をフレイル(虚弱)という。 いろいろと要因はあると思うが、基本は、心と体が動かさなくなること。 外の人との話さなくなる、外に出ないで歩かなくなる。 家事、掃除洗濯などしなくなる。 いろいろことに興味を持たず、知ろうとしなくなった。偏食、低栄養になるなど。 禅寺の雑巾がけ そういえば、学校で雑巾がけをしなくなった。 禅寺に座禅に行った時、僧侶に雑巾がけを教わった。 凄い大股で端から端へと拭きながら後ろに移動していく。 さすが、作務。結構な運動量だった。脱線(笑) 日常生活の自立が難しくなってくるフレイルと、舌の動きが鈍くなってくることに関係がるということだそうだ。 舌が動かなくなって来たら、いよいよ、心と身体が弱ってきていると自覚し、改善に向けて動くように自分を変え、そうなる前に軌道修正しようということ。 岡山大学の研究   2 年にわたり追跡し舌背部の細菌数、口腔内湿度、舌圧、咬合力、咀嚼能力、オーラルディアドコキネシス( ODK )などを評価した。舌と唇の運動を評価する ODK は、「パ(唇の運動機能)」「タ(舌の前方の運動機能)」「カ(舌の後方の運動機能)」をそれぞれ 5 秒間発音してもらい、 1 秒当たりの平均回数を測定し評価した。 2 年後に、国立長寿医療研究センターの日本語版フレイル基準によりフレイルを判定した。 連続した「タ」の発音回数が少ないとフレイルに   2 年後にフレイルと判定された患者は 97 例中 34 例だった。健康な患者を対照群( 63 例)としフレイル群と比較したところ、 ODK の「タ」の 1 秒当たりの平均回数は対照群の 6.3 回に対し、フレイル群では 5.8 回、同様に「カ」は 5.9 回に対し 5.5 回と、いずれも有意に少なかった(順に P = 0.027 、 P = 0.032 )。「パ」には両群で有意差はなかった。 「詳細メカニズムは未解明だが、コミュニケーション障害や栄養不足によりフレイルに至る可能性がある。舌の動かし方を訓練することで舌の運動機能は維持・改善できるとされるため、フレイル予防につながるだろう」 とのことだ。 家族や友人とよく喋り、皆の世話をやき、世話をされ、しっかり歩こう。 よく噛むことも大事、咬筋郡の動きや、噛む時の咬合圧が歯根膜を刺激し、ポ

日本人

反捕鯨という反日活動 海外でぶらぶらしていた二十歳の頃、社会に対して帰属感は乏しかった。 その昔、捕鯨反対というか、反日の流れで、 大学のホールに反捕鯨の垂れ幕が掛かった。  何で日本は鯨を捕るのだと言われると普段は意識していなくても 、その時ばかりは「日本人」になった。  鯨肉は日本の食文化であり重要なたんぱく源だ。食料だけでなく他にも利用している。 鯨がかわいそうだと言われると食牛はかわいそうではないのか。 あれは元々食料として育てられているからいいのだ。 それは、エゴイズムだ。 鯨は絶滅が危惧されている。(当時はそういう認識) バッファローを絶滅に追いやった米国人が何を言う。ネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)のことを「いいインデアンは死んインデアン」と言っていたではないか。拙い英語で熱く語ってやった。なにか日本を背負って立つみたいな意識だった。 ジャイアントロボ ハウスシェアしているところに帰ると、テレビでアメフトを見ていたマテューが 私の顔を見るなりチャンネルを回し、「ジャイアント・ロボ」を指して、 「この少年は海から出てきたばかりなのに髪が濡れていない、変だ」と言いがかりをつける。 興味なさげに私がそれは昔の子供向けの番組だからさぁと言うと、 そんなことないこれは最新の日本のテレビシリーズだと言いはる。 アームレスリング その男、高校時代にテニスで鳴らしていてテニスで大学に入れたと豪語していたので、 腕力には自信ありそうなので、アームレスリング(腕相撲)をしてみるかと誘い、負かしてやった。 そうしたら、その男、レスリング部のマッチョな豪腕をつれて来た。私の完敗。 けど、懐っこく、よくサーフィンに誘ってくれた、いい奴だ。 日本人として自覚に乏しいのなら、海外で生活してみるといい。  きっと日本人ということを自覚させられる。 

長距離通勤者の憂鬱

W124  かなりの距離を車で通勤している。 毎日の事だったので、車体がしっかりとしたトルクのある車に乗っていた。 昔は、今のように172円/Lとかではなく、100円を切っていた。 そこからさらに私は石油系カードで割引きという事もあり、 あまり燃費とか気にしていなかった。 しかし、年間の車の維持費がなんと手取りの月収を超えてた。 家内はパートの年収が消えるとがっかり。  職場からは最大枠の交通費が支給されていたが、 高速代を入れると足が出る。 家内は電車にすればと言うが、電車3路線とバス(田舎のバスは来ない)を乗り継ぐと2時間は超える。 往復で4時間超になる。 時間がもったいないということよりも運転が好きなので電車通勤はない。 BMWのストレート6 もよかったけど、 W124 は、操作系が私の感覚と合っており、邪魔をしてくるところが何もない。 ハンドルも素直でアクセル・ブレーキも違和感がない。感じた通りの挙動をする。  静かな車だが、国産車にある音を無理に押さえた込んだ無響室のようでなく、  外やエンジンの必要な音や路面感覚を的確に伝えてくれた。 実に考え事をするのに適した車だった。  良い車だったが、手放した。ちょっと残念だ。  東欧製 コンパクト車は、PEUGEOTを3台(205SRD! 306 307)乗ったけど、 椅子文化の欧州車のシートはよかった。205のディーゼルのシートは藁が入っているみたいにみっちりとしていた。これいい車だったが、電装がダメダメ、配線全部燃えて、そのまま職場から帰ってきたり、ディーゼルだから、配線が燃えてもエンジンは動く。ウインカー効かないから、手信号で帰ってきた。そのまま修理工場へ。205の最後は、カムシャフトが白金 旧朝香宮邸前で割れてしまった。本当はエンジン換装したかったのだが、PEUGEOTのディーゼルエンジンなぞ当時は入っていなかった。306もそうとうよかったのだけれど、ラジエーターファンの配線が燃えたなぁ。ファンまでの経路にフューズが入ってないんだこれが。 今の車は、排気量・維持費も1/3以下ぐらいの東欧製のちょっとおしゃれな日本車。座面の高さが絶妙、ドアを開いて座るモーションでなんら違和感なく座れる。 スポーツカーのように落とし込むようだったり、RV車のように乗り込む感じでもなく、 すっとお尻が収まる。ほんとうにそうそう

座禅

座法 座りはじめた頃、日常の雑事から離れ、座るのが楽しかった。 当初は、5分も座るともぞもぞしていたが、続けていると長く座れるようになった。 先ずは、足を組む練習をした。 リビングのダイニングテーブルを片付けて座る生活をはじめた。 職場でも背があった椅子にも足を組んで座っていた。 丁度よいことに、背の部分が壊れていたので、外して座った。 しかも、グラグラしてしまう座面で、不安定この上ない。 座面の真芯を捉えないと、足を組んで座るとグラグラと揺れる。 ついでに インナーマッスル も鍛えることになり、姿勢制御のトレーニングになった。 瞑想 少し長く座れる ようになると、 わくわくどきどき、誰しもが通ることなのかもしれないが、何か起こることを期待していた。 来るな~と思うと、来た。それはもう目眩くような体験!?だった。  今度はどんな状態になるのかと楽しみにしていた。 乱暴にそのチャンネルを抉じ開こうとしていた。 禅宗の教えでは、なにか目的があってそれを達成するために座るのではないとか、 目的を持たないようになるのが目的とか云われる。 目的なく、要は只々座るということが「御仏の姿」の実践ということのようだ。 更に座るようになって、私が追い求めていた「出来事」は座禅とは違うことと気づいた。 求める気持ちは生じない。 座禅の入り口かもしれないし、そうではないかもしれない。 今は、姿勢と呼吸を整え、あと一つの要を保って座っている。 維摩会 春秋館の法友は、銀碗に雪を盛ったような、凜として清々しい雰囲気を持っている。 それは、接すればわかるとしか言いようがない。 あなたも座ってみませんか? 先ずは、足を組むところから。

お伊勢参り

フェリー フェリーのデッキは広く海風が気持ちよかった。 そこでうたた寝をしていたら、どこでも居間にして寝れる人と言われた。 フェリーの中で乗り合わせたおじさんから「渡鹿野島」の話を聞いた。 夜は交番もいない、治外法権の島だそうだ。ついぞ行かなかったが。(苦笑) ツーリング もう随分と前になるが、職場の仲間、男三人でバイクでお伊勢参りに行ったことがあった。 東京から東名を抜けて、なぜか渥美半島の先端からバイクをフェリーに乗せて。 フェリーを選んだのは、潜水艦乗りだった次長の計画だったと思う。 お伊勢様は、外宮から参拝した。 豊受大御神をお祀りしております。天照大御神のお食事を司る神だ。 途中、お馬さんが居たので、つい、冷やかしてしまった。まったく下品な三人組だ。 気になる石組 御正宮の南側の石組みに目が止まった。 バイクで内宮に向かい、途中で伊勢うどんを食した筈だが、憶えていない。 内宮は、天照大御神をお祀りしております。 宇治橋を渡り、内宮では、また、五十鈴川で鯉を冷やかした、ああ、ダメだ。 皆で参拝し、赤福氷を頂いた。 今は昔の思い出だ。

細胞運命決定機構

人体の設計図 人ゲノムに人体の設計図は存在しない。 人間の本質、霊性(たましい)を持つ存在としての「あなたや私」と肉体を持ち皮膚で境界された個としての「あなたや私」。「あなたや私」は精神と肉体を分けて存在している訳ではない。肉体と精神は重なり合って存在している。(本当に実在しているのか、虚妄分別かは置いて、実有 仮有) 肉体の始まり 卵子に精子が受精して、細胞分裂が始まり、細胞分裂を繰り返し、それぞれの胚・組織・臓器へと分化し、人へと成長していく。 その細胞の運命はどのように決められていくのか。 米国の物量作戦で人ゲノム(全遺伝情報)は解読されたが、ショウジョウバエのゲノムのわずか二倍の量に過ぎない。 各遺伝子にはそれぞれ決められたタンパク質を生成(繰り返し・発現)するコードは書き込まれているが、遺伝子には全体像を形成する設計図、青写真はない。   立体構造 今でこそ、3Dバイオプリンティング化(3Dプリンターで一つづつ細胞を立体的に造形していく)で立体化はされつつあるが、ゲノムを解析しても、二次元的な血球と皮膚(膜)は造ることができても、三次元的な完成された臓器を人工的につくることは、未だにできない。(いづれできると思う。) ただ、STAP細胞論文の指導をしていた故・笹井芳樹さんは、二次元から三次元の自己組織化に成功していた。再生を困難にしているのは、細胞から組織、臓器生成プロセスに無量の要素が加わるからだ。それを制御・再現できるのは、現状では生命体だけ。 ブタに人の心臓を造らせて移植した が、術後2ヶ月で患者は亡くなった。2ヶ月間生き延びたと言うべきか。 自明だが、生命は誰かが設計図を見ながら造っているのではなく、自己生成している。この自己生成に、なぜか心に引っかかりました。遺伝情報に全体の青写真がないことを知らなかった。これは驚きでした。 それにも関わらず、肉体は各パーツを精緻な整合性をもって完成させる。「何か」が遺伝子の発現をコントロールし生命を完成に導く、奇跡的なプロセスだ。  「何か」≒物理法則≒いわゆる神 なるものと考えるしかないと…  生物系の東大教授に聞いてみたが、場の理論、細胞間の情報交換がなせる技とのことで、はっきりとしたメカニズムは、解明されていないそうだ。 セントラルドグマを超えて 一つの受精卵から多種多様な細胞に変化し、系統発生過程を胎内

菜食

肉嫌い  維摩会 春秋館にご縁を頂いてから菜食になった。それまでも、肉は嫌いだったが、偏食はいけないと肉を克服しようとしていた。やっと肉が食べられるようになったと思ったら、なんてことない、無理して食べることはなかった。 菜食でたんぱく質を摂るのは、工夫がいる。豆腐、納豆、豆類、牛乳、卵、大豆たんぱく(うちでは、唐揚げ風のものがでる)などは、一度にたくさんは摂りにくい。 運動不足が主な原因だが、炭水化物が多くなったので菜食にしてから私は太った。 たんぱく質がないと脂肪は代謝されない、栄養学の基本だ。 たんぱく質は、夜摂るものと思っていたが、 寝ている間にたんぱく質、筋肉が分解されるので、 朝摂るのが最近の知見 だそうだ。 体格の変移 ライフサイクル?に合わせて、体格はころころと変わった。 呑気な小学生のころはまん丸で、中学生の頃から大学卒業時まで神経質で痩せていた。今はまた丸に戻る。 その時々体格と性格はクレッチマーの分類に当てはまっていたようだ。 心が先か体格が先か、私は心が先行して体格が変わったように思う。 食を絶って体重を一気に落とした時は、体格が先行し若干神経質になった。 雑穀と寝かせ玄米 ここちょっとの間、体調不良だったが、家内が「 雑穀エキスパート 」という講習を受け、雑穀が食卓に上がるようになってから、好調だ。 栄養価が高く、もちもちで食べやすい「 寝かせ玄米 」もよい。

克己心

己との闘い 格闘技は、口先だけでいくら俺は強いと言っても通用しない。 実際に相手と対峙するので己がそのままさらけ出る。 己に克つ心、逃げてしまう心、誤魔化しようがない。 なにもかもが、ありのままで、そのまま明快に因果が襲ってくる。 受けたり流したりしなければ、顔面や腹にガツンとくる。 顔面の直撃は意識を失いかけ、腹は、じわじわと効いてくる。 倒されて関節が曲がらない方向に力が加わる、痛い。 相手も必死、一分も経たないうちに息が上がる。 控えめな勇者 安全管理はされた上とはいえ、 明らかに不利な体格な者が勇猛果敢に強者に立ち向かう姿に感動する。 普段は控え目な感じだけれども、やる時はやる人なのだと敬服する。 気持ちで立ち向かう、本当に凄い。 稽古が終わると、前よりも仲良くなる。 心を晒した者同士、信頼関係ができる。 へなちょこな負け犬 若い時は、線も細くへなちょこだった私は殴り合いのけんかなどしたことがない。 殴り合う勇気はなかったので、口で言い負かせていたか、うまく立ち回り、逃げていた。 なにかの台詞だったか。 「負け犬とは負けた犬のことではない。 負けるのを恐れ、尻尾を巻いて逃げた犬のことだ。」 麦踏みのように 自己否定的でありながら肥大化した自我を持つ、ややここしい青春時代。 逃げていくより他に生きる術がなかったと思い込んでいた。 あの頃、ガツンと武道と出逢い、己と向き合うことが出来たのなら、 無為に時間を過ごすことなく短期間で自分を矯正できたと思う。 安静に 稽古でしこたま腿を蹴らた翌日、 職場の廊下の端っこを手すり伝いに静かに足を引きずりながら歩いていると、 何人かから声がかかる。 いや、ちょっと…静かに静かに歩く。 脱力して芯をだす もう、打撃系はしていないが、コロナ禍の前までは、合気道をしていた。 合気道では、力を抜くことを少し学んだ。力が抜けた方が中心がつかみやすい。 これが意外と座法の姿勢制御に役に立つ。

感謝いたします

自力 自分の力で成して来たと思っていたが、 有り難いことの集積で今まではなんとかやってこれた。 他力 ご先祖さま、 要領がいい父、必死で守ってくれる母、 この世に生まれ落ち、 なんとか学齢期まで生き延びて、 十分な教育を受けさせてもらい、 就職にも恵まれ、 素晴らしい師と出逢い、 愛おしい配偶者と出逢う。 寝ている間に災害に見舞われ、崩壊することなく住む家があり、 空調が整った部屋で心地よい布団にくるまれ、 睡眠中に無呼吸になり事切れることなく、朝、目覚め、 スイッチを押すだけでテレビから情報が取れ、 ネットは家のどこにいても高速でつながり、 家内は朝食をつくり、運んでくれる。 家内に見送られ家を出て、 何十キロと高速に乗って通勤するも事故にも遭わず、職場に着く。 周囲に支えられて、今日も無事に仕事ができる。 今日も安心のうち、一日が終わる。 なんと恵まれたことなのだろうか。 有り難うございます。

維摩会 春秋館に出逢う前の話・参

スロースターター 諸事情あって、30歳を少し超えてから、それなりの収入を得るようになり、不満の少ない生活をしていた。 週末になると車やバイクで箱根詣、うだつが上がらない穀潰しで、趣味の人だった。 指紋にオイルの黒い跡が入るのは、ちょっと憚れたが、バイクや車のメンテをしていた。 モラトリアム そんな一見呑気そうに見える人生でしたが、心には寂寥感があった。 オーバーサイズのピストンリングを入れて首都高環状線の飯倉付近でエンジンがロックしてしまったバイクを汗だくになりながら背広姿が行き交う、大手町の官庁街を押しながら見上げた空に、このまま、なんとなく消費していく人生を過ごすのか…とふと思った。 行く道を見失ったのか。 そうではないと感じていた。 求めている道の歩み方がさっぱり分からなかった。 無気力のようであっても、なにか自分の人生に違和感を感じていた。 燃えるような憶いを、冷めたような気持ちのまま、ぼんやりとやり過ごすのか。 当時よくいわれていた「モラトリアム人間」だったのかもしれない。 小此木啓吾さんのシリーズ本はほとんど読んだ。 アイデンティティが確立できない。したくない。 甘えて無責任に、ニコニコと性格の鎧(character armor)で固めていたのだ。 アマチュア 友達には「あなたにはプロ意識がないのよ、アマチュアなのよ、結局のところ」 おお、痛いところを突かれてしまった。 シャーリー・マクレーンを勧めてくるあんたには言われたくない。 けれど、この熱量がある友人に導かれることになった。 維摩会 春秋館に出逢う前の話・陸 維摩会 春秋館に出逢う前の話・伍 維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆 維摩会 春秋館に出逢う前の話・續 維摩会 春秋館に出逢う前の話

維摩会 春秋館に出逢う前の話・續

理解の基準 こどものころから、自分が物事を理解できているかの指標としていたことがある。 今の自分が当時に戻ってそれを成し遂げられるか? 市民バンド 小学生のころ、電信に興味があり、音声を電気信号に変え送受信し、電気信号を増幅し音声に変えるなんて、本当に凄いと思った。 さらには光電効果だったか、電気信号を映像に変えブラウン管に映す! 小学生の高学年ぐらいから、秋葉原のジャンク屋を覗いていた。 親友の雄ちゃんが、電気好きで、一緒にCB(市民バンド)を始め、 クリスタル(水晶発振子)屋さんで27.125とか085とか探していました。 (その周波数帯、違法です!) 当時は、CB無線機用のACアダプタとかなくて、ジャンク屋でトランス買って、 整流器、ブリッジ回路だったか?をアルミの箱にリーマで穴開けて、スイッチつけたり、 麦だま(パイロットランプ)入れたりと楽しんでいた。 一旦、組んだものの、うまく電圧が確保できない。 直列にしてパイロットランプに食われていたり、 並列回路にして電圧は出ているのに、なんか電流が安定しない。 なぜ、なぜ?コンデンサがあると安定するのか! ジャンク屋 ジャンク屋さんで、小学生がおやじさんと交渉する。 「何が欲しいの」とおやじ。 「12Vの電解コンデンサ」と小学生。 「何につかうの?」 「100Vから12Vの直流にしたんだけど、電流が安定しないの」 「じゃあ、これ、120円ね」みたいな感じ。 太くて大きいのアルミの筒のコンデンサを渡してくれる。(笑) または、内燃機関、スチームエンジンやガソリンエンジンすごく好きだ。 今でも、エンジンがかかっているとすり寄ってしまう。 ふと、もし、今の私がそれらの機械が発明される前に今の自分の知識で行っていたら(過去に戻ってという空想)、それらの機械を作れるほどに私はこのことを理解しているのだろうか?と思っていた。 できそうなことは少なく、幼い私は自分の観察力、理解力のなさに愕然とした。 維摩会 春秋館に出逢う前の話・陸 維摩会 春秋館に出逢う前の話・伍 維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆 維摩会 春秋館に出逢う前の話・参 維摩会 春秋館に出逢う前の話

維摩会 春秋館に出逢う前の話

自分優先の人生 維摩会 春秋館と出逢わなかったらどんな人生だったのだろうか?  いろいろなことがあったけど、もっと欲にひかれ、理屈に走り、自分の都合ばかりだっただろうな。自分を省みるなんて、考えもしなかっただろうな。 失敗して、原因を他人や環境のせいにしたり、少しは原因を考えたりしただろうけども、その時の周囲のひとの気持ちや、心の奥の成果を出してほめらたい憶いとか、湿った嫉妬心とかに気づこうともしなかっただろうな。 観て気づく そこを観よ!と親身に言ってくれたのが維摩会 春秋館だった。 それまでは、自分の生き方に多少の疑問はもっただろうが、人生そんなものだよと達観した風を装っていったかな。 小難い理屈をこねて人を煙にまいて、やっぱっり私が正しいのだと自己主張をしていただろうな。ちいせぇ~なぁ~。 他人のことは、隠したつもりのことまで見えても、自分のことは見えないというか見る習慣がないというか見ないですよね。気が付きたくもない。 気が付かないことは変えらない。そんなあたりまえのことも腑に落ちるまで教えてもらった。 繰り返し そんなことしながらも、いや、しないから、万々年も人は(生命は)同じように生まれ、生き、死んでいくことを繰り返す。生きるとは、何? その意味とは? 人知れず生きる深海魚の一生 小中学生な頃、それはいったいどういうことなんだと考えたりしたことがあった。 『クストーの海底世界』シリーズなんて見ながら、サーチライトが灯り、マリンスノーが舞う超~静かな漆黒の深海に、人知れず生きる深海魚の一生ってどんな意味があるのだろうか?  目が退化し(退化ではなく、廃用か)光を感ずることがなく、生きるってどうことだろう? 異型の魚を凝視しているようで、意識は違うところを彷徨っていた。 出ない答え 出ない答えを手足が冷たくなるまで探っていた。 だれにも気づかれない存在に存在価値がない。 存在価値がないのに存在していることはありえない。 いったい、この深海魚の存在意義はなんなんだろうか。 何光年も離れた惑星の石ころにどんな意味があるというのだ。 分からない。どう考えていいのか分からない。血の気が引いていく。 いや、底知れない恐怖心に気づかずにフリーズしていたんだろうな。 維摩会 春秋館に出逢う前の話・陸 維摩会 春秋館に出逢う前の話・伍 維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆 維摩