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5月, 2022の投稿を表示しています

効いた~

volvo 1800 月に二回ほど、家内と一緒にトレーナーについて身体を動かしている。あまりに運動不足だから、運動というかコンディショニングをしてもらっている。基本は、左右の連動運動、コアと軸を使うことなどを教わっている。 今日は、すごくシンプルな動きを呼吸と連動して教わった。ピラティスではテーブルトップという自重トレーニングだそうだ。これが、ものずごく効いた。体中が熱くなってきた。ここのところ家を出るのは、犬の散歩ぐらいだから、これだけも続けていきたい。

いろいろなわけ

思いがけず、職員の家族さんからある生活習慣ができなかった理由を聞いた。 その方は、大きな声で号令をかけたり、手順をたくさん喋るので、入れ歯をいれることができなかった、と言った。んなわけないだろうと思ったけど、なにかその向こうを感じたので、口を挟まずに伺うことにした。 その仕事とは、東日本大震災の後、福島原発の近くで、ゴミの焼却灰を濾過してラジエーションを濃縮する仕事をしていたとのこと。 そういう仕事があることを想像すらしてこなかった。そのあたりは自動化されているのだろうと思い込んでいた。その仕事に支えられて、社会が成り立つ。尊いことだと思った。  

菜園メンテ

きゅうりを上に延ばして、トマトの脇芽かきと花の向きが外に向くように調整し、なすの三本仕立てにむけて枝の方向を見定めた。 苗から一月半で結球 その苗 下きゃべつと上大根 枝豆 湯あがり娘 つるなしインゲン トマトときゅうり

くだらない話

生くる意味 どうせ死んでしまう人生に価値(意味)があるのか。 死んで終わるなら、生まれて始まることに意味があるのだろうか。 死んでしまうことに意味がないのなら、 生きていくことにも意味が無い。 なんで始まりがあり、終わりがあるのだろうか… 青臭いはなしだ。 小学生のころはそのことを不安、恐怖ととらえ。 中学生のころは心理学、精神科学の本に答えがあると探し。 高校生のころはそれは不可知論として無視し。 大学生のころは忙殺され無視(思考停止)していた。 なんとなく、そうじゃないかなと思っていたが、やっぱりそのようだ。 人生は修行、自分を修養、身を修めるために生まれ落ちて来る。 悪因苦果 皆もそうだと思うが、私の人生は順風満帆どころか、私なりに結構たいへんだった。 因果応報「悪因苦果」と受け止めると、その単純さにがっかりするが、 自ら選択した艱難辛苦と受け止めるとやっぱり人生は修行だったと。 よし、この状況でやるしかないかと勇気も湧いてこようかというところだ。 ただし、この状況下でもいけると高を括っていると、 どうだと言わんばかりに酷い事になったりする。 クワバラクワバラ 老いぼれた未熟者というところか。 コンテナ船 表題のコンテナ船の写真、内容と全く関係ないが、目について載せた。海運会社関係で少し楽果を得た。あったかもしれない善因使い果たしたかも。 後は、苦果のみかぁ~ せっせと果たしていこう。  

感情の質感

アハ アハ体験という言葉を聞いたことはないだろうか?あれ、なんだったかな~と考えていると、「あっ、そうか」とくるやつ。 アルキメデスだったか、お風呂に入って浮力の原理に気がついた時、「EUREKA!」と叫んだ、あれのこと。北カリフォルニアのEureka、昔、少しの間、住んでいた。この話はまたね。 自観法 自観法、はじめてした時、感じたのは「アハ」ではなく、「アレ?」体験だった。 これでやり方よかったの?出来ているのだろうか?たぶん、こういうことなんだよな。やり方はこうでいいと思うけど…その「アレ?」 アレ?と思いつつも、さらに観じていると「アハ」と腑に落ちる。 「アハ」は、やり方が腑に落ちたことについてであって、自観法の体験のことではない。 自観法、私感だけど、タマネギの皮むきみたいに、皮がむけたかなと思っていると、さらに皮があったことに気づいたりと新たな発見があった。 さらにむき続けていると、猿の皮むきみたいに、なにも無くなるなんてことがあるかも… あっ、と。 実は、そこが入口だったりして… 愚かな 人それぞれだが、私は、自分の感情に量ではなく、質があることに気づいた。 なんか、他の人にとっては、なんてことない当たり前のことだと思うが、 このことにすら気にも留めていなかった自分がいた。 このことに気づいたのは収穫だった。 どうして感情の質に気づかなかったのか、見ようとしなかったのか、自分が保てなくなるとでも思ったのか。 それは、またの機会に。  

新東名

新東名の走り 新東名、はじめて走った。東名よりも車線は広いし、カーブは緩やか、高低差も少ない。走りやすい。 走りやすいけど、同じ風景が繰り返される。トンネルを出る。橋を渡る。左手に(上り)深い渓谷。前にこんもりした山にトンネル…を繰り返される。既視感がある。あれ、さっきここ通らなかったけ?みたいな。谷は間近に迫っていて、圧巻だけど、走行中なのでじっくりは見られない。谷や沢、平地部分がどのくらいあるのかをじっくり見られなくて残念。景色は、新じゃない往路で走った東名の方が好みかも。 ※谷と沢の違いは、このサイトおもしろかった。 不思議? 日本列島「谷と沢」の違い とばすぜハイウェイ ここは120km/h制限なので、普段なら飛ばすところだけど、ここのところ、CVT警告灯がついて不調。リコールに準じた対処がなされることになっていたのだけど、代車が準備できないので、また今度ねということになっていた。高速を200kmぐらい走ったところで、また警告灯が点灯した。80km/hぐらいで加減速しないで走った。慣れない走り方だった。普段の高速道路での走り方は、追い越し車線をず~っとではないけど、ここではちょっと書けない \(^o^)/ 行った先が、高速出口の近くで、下道を走らなかったので、給油するつもりがしそこなった。45Lタンクしかないけど、トータルで760km走って、燃料警告灯(残量4Lで点灯)は点かなかった。80km/hで走ると燃費(760/(45-4)≒18.5km/L)がいい。 あと190kmぐらい走れるとメーター表示されていたので、海老名SA(レギュラー 179円/Lだった)で給油しようと思ったけど、高そうなのでやり過ごして高速下りてから、155円/Lで入れた。 好き嫌いが基準な愚者 EVにしたら、あと何キロ動くのか、エアコン切った方がいいのか、充電スタンド空いているのか、ドキドキしながら走るのか? なんか嫌だなぁ。 旧いムスタング のV8が隣で ゴロゴロと低い音 でゆっくり動いている。 やっぱりガソリンエンジンが好き。 好き嫌いで動くのは、愚かなこと、やっぱりEVかぁ~ 長距離通勤者の憂鬱 帰ってきた  

お茶菓子

お母さん 友人のお母さんが亡くなった。学生時代に遊びに行った時、抹茶と朔日餅をご馳走になった。 朔日餅とは、毎月、朔日に赤福の職人さんたちが技量を維持するために赤福餅以外もつくったと聞いた。けっこう人気があり、入手困難なものだったそうだ。あっ、竹に入った水ようかんですね、おいしい!と、それをぺろりとありがたみもなく食べてしまった記憶がある。お抹茶もごくごくといった気がする。和三盆のおちょぼなんかもそこで始めて頂いた。 友人の家の居間でくつろぎ過ぎて、ごろ寝しながらテレビを見てて、他所様の家では、ちゃんとしなさいと窘められた記憶もある。 最後にお会いしたのは、もう三十年も前かな、けれど面影はしっかりと感じる。 寂しい… 保存され輪廻するエネルギー 人が一生、生きて、感じて、考えたエネルギーはどこへいくのだろうか。 物理的なエネルギーは保存される。 精神的なエネルギーも消えてなくなるわけではないと思う。 そのようなエネルギーの現れと思った。 お母さん すっきりときれいで眠っているような安らかなお顔でした。 合掌  

きゅうりとなす、トマト

きゅうりのネットがけ なすの三本立ての準備 菜園ブログ 菜園ブログの体になってきたが、まあいいかぁ。 きゅうりにネットをかけた。本当は、地に還る麻のネットとかが良いのだろうけど、ここは長持ちする石油製品をSDGs。用語の使い方違う? きゅうりとトマト 先人から、キュウリ・トマト・ミニトマトについて、 1番花が咲いて、実が3~4㎝と大きさで収穫する。(余り大きくしない) 次から咲いた花や実は大切に育てて収穫。 又1番花の実を収穫したらその下の葉っぱや枝は切り落とす。 ①成長して行く過程で上の方に栄養分が行きわたる様にする。 ②地面や茎の根っ子に風や陽が当たって、虫や病気の防止になる。 ③10日~2週間ごとに追肥を行う。 成長してきて追肥を行う時は株元でなく、株元より遠くに撒いて良く土と馴染ませて置く。 とお伺いしているので、あとは実践あるのみだ。 花を外側に向けたつもり

じゃがいもの花

じゃがいも じゃがいもの花が咲いた。じゃがいもは、あとは土寄せと追肥ぐらいで手間がかからない。花がおわり、葉が枯れて黄色くなってきたら、試し掘りをする。 とうもろこし 先週植えたとうもろこしが発芽した。順調だ。10cm程度になったら間引きをする。 トマト やぐらの中のトマト育って、脇芽が出てきた。脇芽をつんで、花が外側に向くように茎をすこし捻って軽くしばる。 トマトの花は皆同じ向きの咲くので、収穫しやすいように花が外側に向くようにする。 きゅうり 伸びてきた。今日はネットをわすれたので掛けられなかったが、髭がネットのからんで上に伸びていく。採れ始めると、ほぼ毎日行かないと、もう少しかなとおいておくと、ヘチマになってしまう。ここ数年、早めに病気で終わってしまうので、手入れをするつもり。 キャベツと枝豆 だいぶ育って中心へ葉が巻いてきた。 後ろに大根の葉が見えている。 右隣りは、枝豆、これがだだちゃ豆のようにうまい。夏のたのしみの一つだ。 なす 三本仕立てなので、ばってんにして支柱を立てた。これもきちんと枝を三本にして育て、切り戻しとかすると長く収穫できるそうだが、毎年、なんとなく暴れてしまう。 トマトもそうだけど。 今年こそは、まじめにやってみようと思う。  

Blogger リダイレクトエラー

リダイレクトエラー Bloggerでブログを書いているけど、なぜかGoogle検索に引っかからないことに気づく。 Google Analyticsに登録してアクセス解析しようとしたしたら、全く引っかかっていない。 Google検索にブログのURLが登録されていない。 Bing とか DuckDuckGo の検索エンジンには登録されている。 Google Search Consoleで原因を探るとリダイレクトエラーとのこと。 これ、どういうことか、暫く分からなかったなぁ~ Google Search Consoleもはじめは右側から登録したけれど、一旦削除して、左側から登録しなおした。 スマホ用のボットとパソコン用ボット パソコンでは、https://manuba3.blogspot.com/ だが、 モバイルでは、https://manuba3.blogspot.com/?m=1/ にリダイレクトされるのがBloggerの仕様。「?m=1/」は、どういじっても削除できない。 なんでエラーになるのかと言うと、検索エンジンに登録するのにボットがサイトを覗きにくるのだが、 先ず、スマートフォン用のボットがやってくる。このボットでhttps://manuba3.blogspot.com/ を読み込むと、スマホに適した表示になる https://manuba3.blogspot.com/?m=1/ にリダイレクトされる。 (中略)それでエラーになるようだ。 Googleのサービスのくせに Bloggerは、Googleのサービスであるにも関わらず、延々とGoogle検索に登録されなかった。 結局、パソコン用ボットが来るまで解決しなかった。はじめは、スマホ用ボットが来る。パソコン用のボットが来るまで2ヶ月かかった。 あと、パソコンからsitemapも延々と登録できなかった。 こちらは、スマホからのリクエストを思いつき、そうしたら、登録できた。 これも対処が分からなかった。 もう、スマホの時代で、パソコンでブログを見たり、書いたりする時代ではなくなったということか。 httpsではなくhttpで登録される site:https://manuba3.blogspot.com/ でサイト内の登録状況をみると、 httpsではなく、http://manuba3.blogspot.com

いろいろあった

ならずもの 温泉帰りに沼ッ原湿原に向かった。途中、コナミの施設あたりで、道路の左右に分かれて猿が10匹以上いた。車が来ても驚く様子がない。左右からヒューヒューと口笛を吹かれてるような感じ。ガラが悪い。道の真ん中に背を向けて座っているのもいる。轢いても気色わるいので、クラクションを鳴らした。慌てるふうもなく、おっとりとやっとどいた。それから家内は、猿が窓から手を突っ込んできたらどうするのだと、窓を急いで閉めた。猿は頭がいいから、手を入れると人間は、窓を開けることを知っていると。ゾンビ映画のように猿が次々と襲ってくる絵が浮かんだようだ。途中で見かけた一匹だけいた子猿はちょっとかわいらしかった。 鷹 車はほとんど通らない。リスが道路を横切る。ニホンリスだといいな。しばらく走ると鷹が飛んできて右上の道路脇の木にとまった。車を寄せて写真を撮ろうとしたが、すぐ先の木に移動、二度移動した後で、鬱陶しがられて飛び去ってしまった。エンジンを止めればよかった。 沼ッ原湿原 沼ッ原湿原について歩き始めた。駐車場から15分ぐらい下って、湿地に木道が設置してあった。途中、鶯とか鳴いていたけど、鶯は家の庭にも来る。家内はすぐに飽きてしまい帰りたがる。沼の中に、カエルかサンショウウオの卵があった。高山植物とか咲いていない時に行ったからか、へ~という感想しかなかった。40分ぐらい歩いたので、歩数を稼いだつもりになっていたが、4000歩ぐらいしか歩いていなかった。かなりがっかり。 乙女の滝 近くに滝があると家内が言っていたので、滝を探したが、湿地の周囲には見当たらなかった。駐車場に戻り、案内板を見ると、この地は、湿地ではあるが、揚水式水力発電所のコンクリで囲まれた上部のダムに隣接していた。あ~んという感じ。 帰途につき、下っていると家内が、乙女の滝と書かれた手書きの看板を見つけた。ハイキングコースみたいな脇道だった。車が駐めらそうなスペースに車を置いて、脇道に徒歩で入り下っていった。3分ぐらい下ると携帯の電波をつかむようになったので、乙女の滝の位置を検索、2kmぐらいと出ていたが、実際はそうとう下ったところにあった。あのまま下っていたら、家に帰り着くのは夜中になるところだった。車に戻って、けっこう下った乙女の滝に隣接した駐車場に車を入れた。 フィトンチッド やっぱり滝の近くはいい感じだった。少し滞在

温泉来ちゃった

那須湯本温泉 久しぶりに家内と那須の温泉に来た。今回は、常宿のおったおれそうな雲海閣ではなく、町内の二箇所の組合員専用(=外来入浴不可)の共同浴場が使える旅館へ。この旅館は、掃除が行き届いていて気持がいい。 滝の湯 先ずは、少し歩いて滝の湯へ、先客に声をかけ板場に、脱衣所は新しくまだきれいで木が多用されている。こんにちは〜と浴場へ、天井が高く換気が良いのか、結露が見られない。窓もちゃんと網戸で少し開いている。身体をボディソープで洗うのは禁止なので、かけ湯をなん杯かして、ぬるめの湯から浸かる。硫黄泉はいいなあ。 身体が温まったので、隣りのあつめの湯へ、あれ、思ったよりも熱くない。近くの鹿の湯は、もっと熱い湯もあり、いつもの雲海閣でももっと熱い。まあ、熱ければいいというものでもない。 がつんとインパクトはないけど、入りやすかったお湯だった。 河原の湯 今度は、すぐ近くの河原の湯へ、五時すぎに地元ナンバーの車がずらりと道に並ぶ。地元民は、こちらに入りに来るんだな。 狭くて埃だらけの板場、浴場は、低めの天井で狭い。床はでこぼこ、一部腐って穴があき、傾斜も気になる。けど、雲海閣の方がもっと凄いので、全然、平気。 滝の湯では見なかった湯の華もある。お湯は、がつんと系、しっかり染み入る感じがする。湯づかれはしない。長く入れる。結構、好みかも。 その成分で浴場のいたみが早いのかもしれない。清掃する人への注意書きに、浴槽をたわしやブラシでこすらないようにとあった。擦ると浴槽の木に穴が開き、漏水するからだそうだ。 もっとしっかりした感じのお湯の雲海閣が廃墟のようなのは、しかたがないのか。悪口ではない、悪口では、雲海閣のお湯、大好きです。 いろいろあった

庭の小さな白い花

外来種 庭でツユクサが咲いた。葉や茎はツユクサだが、三弁の白い花、紫色の茎なのでツユクサではない。調べたところ、トキワツユクサだった。なんと外来種で他の庭の植物を駆逐してしまうとのこと。庭には、茗荷、ゆず、黄色い南天、アボカド、ゴーヤ、キャベツ、トマト、吉祥草、ソテツ、樺ぐらいしか生えていないし、他のいわゆる雑草よりかわいげなので、残しておきたい。 前に中川の支流て甲羅干ししている亀をみつけ、イシガメかなと微笑ましく見ていたら、その三匹、みな、汚れたアカミミガメだったのはショックだった。日本の川が外来種、ミドリガメばかりになってはいけない。つい 先日の法改正 で、飼育はいいが、販売は禁止された。 やはり要注意外来生物のトキワツユクサ、花言葉は「尊敬」は刈りとるべきなのか?

あ~つかれた

ブッキング アポイントを入れすぎてどうなることかと思っていたら、救いの手のようなキャンセル。一息ついたら、急な依頼がきてそれに対応、準備をして連絡をすると都合が合わない。午前中は思いの外、早く終わった。 久しぶりにお昼寝して、午後がびっしりで気乗りがしなかったけど、時間前に来ていたので、さっさと始めて、ペースをつかんで順調。 ああ、もう終わりだなと思っていたら、トリプルブッキング。書き漏れだよ、書き漏れ。(私の) 多い手順と負荷ある作業と後処理が発生。もうぐったりで、いつもより余計にアクセル踏んで帰宅。家内がご飯をつくって待っててくれる。有難い。 明日は、お出かけしよう。  

国連も分からないウクライナ情勢

1000人をバス2台で避難させる 5月1日のBBSの報道によると、5月1日時点で約1000人の民間人が製鉄所内にいる。 その1000人をなぜ、たったバス2台で避難させようとしたのか不明だ。瓢箪から駒ではなく、駒を瓢箪に入れろという話だ。 調べてみたが、どう、国連と赤十字が避難計画を進めようとしていたのか、連日報道がなされ、情報が多いはずなのに分からなかった。 8日には、ロシア、ウクライナ双方がすべての民間人が避難したと発表している。 避難の2回目、3回目の状況がつかめなかった。もうすべての民間人が避難を終えているのなら、移送の安全確保の為、情報を出さないということはないはずだ。 10日ロイター は、 ウクライナ南東部マリウポリの市長側近は10日、ロシア軍が攻撃しているアゾフスタリ製鉄所に少なくとも100人の民間人が取り残されていると述べた。 すべての民間人が避難したと発表することは、ロシア、ウクライナ側、双方の利益になるのだろう。 BBCは ウクライナ南東部マリウポリの製鉄所の地下から出られなくなっていた民間人について、ゼレンスキー大統領は1日、第1陣として約100人がロシアやウクライナが支配する地域に避難したと明らかにした。 まだ多数が製鉄所に 国連は、市民を避難させる「安全な通行作戦」が先月30日に始まり、赤十字国際委員会と協力して進めていると発表した。 同日朝には避難用の車列が到着したとしたが、 作戦の安全が脅かされる恐れがあるとして、行き先や避難人数などは公表しなかった 。 ロイター通信の映像には、製鉄所から出て来た女性や子どもたちが、助けを受けながらがれきの上を歩き、窓のないバスに乗り込む様子が映っている。 生後半年の赤ちゃんを連れた女性は、製鉄所に2カ月間、閉じ込められていたと話した。別の年配の女性は、食料が無くなっていたと述べた。 ウクライナ当局は、製鉄所への砲撃について、ロシア軍が1日に短時間停止した後、再開したとした。 製鉄所内にはまだ民間人約1000人と、負傷兵500人以上がいるとし、食料や水などの深刻な不足が生じているとしている。 ( 20220502 BBC ) 国連は 国連のサイト を見ると、5月8日時点でロシア、ウクライナ双方が、製鉄所からすべての民間人が避難したと発表している。 「大きな課題にもかかわらず、国連と赤十字国際委員会(ICR

維摩会 春秋館に出逢う前の話・伍

チベットのモーツァルト 今は昔の話だけど、その昔、 意識変容体験 があって、チベット密教の神秘体験についても、チャネリングについてもそんなものは錯覚だ、幻覚という病的状態だと決めつけるのではなく、興味深く眺めていた。 そんなこともあるかもしれないなあと。--やっぱり好きなんじゃないか-- 「チベットのモーツァルト」は、私小説として読んだ。 中沢新一は、もてはやされてオウムの提灯持ちをしていたのではないか? 私は汚らしいのが苦手だから近寄らなかったが、選挙のときには、しょしょしょしょしょしょしょ~と口ずさんでしまった。(入れませんでしたよ、もちろん) 中沢新一は、あれを真に受けるなんてと浅田彰との対談で舌を出していた。 誠意のかけらもないと思った。 観測すること 宇宙論にしても、量子力学にしても、数学的にというより感覚的に捉えていた。 表在意識で共通認識されていることだけが、事実とは限らない。 現実感なんて、アッシド(化学物質)や脳内物質の代謝が変わることで 簡単にひっくり返るようなことだろう。 観測することで量子に影響を与え変化させてしまう。 暗号を取り出そうとすると変質してしまう、解読不能な量子暗号の基本原理だ。 リジッドに実在すると思い込んでいる情報が観測によってひっくり返るなんてことがあるかもしれない。 現実、実在なんてかなり危うい。 カプラ パラダイムシフトにより、物理学者が物質と精神を極めた先に 宗教家が手を広げて待っている。(F.カプラだったよね) ありえるんじゃないかと思っていた。 精神の構造や魂魄は、曖昧さを一切排して物理学者に解明してもらいたいと思った。 こころの扉 そこかしこにいる現実の宗教家をかなり胡散臭く思っていた。 それらに興味はあったが、安定しつつある日常と 引き換えにわが身を以ってその世界にヘックと飛び込む気はなかった。 何が飛び出てくるかわからない潜在意識を覗くことに恐怖心があった。 不用意に心をいじくることで開けてはいけない、閉じてはいけない扉をも開いてしまう… 既に器質的ではなさそうな身体反応というサインで厭な目にもあっていたから、 そんなことにのめり込んだら平穏な社会生活はできなくなると考えていた。 未熟で自己中 自己指南性の未成熟な中高生の時のように、 療法、行法を通して自己(表在・潜在意識)と向き合えば、 何か分るかもしれな

こんなところになぜ?

キャベツ キャベツが育ってきた。これからもっと葉が育って中心部を巻き込んで結球していく。まだ虫に食われていない。 よしよし、順調。 なんかへん ナス、ししとう、ピーマンのところの寒冷紗が少し剥がれて中がのぞいていた。ナスが育ち過ぎてファイバー製の弓を高く設置したから、寒冷紗の端が短くなっていて、土を寄せていたが、ここのところの強い風で捲れてしまったようだ。 あれ、あれれ、これってピーマンかぁ。なんと見覚えがあるトマトの苗が植わっている。つい、うっかりと家内が黒のポットがピーマンと聞いていて、同じ黒のポットのトマトを植えてしまったようだ。 そのままでもいいかなと思ったけど、家内は植え直したいとのことで、植え直した。 小松菜、ほうれん草、青梗菜もたっぷり収穫。枝豆は、双葉が出て育ったので、もう鳥に狙われることはなくなり、ひと安心。大根は、間引いたもみ菜(大根の葉)をいただいた。とうもろこしは、一穴だけ間引いた株を移植したが、順調に育っている。じゃがいもの花が咲き始めた。 私の職場は、郊外にあるので、近くの農家の人から、これからトマトの下に藁を敷きにいくと話してくれた。この時期はもう温かいから保温ではない、よな。 理由を伺うと、雨が降って土が跳ね上がり土が葉や茎に付くと、苗が病気になったりするので、その予防だそうだ。農家さんは、そういうふうに野菜の病気に気づかいするのだ。 自分の作業の無神経さ、無知さかげんを知った。有難いことだ。

雨の日

歯医者さん  小さいころ、こんな雨の日には歯医者さんへ行っていた。 神社の前、医大の脇にある歯医者さんで、木枠のすりガラスに医院名がある真鍮の把手がある両開きの扉を開け、 急で暗い階段を上がっていくと左手に畳敷きの待合室があった。 低い座卓がある部屋のなかも明るくなかった。 待合室には、ホルマリン、クレゾールのいわいゆる歯医者さんの湿った匂いがした。 診療室から低く唸るエンジンの音が聞こえてくる。当時は、エアタービンのキュ~ンという音ではなかった。低く唸るのは、ベルトドライブでモーターエンジン(たぶん、エメスコあたり)からプーリーをはさんで四つの関節ごとに方向を変えて回していたからだ。ハンドピースを動かすとプーリー間でベルトがたわみ音が変化して唸りだす。 ガラガラと小さなレールの木枠の窓を少し開けると医大病院の裏手の無彩色に雨に濡れた陰鬱な配管、冷却塔、貯水タンクが見えた。病院の裏側は陰気で落ち着く。 ここがいい なにがいいのかと言うと、楳図かずおさんの恐怖マンガを読むのに。 この少し陰気な雰囲気、「ママがこわい」「ヘビ女」実に怖かった。 この歯医者さん、なぜか楳図かずおさんのマンガが充実していた。 たぶん、定番の「サザエさん」や「いじわるばあさん」もあったかと思うが、 ここで読むのは、決まって「 こわいシリーズ 」だった。 歯医者さんいやだなぁ~と少し沈んだ気持ちでこわいマンガを読む。 そのこわい気持ちのまま、順番がくる。 帰りには、唇はゴムのようになり感覚がなくなり、乳歯を抜いた後の血の味までする… 感覚がないことをいいことに唇を咬んだりしていると、次の日には腫れ上がって、たらこ唇になってしまう。 こんな雨の日は、歯医者さんに行くには最高のシチュエーションだと思っていた。

夢の中へ

覚醒 眠りについて、夢を見ているとふと夢であることに気がつくことがある。 さて、このまま見続けていようか、起きてしまおうかと考えると、必ず起きてしまう。 思考をすると覚醒してしまうものなのか? それとも既に目醒めているから思考できるのか? ここの違いを見極めたい。で、どうする? 現世は夢のごとく この世も夢幻となんら変わることがない旨を御伺いした記憶がある。 ウォシャウスキー兄弟監督の映画「マトリックス」を見て、 マトリックスという仮装空間に何ら疑いをもたない人間は、物理現実世界では囚われ、一セルとされ発電機として機械(マシンというAI)から利用されている。 と、同じく今の自分も、この世の実在(=夢幻)に何ら疑いをもたない。 現実の入眠中の夢だけが、自分が夢の中に在ると気づかせてくれる・・・ 自分がこの現実世界から覚醒するのはいつのことだろうか。 萬万年先のことなのだろうか。 それとて、レッドピル(映画の中で「真実=実世界」を知る手段)を積極的に選ばないと来ないのだろう。 さて、あなたはレッドピル(真実)を選ぶのかそれともブルーピル(虚妄)を選ぶのか。 それとも選ぶ機会もないうちに、疑問すら持たずにブルーピルを真実であると虚妄分別し続けるのか。  

じゃがいもの脇芽かき

脇芽かき 種芋から発芽して茎が5本ぐらい出てくる。 そのまますべて成長させると、いもが小さく少なくなってしまう。5本を2本にする。 少なくするのは、茎や葉に栄養がいってしまい、いもが大きく育たないからだ。 収穫量を増やすには脇芽かきをする。 無造作に上から引っこ抜くと、種芋ごと抜いてしまったり、動いて根が切れてしまったりするので、茎の根元、種芋を押さえる感じで、上からではなく、横に引き抜く。 切り口から病気が入ったりするので、はさみは使わない。 土寄せ・追肥 脇芽かきのあとは、土を寄せる。地表近くにできたいもに日が当たると緑色になり、ソラニンやチャコニンなどの天然毒素が多く含まれるようになる。 小さいいももソラニンやチャコニンが多い。 緑色のいもや、小さないもは、特にお子さんには食べさせない方がいい。大人も量によっては食中毒を起こす。 追肥して今日の作業は終わり。  

カンガルーケア

天使の言葉は出てこなかった ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ二世(1194~1250)は、ある実験を思いつき、修道女、修道士たちに、孤児院にいた乳児に授乳するときに語りかけてはいけないと命じた。 なぜそのような命を出したかというと、フリードリッヒは、子供は天使と信じていて、こちらから語りかけなければ、天使の言葉(ラテン語)で語り出すと思っていたそうだ。 しかし、実験は、結果が出なかった。なぜなら、その語りかけが無かった乳児たちは育たなかった。 皆、語り出す前に亡くなってしまった。 生きるため育つために必要なこと 目を合わせない、語りかけもしないことは、育児放棄、ネグレクト、いや、命を奪う虐待だ。 乳児に目を向けて語りかけることは大事なこと。 大人でも無視をし続けられたら、健康を損なう。追い込まれて死んでしまう人はいる。 周囲の人たちに話しかけよう。話しかけられたら、無視しないで欲しい。 人は衣食(授乳)住だけ生きていくことができない。 温かい眼差しが人の命をつなぎ、育んでいくということか。 早産や正期産で生まれた子に出産後早期に母親が触れ合うことによって絆が深まるといわれている育児ケアをカンガルーケアと言う。もともとは、コロンビアで保育器不足を補うために行っていた。 -- カンガルーケアは、赤ちゃんを母親の乳房の間に抱いて裸の皮膚と皮膚とを接触させながら保育する方法です。このケアは1979年に、エドガー・レイ(Edgar Rey)とヘクター・マルチネス(Hector Martinez)という二人の小児科医によって、コロンビアのボゴタで極低出生体重児を対象に始められました。彼らはボゴタで最大の産科病院であるサンジュアン・デ・ディオス病院の特殊新生児室で新生児のケアに当たっていたのですが、そこでは定員過剰、機材不足、スタッフ不足という状態のため、一つの保育器に2~3人の赤ちゃんを同時に収容することも珍しくなく、そのため交差感染の頻度が高く、多数の低出生体重児が感染のために死亡していました。しかも、早期の母子分離によって母子の愛着形成ができないため、たとえ赤ちゃんが退院できても、その後、養育遺棄につながってしまうこともまれではありませんでした。さらに不幸なことにこの国の経済状態が悪化し、新生児医療を継続して発展することがほとんど不可能な状態になってしまいました。発展途上国で

女性らしさ

小塩 節さんはドイツ文学者で、外交官の経験もある。 信頼関係を築くにはレストランではなく、 自宅に招待して食事を振舞うことが仲良くなる秘訣とのこと。 かの地では「いただきます、ごちそうさま」に加えて、 男性でもこの料理はおいしかったときちんと料理を評価し、作った方もはり合いがあると、アパート住まいにお客さんを招待した時のエピソードを披露していた。 ドイツでは思春期になると母親から「女らしくしなさい」と言われると「もちろん」と答える。 自己主張が強いはずの反抗期であるのに訝しげして、思春期の女の子を観察していると、バスの中で化粧を始めたり、大あくびして寝てしまうことはなく、 背筋を伸ばして凛として、お年よりがいらっしゃると席を譲り、 外界に向けてしっかりと自分の存在をアピールすることが「女らしくする」ことだ。 ドイツ人の「女らしさ」とは大人の女として自分を認め、誇りを持つことなのだ。 女性性に誇りがあるからこそ、「女らしさ」が現れてくるものだと思った。 ラジオを聞きました カンガルーケア  

ディーゼル潜水艦

ディーゼル艦 前に( 維摩会 春秋館に出逢う前の話・續 )にエンジン好きと書いた。 エンジンがついた乗り物ならなんでも好きだ。 横須賀に停泊中のディーゼル潜水艦に乗ったことがあった。 職場に元自衛官の方がいて、艦長が昔の仲間だった。 潜水艦のなかを乗組員に案内してもらった。 パイプが血管のように張り巡らされていて、扉できっちり区切られ、 うっすらと、ディーゼル臭がする通路は、人がやっとすれ違えるぐらいに狭かった。 その潜水艦は、艦長だけが個室をもっていた。 曖昧な記憶だが、魚雷の発射管のすぐそばにもベッドはあったと思う。 ここで寝るのかというぐらい二段か三段ベッドのほぼ鼻先の天井は低かった。 酸素魚雷 私の職場の次長が誇らしげに、帝国海軍の魚雷は、世界一の技術だったと。 酸素魚雷は排気の軌跡が少なく、こちらの位置が敵にわかりにくかった。 潜水艦に乗る前は、水雷艇に乗っていたと言っていた。 次長は、次第に耳管が狭くなり、耳抜きができずに耳が痛くなり、潜水艦は断念したそうだ。 ダイバーが耳抜きをするのは知っていたが、 耳抜きができないと潜水艦に乗れないとは、気づかなかった。 海上自衛隊 艦内で何日も日本の海を守るために任務を遂行されている自衛官には頭が下がる。 ひとしきり案内してもらった後、食堂でコーヒーをごちそうになった。 通路、トイレ、寝室などの生活空間が狭かったせいか、食堂は、広く感じた。 食堂で作戦の説明をすることもあるのか、私達が食堂に入ると、 さりげなく、そこのボードにカーテンが引かれた。 さすが自衛隊、外部の者には作戦行動を知らせない。規則はしっかり守られている。 その昔は、潜水艦のベッドは定員数なかった、交代で使ったという。 デッドスペースをなくす意味合いだろうが、任務が交代制なので、人が寝ていたベッドに繰り込む、ホットベッドだ。 自分のもの 自分の物をもつとは、どういうことだろうか。 自分と他人に「~の物」という区別をつける。 自他の別があれば、人数分の物が必要だか、それは本当に必要なものなのか。 物が溢れて、空間や整理整頓がより必要になり、そこに労力がとられる。合理的ではない。 自分の物ということにこだわり、執着が生じると思う。 そこに障碍の因が生まれることにもなると思う。 昨今のコロナ感染事情では、他人と体液が触れたままの物を共有することは、感染予

母のカミングアウト

母の日 小学生の頃、母にべっ甲の数百円の小さな亀、銭龜を贈った。 母は、とても喜んでくれた。 こどものころは、母は、お金が好きなのだと思っていたから択んだのだけれど、本当に大好きだったのは、大切にしていたのは、姉と私のことだった。気づいたのは亡くなってからだ。 なんと親不孝な… その銭龜、母は大事にしていたようで、母が最後に使っていた財布の中にしまってあったのが出てきた。 今でも母の遺影の前にいる。 すこし首をもたげていたが、長年、財布の中で過ごしたせいか、折れていた。 私がレジンで補修した。 母も、維摩会 春秋館に御縁を頂きました。有難いことです。それが最大の親孝行だったか。 松任谷由実じゃないけど 母の昔話で一番驚いたことは、実家の庭で象に乗ったことがあるという話だ。 実家は貧乏で、とびきり有能(右総代、全甲の成績)な一番上の姉が給与を全て神棚に上げると、 父親がパンパンと、手を打って下げるという話を聞かされていた。 なので、副業で写真屋をしていた。家に暗室があったとは聞いていたが… ある時、町にサーカス団が来て、動物も一緒に写真を撮りに家に来た。 田舎の家なので、庭は広い。 サーカス団が連れて来た動物のなかに象さんがいて、 母はその背に乗せてもらって庭を一周したことがあると言った。 凄く、驚いた。 自宅の庭で象に乗るのは、インドやスリランカの富豪だけだと思っていた。 日本で、実家の庭で象に乗ったことがある人はそうそう居ないと思った。 ああ、写真が残っていれば… グルニエを探せば出てくるのか。  

自分を邪魔するもの

なにかが邪魔をする 人生はあっという間に過ぎ去ってしまう。 やりたい事、やらなければいけない事は多数ありますが、どうも邪魔が入る。 気にはなっているが、もっと気になるどうでもいい事に煩わされることがある。 やる気が削がれ着手する気になれないなんてことが私にはある。 それ、単に自分の怠惰の気持ちか?邪魔が外からやってくるとは限らない。他人のせいにしてしまえば、楽だけど。 ぐずぐずくすぶったまま着手しても良い結果は残せそうにない。 できると思いこんで、いや感じていないと私はダメだ。優先度、重要度で動かないところは問題だ。 集中させてくれるもの 逆にできると思いこんでいると、できる根拠が希薄でも、 なんとかなる筈と思いこんで集中することができる。 不幸、邪魔は外からやってきて、幸せ、やる気は内からわいてくるって? ずいぶんと自分に都合のいい話だ。 思い込み、感情に押し流されては社会生活が成り立たない。 かといって、感情を抑圧している、心の声を無視して我慢していると病気になる。 病は気からと言うが、なにもこんな時に病気にならなくてもよいのに病気になるなんてこともある。 自分に大丈夫と言い聞かせていても、体は正直に反応してくる。自分を偽るにも限度がある。 よりよく生きる 不都合だからと感情を出さないことや、感情をなくすことではない。 感情豊かに表現し楽しみ、理知的な判断で、やさしい気持ちで動く、 私は、こういう人物像に憧れる。自分にないものだからか。 そこには、徹底的な自己観察、自己分析と自己犠牲にあると云う。 いつも自分が勝ち残ることだけを考えてはいけないのだ。 愛しい葛藤こそが、自分を高めると云う。 私の人生も、もうまとめの時期だ。 意味ある人生だったと納得して終えたい。 そのためにも、もうひと頑張り、それ自己犠牲か。 ここにかくあるべきとの息苦しさ、他者からの評価に自縄自縛され、閉塞感を感じているのだな、たぶん。 無理はいけない。続かない。 自分を解き放て!(笑  

コロナ経口薬

コロナの飲み薬が出てきて、コロナ感染の出口が見えてきた。 軽症、中等症患者用にインフルエンザ治療薬のラゲブリオに続き、パキロビッドパックが特例承認された。 パキロビッドパックは、高血圧、脂質異常症、不眠症、統合失調症、不整脈の薬など、 一緒に使えない薬剤成分が38と多いので、高齢者には使いづらそうだ。 けれど、妊婦さんにも使えないことはないようだ。 コロナにかかって、飲み薬がでるようなら、 併用注意薬も多いので、お医者さんに飲んでいる薬をお薬手帳とともに伝えた方がいい。 パキロビッドパックとの併用に慎重になるべき薬剤リスト 添付文書

ゴールデンウイークのカラス

獲得形質は遺伝する? 犬の散歩で歩いていると、あまり高くない電信柱のところにカラスが二羽いて、少し長めに鳴いている。 こちらを警戒する声?と思ったけど、別の離れたカラスとコミューケーションをとりながら何かをしようとしている感じ。 家内が今日はゴミの日じゃないのにカラスがいるねと。 「ちっ、しけた街だ。昔はけっこういろいろとあったと婆さんから聞いていたのに…」とか話していたのか? カラスには、世代にわたるコミュニケーションがあるのだろうか、 硬いくるみを車にひかせて、中身を食べるみたいなことは、水平的(見て学ぶ)に伝わりそうだけど、 垂直的(世襲)な伝承、獲得形質の遺伝はあるのだろうか? ずっと無いと言われてきた が、あるみたい。 後天的に獲得された形質は、次の世代へと遺伝する 集団行動 人を識別するほど頭がいいと言われているが。 街の高台から見てみると、なんとなく、斥候のカラスが短い声をだして集団に位置を伝えながら、集団からの返事で合流しながら北西方向に移動している感じだ。 集団で、斥候を飛ばしながら、何か探して回っている… そうか、今日は、地域によっては、本来生ゴミの日なので、それを探しているのかも。 カラスには、ゴールデンウイークのゴミ収集が休みという概念がないからなのだと思った。 カラス、回覧板、見てないし。 それにしても、集団で、斥候使って、広範囲を探って生ゴミ、餌を見つけようとしているのなら、 やっぱりカラスは頭がいい?  

犬をあらう

逃亡者 柴犬は、水が好きではない。濡れるのが大嫌いだ。雨の日は、大好きな散歩も行きたがらない。 うちの柴、察しがいい。洗われる雰囲気を察して、早速、二階に逃げようとする。   アンキシャス きょうは気温が上がるそうなので、シャンプー日和。 チャコちゃん、お察しのように、すっかり、不安げな表情です。 頚のまわりから、饐えたにおいがするので、もう洗わないといけない。 そんな顔してもダメ、しっかり洗うよ。 アンニュイ すっかり、ブルー そんなにおちこまなくてもねぇ… グルーミング なんとか終えて、プルプルして、さらに耳に息を吹きかけて、さらにプルプルしてもらう。 本当の闘いはこれから、庭で泥浴びをしたがるので、それを阻止しないといけない。 その日のうちに胸を泥だらけにしたことがある。 ブラシをかけたら毛が実物大のぬいぐるみができそうなぐらいとれた。 ごきげんさん ご満悦。

春のやさい

キャベツ ブログの写真のキャベツ が育った。 まだまだ、大きくなり結球していく。 下の土が見えなくなるぐらいみっちり葉がしげる。 けっこうモンシロチョウが卵をうえつけ、穴だらけになったりする。夜盗虫(夜になると出てきて、むしゃむしゃと食害する)も要注意だ。葉の裏側までチェックする。 じゃがいも じゃがいもの発芽からすこし成長。 ここに写っていないが、奥の一つが発芽しなかった。 乾燥不足で腐ってしまったか、芽がないところを植えた? 今週末ぐらいに5株から2株ぐらいに間引く。 やぐら うすら汚れた寒冷紗で風よけが巻かれている、トマト、きゅうりのやぐら。この時期は風が強いので風よけをする。 ミニトマト、黄色いミニトマト、普通のトマトを2株づつ植えた。ここ数年トマトはよくとれる。昨年まで、牛糞堆肥が効きすぎて、茎が太くなり暴れる傾向だったので、堆肥はきゅうりのところだけ施用した。きゅうりは、手入れが足りず、早めに終わってしまう。曲がってくると終わりのサインだ。 ナス、ししとう、ピーマン 家内が立派な接木ナスの苗を選んだつもりが、背が高く、隣のような風よけの寒冷紗がかけ難くなった。大きければいいというものでもないと知った。例年、ししとうは2株植えるが、あまりにもよく採れるので、今年は、1株に、残りをピーマンにした。今年こそ、ナスの3本仕立て、かっこよく、長く収穫してみたい。例年、ちゃんと収穫はできるが、不格好な枝ぶりになってしまう。切り戻しもちゃんとしたい。 期待のとうもろこし ほぼ、2つづつ発芽している。 なんとなく、葉が黄色くやけた感じがするのが気になる。高さ10cmぐらいになったら、1本に間引く。 一穴、育ちが今一なところがあるので、植え替えしようと思う。  

いんなぁ~マッスル

おかたいライダー 通勤途中で、上半身が固いライダーが私の車の脇をすり抜けて行った時、あっ、そうかと気づきました。 あんなに上半身が固いと回避行動がとれないから危ない。 もっと上体の力を抜いてしなやかに重心移動をしないと。 外側の筋肉を固めてはダメ、インナーマッスルを自然に使わないと… 結構、意識(重心というかローリングの回転軸)が高いところにあるなあ、あれじゃ曲がれない。 フロントのハンドル・ステムとリアタイヤのハブを繋いだ直線あたりがバイクのローリング軸になる。自分のバイクの前後のタイヤの接地点とローリング軸を意識していないと切り返しはうまくいかない。 私は今でこそは乗ってはいませんが、20年間ぐらいはバイクに乗っていた。 今は、もう、スピードというか、目がついてこない。 稽古 おおそうだった、私はバイクにのって結構インナーマッスルを鍛えていたんだ。 重いヘルメットのおかげで首も太く、後頚部なんか石灰化像まである。(笑 それも一日12時間850kmぐらいのロングもこなしていました。 だから昔とった杵柄で、あるていどは姿勢が制御できるのだと思う。  

日本人のお手本 二宮金治郎・つづき

仁義礼知信 五常の徳 文政二年(1819年)、二宮尊徳は、貧しい小田原藩士のための低利助貸法及び五常講を起こした。仁、義、礼、知、信の五常の徳を実践している藩士にその心根を担保に信用貸を制度化した。信用組合制度は、ドイツが発祥とされている。1859年、シュルツェ=デーリチュは、200以上の銀行を組織化し、最初の協同組合会議をヴァイマルで開き、協同組合の中央組織を設立した。尊徳は、それよりも四十年前に五常講を興した。世界初の信用組合制度だ。 仁 皆で困っている人のためにお金を出し合う。 義 借りたお金はきちんと返す。規則を守る。 礼 互いに感謝する。 知 知恵を出し合い運用する。 信 互いに約束を守り信頼しあう。 お金を出した者も借りた者も感謝の気持ちで約束を守ることで五常の徳の実践をしたことになる。兵よりも食よりも信用が大事なのである。 子貢、政を問う。子曰く、食を足し、兵を足し、民(たみ)之を信ず。子貢曰く。必ず已むことを得ずして斯の三者を去らば、何れをか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むことを得ずして斯の二者を去らば、何れをか先にせん。曰く、食を去らん。古自り皆死有り。民、信無ければ立たず。(顏淵十二) 子貢が、政治の要を孔子に問うた。孔子様は、食を満たし、兵を満たせば、民は政を信じると答えた。子貢は更に、このうち一つを捨てなければならない時は何をお捨てになりますかと問うた。孔子様は、兵だな。更にお捨てになるとしたら、食だ。人はいづれ死する。人に信が無ければ生きるに値しない。孔子様は、信は命よりも大事であると説く。命を超えて繋いでいくものがあると。  報徳訓  父母の根元は天地の令命に在り 身体の根元は父母の生育に在り  子孫の相続は夫婦の丹精に在り 父母の富貴は祖先の勤功に在り  吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り  身命の長養は衣食住の三つに在り 衣食住の三つは田畑山林に在り  田畑山林は人民の勤耕に在り 今年の衣食は昨年の産業に在り  来年の衣食は今年の艱難に在り 年年歳歳報徳を忘るべからず 二宮尊徳の報徳思想の由来は、論語から来ており、「十年に及んだ桜町復興の成果報告を、二宮尊徳から受けた小田原藩主大久保忠真は、「そちの方法は論語にある、『徳を以って徳に報いる(以徳報徳)』というやり方だな」と評しました。わが意を得た尊