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7月, 2022の投稿を表示しています

あ~あ、こわれちゃった

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 2011年製のMacbookが壊れてしまった。ビープ音が3回鳴り、色々なクリアを試しても復活しない。メモリー系の故障みたいだけど、メモリはロジックボードにはんだ付けしてあるようだ。いまさら、ヤフオクでロジックボードを落として交換みたいなことも面倒くさいし、10年以上も前のものだから、盛者必衰の理、諦めようと思う。11年間と随分と活躍してくれた。ありがとう。 幸いにして、マックの中だけにあるデータはない。もっともSSDは、もう取り外したので、そこから吸い出せばいいだけ。でも、ガチャと吸い出せるわけでもないので、しばらく放置になると思う。 今まで、常にマックが手元(カバンの中)にあったけれど、ソフトの互換性からWindowsを使うことが多くなった。どうしても全く同じレイアウトにならないことがある。 情報を受取るだけなら、もうChromebookでもいいかもとも思うけど、どうしようかな~と考えるのもまた、楽し。 と思いつつも、急ぎで大事な仕事があるので、パワーあるWindowsのノートを今朝ポチリました。めでたしめでたし。  

保湿兼肥料

長ネギとナス、ピーマン、ししとうと通路に収穫が終わったとうもろこしを入れる。保湿と肥料を兼ねるそうだ。 これから日照りが続きそうだから、水分補給は大事。 だかトマトは、茎や葉から細かい毛が生えていて、風や光を遮り、乾燥を予防するようだ。もともと乾燥している地域の植物なので、水はあまり与えない。水が少ない方が果実が甘くなると聞いた。 下に敷くとうもろこしは、例年、根も穂先もつけたままにしていたが、今年は取ってから置いた。見ていると穂先や根はなかなか土に分解されないで最後まで残るので。それが意味があるのかどうか分からないが、間違えであっても一歩先に進めるような気がする。

トマト、きゅうり、えごまに人参

今朝は、少しだけ早めに行った。それでも暑かった。トマト、きゅうりの足元に、隣の小松菜、ほうれん草、青梗菜の収穫の後に、えごまを蒔いて、双葉の後、本葉になってから移植しておいた。順調に育ったので、家内が一枚づつ醤油漬けにするために何枚か摘んだ。 その手前は、人参の種を蒔いたが、暑さのためか発芽がいまいち、もう少し待って発芽なければ、蒔き直しになる。 トマトは相変わらず、暑さに負けて膨張して割れてしまう。きゅうりはなんとか持ち直して、いい感じ。後から植えたものも順調に伸びている。 なすは、やっぱり、輝りがなくボケぎみ。ダニは目視できないけど、少し埃っぽい感じ。油断できない。 とうもろこしの収穫に来ていない区画を見かける。とうもろこしを包む葉も茶色くなっているから、たぶん、中も固くなっているのだろうと推察。コロナも感染も増えてきているから(8月にピークを迎えるとのAI予想)諸事情あるのだろうけど、もったいない。 枝豆ももう大豆になってしまっているだろう。  

試練と因果

Netflixで、「ルシファー」を見ることがある。地獄が飽きた地獄の番人、悪魔ルシファーは、ロス・エンジェルスにナイトクラブを開いた。自堕落といっては自堕落な生活なのだけど、堕天使だけあって結構善人な設定。脚本は、女性刑事さんと事件を「人が隠している本当の欲望を告白させる能力」を使って解決していく、他愛もない恋愛ものなのだけど、登場人物?の名が、ルシファーの兄がアメナディエル(神の罰)とか、親友のマジキーン(強烈な魔物)とか、母親(元・万物の女神)とか、キリスト教的文化の背景を知るにはおもしろい。 見ていて、仏教文化圏とは違うなと思ったのは、自分に不都合な厳しいことが起こると、キリスト教的には、神から与えられた試練と考えるようだ。神がその人を鍛える為に試練を与え、それを克服していくというストーリーを描く。それは、自分自身の行い(過去や前世)が返ってきているとは考えない。自分には理不尽な出来事であっても、全能の神の経綸で、神から自分に与えられたものと受け止めていることだった。創造者、神と、被創造者、子ははっきり分かれている。また、マジキーンは魔物だから魂はなく、この世に一度きり、死んだらおしまいという設定。だからか、より享楽的。 懺悔し、悔い改め、苦悩を受容する力はあっても、苦悩の原因が我の執着というところではなく、結果として、自分が不都合なこだわり(罪悪感)を持っていて、それは手放すべき与えられたもので、手放したら解決すると考えているようだ。そんな感じだと思うが、もっと見てみよう。 でも、直接的には描かれていないが、かなり娯楽番組に振ってあるので、よい子が見るのにはおすすめはしない。時間があればどうぞ。  

雨の合間の菜園

雨が少し降っていたけど、柴の散歩に行った。柴の散歩というか、私自身の散歩。歩かないとやっぱりダメだ。難聴は治まってきたけど、耳鳴りはする。お灸をしてみた。少し効いたようだ。 雨がしっかり降ってきゅうりは好調だけど、疲れてきたのか、曲がってくる。 なすくんも順調だけども、つやがない。高温になるとつやがなくなるようだ。ハダニは今のところ抑えられている。 トマトもまだ充分に赤くなる前に割れてしまう。雨降って、水分が多くなり、日が照って成長が急になると割れてしまうようだ。  

中庸新註の序 大川周明

中庸新註   大川周明 社会運動家。明治19年12月6日山形県に生まれる。第五高等学校卒業、東京帝国大学哲学科でインド哲学を専攻。 A級戦犯容疑で逮捕されたが、巣鴨(すがも)収容中に精神障害(東條英機元首相の頭を後ろから平手で叩いた)をおこし免訴となった。なお、都立松沢病院入院中にコーランの邦訳を完成させた。昭和32年12月24日亡くなる。本当に精神障害であったのか、詐病であったのか。議論はあるが、下記は、昭和2年、58歳の時のもの。 経緯は忘れたが、中庸を学んだ時のメモにURLが残っていた。著作権の保護期間満了しているので、少し書き出すと、 正善なる生活とは、吾等がまさしく『我』と呼び得るものと、我に非ざる『非我』との間に、正しき関係を実現し行く生活である。 孟子は『仁義礼智は外より我を鑠(とか)するに非ず、我固(もと)より之を有するなり』と説く。 必ず『天地人三才に通ず』べきものと考へられて来た。 天とは吾等の生命の本原である。其の最も直接なるは父母であり、父母より溯りて一門一家の生命の本原に到り、更に国民全体の生命に溯り、竟には宇宙其者の生命に溯原する。之を『敬』と呼ぶ。 地とは精神に対する自然である。その吾等と最も直接なる交渉を有するは、言ふまでもなく吾等の肉体的生活及び之に伴ふ欲求感情、並に其の欲求感情の対象となる外物である。之を『義』と呼ぶ。 人とは自己と平等なる価値を有する人格者としての人である。人格者とは、理性的に知り、道徳的に行ふ主体である。吾等は吾等の理性によつて宇宙の一切を知悉する無限の可能性と、是くして知り得たる事物の一切の意義を、吾等の意志によつて現実の生活の上に実現し行く無限の可能性を有して居る。この人格の無限性を、儒教に於ては『良知良能』と呼ぶ。 『我』と無我ではなく、『非我』が出てくるところは、さすが印哲専攻、興味深い。 「我固(もと)より之を有する」、『良知良能』は、孟子様の性善説かな。 序  儒教の志すところは、疑もなく『道』の闡明に在る。而して道とは人格的生活の原則に外ならざるが故に、儒教は人間が如何にして正善なる生活を営むべきかを究尽せんとするものである。然るに正善なる生活とは、吾等がまさしく『我』と呼び得るものと、我に非ざる『非我』との間に、正しき関係を実現し行く生活である。儒教に於ては、旺の『非我』の世界を、天地人の三才に

ああ懐かしやVW

写真は、カルマンギア、偶然見つけた。この車もお尻がキュートで好きだった。 わたしが乗っていたのは、ビートル 1303s。 フロントのボンネット開けるとスペアタイヤ、そのタイヤのエアバルブにはチューブがついていて、ウインドウォッシャータンクにつながっていて、その空気圧でフロントウインドにウォッシャー液を送り出す仕組みだ。調子に乗って出していると、スペアタイヤの空気がなくなる(笑 サイドウインドには、懐かしい三角窓がついていた。クーラーはついていなかったが、北加州は、湿度が低かったので、三角窓で凌げた。 メンテは外に出していたが、同じアパートにいたMITの海洋学部にトランスファーした友人が、ゴルフを持っていて、5日かけて5000キロ大陸を横断していた。その友人がいうには、ビートルのメンテは簡単だから、自分でやったらと。そうなのかぁと思って、 ヘインズの整備書 を購入した。 水平対向のエンジンヘッドのバルブカバーは、弾性のある針金で固定されていて、ちょっと力を加えるとパカンと外れて、バルブの頭が顔を覗かせる。タペット調整は、トップのマイナスネジとナットの締め付けで、シックネスゲージで簡単に調整できた。フライホイールの類は、切り欠きや、線が刻んであって目安となった。オルタネーターのベルト切れなんかも簡単に交換修理ができた。 古いクルマだったから、エミッションコントロールの補機などもなくすっきりとしていて、いじりやすかった。いいクルマだったなぁ~。 今のVWは、悪質なディーゼルエンジンの排ガス規制逃れ詐欺をしたから、もう、買うことはないだろうな。 ゴルフとかポロなんか、お値ごろでしゃっきりとした車なのに残念だ。 ならBMはどうだったか? 今見たら、当初否定していたが、同じ穴の貉だった。

なんとなくカナブン

とうもろこしに、けっこうカナブンがたかっていて、片付け終わって、一息ついたのもつかの間、こんどは、トマトの茎について、果汁を吸っている感じ。 ナスのホコリっぽい葉っぱや下を向いてしまった葉を整理した。 きゅうりは、まだ小さいままだ。油断禁物、まめに見にいこうと思う。 夕方に家内と柴の散歩に出た。蒸し暑く、もうショートカットして帰ろうと、団地を抜けると脇から、鼻が白い動物が横切ろうとしていた。一瞬、目が合った。たぬきぽかったけど、それにしては胴体は細く尻尾も長い。ハクビシンだと思う。 裏の家にいると以前から聞いていた。夜、柴が吠えたので、明るいLEDライトで照らすと、二つの目が光っていたけど、その時、姿は確認できなかった。

雨のあとの菜園

  昨日、行っとけばよかった。巨大化したきゅうり、もう採り残しはないかなと思って見てみると、影に隠れていたりするから、よく見ないといけない。見落としかけたのが三本ぐらいあった。 とうもろこしは、もう終わり、カナブンがたくさんついていたからおいしそうではある。この後植えしたものの方が甘い感じだ。 トマトも雨で急に大きくなったので、赤みは今一だけども割れてしまった。 なすは、ハダニがいてすこし元気がない。垂れている葉は取ってもよいと、園主が言っていた。あとで取る。

詩に云ふ、切磋琢磨って

詩に云ふ、切磋琢磨は、切磋琢磨のことか 子貢曰く、貧しくして諂(へつら)ふこと無く、富みて驕ること無きは、何如。子曰く、可なり。未だ貧しくして樂しみ、富みて禮を好む者には若かざるなり。子貢曰く、詩に云ふ、切(せっ)するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(す)るが如しとは、其れ斯の謂か。子曰く、賜(し)や、始めて與(とも)に詩を言う可きのみ。諸れに往(おう)を告つげて、來(らい)を知る者なり。 学而第一[十五] 孔子様に、子貢が貧しくても諂わず、富みて驕らないことは、如何でしょうか。と質問された。孔子様は、まあいいだろう。貧しくて楽しむもの、富みて礼を好む者にはおよばない。 子貢は、詩経で云う切磋琢磨とはこのことでしょうかと応える。 孔子様は、始めて詩経についてともに語れるようになったな。一つ「往」をいうと、次「来」をきちんと返す、知る者となったな。 小学館のデジタル大辞泉によると、 切磋琢磨 は、 [名](スル)《「詩経」衛風・淇奥から。「琢磨」は玉・石などを打ち磨く意》学問をし、徳を修めるために、努力に努力を重ねること。また、友人どうしで励まし合い競い合って向上すること。「互いに—して技術改新を成し遂げる」と、 ①自分が努力を重ねること②二人以上で磨き合って向上することの二つの意味で使うことが多いと思う。どちらかというと、②の互いに磨き合うという意味で使う語感だと思うが。 論語の権威たちはどのように説明をしているのだろうか。 諸橋轍次さん 人の修養に段階のあることを感得して、詩経の中に、切瑳琢磨といって、みがきの上にもみがきをかけよという教えがある。 朱子 骨角を加工する者は、切断した後でさらに研ぎ、玉石を加工する者は、打ち叩いた後でさらに磨く。精密に加工した後でもますます精度を求めるのである。 伊藤仁斎氏 「『詩経』の詩を自由に解釈することこそ」、と具体的な説明はない。 荻生徂徠氏 子貢が詩を引いて、貧しくても楽を行い富んでも礼を好むように民を教化する道のもとは、学の切瑳琢磨にあるとしたことで、孔子は彼を評価した。「往」とはそのような教化の効果、「来」とはそれをもたらす来源としての学であって、朱子の言うようなその場でのやりとりではない。 貝塚茂樹さん 〈切するが如く・・・〉この詩は『詩経』衛(えい)風の淇奥(きいく)篇の一句である。淇という川の

孔子様の弟子、子貢

切磋琢磨 子貢曰く、貧しくして諂(へつら)ふこと無く、富みて驕ること無きは、何如。子曰く、可なり。未だ貧しくして樂しみ、富みて禮を好む者には若かざるなり。子貢曰く、詩に云ふ、切(せっ)するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(す)るが如しとは、其れ斯の謂か。子曰く、賜(し)や、始めて與(とも)に詩を言う可きのみ。諸れに往(おう)を告つげて、來(らい)を知る者なり。 学而第一[十五] 子貢は孔子様より三一歳年下の弟子で衛の国の出身。 言論に長け、商才があり、その財力で孔子様、門人たちを支え続けた。 評価を求め、結果を出し、プレゼンテーション、言葉が巧みで合理的な自信家。 瑚璉 孔子様は、君子は器ならず。君子の存在は、用途、境界に限りがあるような器でない。 しかし孔子様は、子貢のことを器とされ、子貢はさらにどんな器かと聞いた。 孔子様は、瑚璉(これん)という貴重な器とされた。(公冶長第五[四]) 過ぎたるは及ばざるが如し、合理的 子貢は自分のことだけではなく、子張と子夏の評価を問うている。 有名な過ぎたるは及ばざるがごとしは、子張が過ぎて子夏が及ばない。 子貢は、告朔(こくさく)の儀式が形骸してもなお、羊がいけにえにされているので、それを止めたいと孔子様に申しでたが、 孔子様からお前は羊を惜しんいるようだか、私は礼が廃れるのが惜しいと言われた。 子貢は形骸化した儀式に意味がないと合理的な判断をしたが、 孔子様は、形式でも続けていれば儀式が礼が復活するとお考えだったようだ。 億(おもんばか)れば則ち屢中(あた)る、できる 子曰く、回や其れ庶(ちか)いかな。屢(しばしば)空(むな)し。賜は命を受けずして貨殖す。億(おもんばか)れば則ち屢中(あた)る。 先進第十一[一七] 顔回は殆ど道に到達せんとするに近い。彼はしばしば経済的な窮乏に陥ったが、それでもなお楽しむところを改めず、分に安んじている。彼は天命を受けずしてその窮乏から免れようとはしない。この顔回に対して賜(子貢の名)は、天命を受けずして、なお自己の財産をふやすことに努めている。この点、顔回とは遥かに修養の深浅を異にしているが、しかしこの賜も、深く思慮をめぐらして物事を考えると、大体、道に中るだけの事は出来る人物である。 一を聞けば十を知る顔回は、貧しく米びつは空になり、子貢は天命を受けていないのに材を

いそがしい…

いつもの倍、ここのところ、耳鳴りがしたり、めまいがしたりするので、絞りたかったのに、思いの外、忙しかった。 目が回るほど忙しいというが、予定外の業務が発生したので、早く始めたが、予定外が折り重なって来る。連休明けかぁ、しかたがない。 先延ばしにしようと思っていたけど、すぐに対応が必要なことばかり、手が離せなくて、電話に出なかったから、直接、みえたりして、その対応もシングルでなく、ダブル。その対応で電話が取れないと、別部署の依頼書を置いていかれた。電話も鳴っている。 ちょっと、できないかもと弱気になっていると、耳鳴りが… わたしは、電話のリングトーンが聞きたくなかったのか… 弱気はいかん。手順を立て直して、対応した。駆り立てられる気持ちでするのがよくないので、その気持ちに気づいて解消した。 こんな時に、なんで機械が故障する。これを直せるのは、私しかいない。業務の終わり、直前に20分ほど時間ができたので、修理した。必要な部品のストックをしておいてよかった。 小さなモーターのカーボンの消耗と気づいて、自腹で直す人は、もう後から出てこないだろうなぁ。  

ねぎの定植

 なすメンテ 小雨だったが、なす、トマト、きゅうりが心配で菜園に行ってきた。きゅうりが元気がなく、後から植えた苗に期待。なすは、埃っぽいと思っていたら、ハダニが出ていると園主からあり、農薬を散布した。 収穫だけして、帰るつもりだったが、雨も降っていて、種まきに適していると園主からあり、人参も種まきををした。日照りの時に蒔いても、ジョウロで水やりをしても、必要量の水は浸透しないので、発芽しないとのこと。お湿りがある今でしょう、とのこと。 ねぎの定植 2.4m×0.7mの真ん中に15cmぐらいの溝を掘って4cm間隔でネギ60本を並べて土を軽く寄せる。粒剤を60g撒いて土と混ぜる。定植した溝の周りに肥料と石灰を土とよく混ぜる。雨降りでちょっと雑になってしまった。  肥料は野菜名人を缶1杯と石灰を缶3/4 農業体験農園は、農具も肥料も準備されていて、至れり尽くせりだ。

核抑止と沖ノ鳥島の埋め立て

核抑止 核抑止(かくよくし)とは、核兵器の保有が、対立する二国間関係において互いに核兵器の使用が躊躇される状況を作り出し、結果として重大な核戦争と核戦争につながる全面戦争が回避される、という考え方で、核戦略のひとつである。核抑止理論や、比喩的に「核の傘」などとも呼ばれる。( Wikipedia ) 国連安保理の常任理事国で、核保有国のアメリカやロシア、中国など5か国は共同声明を発表し、「核戦争に勝者はいない」として、軍事的な対立を避けるため、外交的なアプローチを追求する姿勢を示すとともに、核の拡散防止の重要性を訴え、軍縮に努めていく姿勢を強調しました。( NHK 20220104 ) 来月になれば、NHKなどで核問題について特集されてると思う。核抑止は本当に作用するのか、疑問もあるが、核攻撃にさらされたら、日本は壊滅的被害が出る。 日本ではあまり報道されていないが、中国は、「 日本が台湾有事に軍事介入すれば、中国は即座に日本への核攻撃に踏み切る 」と表明している。 日本も戦略ミサイル原子力潜水艦の配備を検討してもいいのではないか。 尖閣諸島を取り来るのも時間の問題と思う。日本の主権と領土、領海をいかに守っていくのか、考えたい。 相互主義 外交の考え方に相互主義というものがある。相手国の自国に対する待遇を相手国に対しても同じ待遇をする。 日中両政府は現在、互いに大使館のほかに領事館6ヵ所を開設している。日本の在中国公館がすべて賃貸なのに対して、中国公館は、新潟と名古屋を除いて土地も建物もすべて中国が取得した。再度指摘すれば、それらは無税なのだ。相互主義とは名ばかりで、実態は片務主義である。( 相互主義が成り立たない中国に国土を買われるままにしておくのか ) 我が国の主権と領土・領海の堅守及び海洋権益の保全 沖ノ鳥島を岩と言って非難する中国は、南シナ海で岩どころか、埋め立てをして島をつくって、自国の領土・領海と言い張っている。その中国も1988年に中国人民解放軍機関紙『解放軍報』に、 沖ノ鳥島の保全工事を評価 している。 日本も、中国に倣って、沖ノ鳥島周辺を、福島の除染作業で出た土で埋め立てしてもよいのではないか。 はじめて春秋館で、沖ノ鳥島を除染土で埋め立てる一石二鳥のアイデアを耳にして、目から鱗が落ちた。すぐに国交省と官邸に意見を述べた。 中国の狙いは尖閣諸島だけで

君子成人之美 不成人之惡

君子は人の美を成し、人の惡を成さず。 顔淵第十二[一六]  君子は、人の美しい心のありようを完成させ、人の醜い行いを成させないようにされる。 教育、指導とはそういうものではないかと思う。その人の個性に合わせて素質を観ていき、長所を延ばし、欠点を淘げる。 維摩会 春秋館で学ぶ、理解が深まり、思いがけないところに発見がある。 気づきは喜びとなり、 一歩まえに進む勇気となる。

茅を登るカニ

職場の近くにいた。海から遠いから、海で産卵するアカテガニやベンケイガニではなさそう。毛も生えていなかったから、モクズガニでもなさそう。 なら、サワガニかな? このあたり、淡水しかないし。日本固有種らしい。 ちょっと嬉しい。 そういえば、写真は遠慮しておくが、浴室にカマドウマがいた。湿気が多いから入り込んだのだと思うが、ちいさいころ、便所コウロギと呼んでいたから、不潔っぽいのかな。けっこう大きいので、シャンプーしている時に背中に乗ってほしくないなぁ。 昨夜は、乗ってこなかった。  

トマトいいかも

菜園ではない、庭のトマトだ。一番果ではなく、二段目のトマト。菜園のトマトも順調でミニ、中玉、大玉も採れている。ちょっとしたトマト大臣だ。ただ、菜園ではカメムシを見かけるので、少し吸汁されているかも。吸汁されていると、成長せず、変形し赤くならない。白菜、キャベツにつく夜盗虫は一匹づつ退治していくが、カメムシは薬剤対応、あまり農薬は撒きたくない。 ナスも順調、雨が降ったらからか、葉っぱのホコリっぽい感じがなくなってきた。よし、よし。 菜園の遅蒔きのとうもろこしもそろそろよさそうだ。試しに1本採ってきたが、びっくりするほど、ふっくら、やわらかく、甘い。楽しみ、楽しみ。  

信じているのか、疑っていないのか

わたしの課題なのだが、信じることは、信じることを持続させる努力が必要で、本当に信じることは、疑わないことではないかと思っている。同様に、疑うこともネガティブな力を持ち続けているのだと思う。 他の人に聞いてみたところ、信じるは信じるで、信じていることを疑ったことなどないと。心が素直な人はそういうものなのだと思った。 信じていると言われると、信じなくなったりするのかと思う。疑わないことは、疑わないだけで、なんら精神的な努力を伴わないのではないかと。疑うこと、ネガティブな努力を手放した時、その人は解放されるのかもしれない。 今朝、身体が本調子でない時に、電話を受けて、なんでもないことを、ちょっと責められている?と誤解した。不幸な展開を想像をした。そんな不毛な努力などまるで必要ないのにである。 体調管理をしっかりしておかないと、メンタルもやられてしまうようだ。 体調管理などと言ってられないほど、忙しかったけど… もう、寝ようっと。  

聞きたくない

他人様のストレス を書いていたのは、自分のストレスがあったからだと気づいた。 一週間ぐらい、耳鳴りがしていていたが、いよいよ耳閉感があり、右耳が聞こえにくくなってきた。左右で音の聞こえ方が違う。 近隣の耳鼻科で診てもらうと、低音障害型感音難聴とのこと、右耳が左に比べて低音が聞こえていない。幸いにして、すべてのレベルが落ちる突発性難聴ではないので、ステロイドとかは使わない。 環境が変わったのか、ストレスはあるのか、寝不足はないかと聞かれる。全部、心当たりはある。今のところめまいや吐き気はないが、メニエル病に準じた薬が出た。 治りやすいと言われているが、治らない人もいるし、再発する人もいるとのこと。それってすべての場合があるということか。 何が聞きたくないのか、気づきたくないのか、聞こえなくなった。

きょうの菜園

枝豆は順調。葉も黄色くなってきたから、全部採った。このまま置いておくと大豆になってしまう。 ぷっくりいい感じに育った。ありがとう。 きゅうりがねぇ、なんか下の方のきゅうりは曲がってしまう。上の方は水を上げて元気がいい感じなのに。ちょっと調べてみる。 不適な気温とか株の疲れ、肥料、水の不足。まあ、そうだよねという感じ。 なすも順調だけど、葉っぱがホコリっぽくなってきた。なにか病気の兆候だと思う。対処します。 ピーマンっていつもこんな感じ、じっくり大きくなっていく。あまり置いておくと、パプリカになってしまう。 トマトは、ここ数年、いい感じ。家内はもって収量欲しいらしいけど、こんな感じじゃなかな。5つ以上つけると実が小さくなったり、落果してしまうらしい。  

いま、たいへんな方々

五月病 ちょっと、みかけていなかった方がみえた。どうしたのか尋ねると、五月病になってしまって、来られなかったとのこと。 昔は、毎年五月になると、気持ちが塞いで、体調が悪くなるから5月が来るの憂鬱だったけど、暫くそんな症状を忘れて、身体が丈夫になったものだと思っていた。 けれど、最近、膀胱炎になってから、そういえば、昔、五月病になっていたと思い出したら、また、五月病になってしまって、よく眠れないとのこと。 私が、「もう七月だから大丈夫ですよ」と言うと、明るくカラカラと笑っていた。たぶん、快方に向かうと思う。 オペ看 もうおひと方は、超激務な看護師さん、オペ室勤務のオペ看、器械出しもするし、手術器具の準備、滅菌もする。この科のこの先生のこの手術には、この器具まで準備しておけばいいと分かるのだそうだ。事前に必要な器具を聞いて準備するそうだが、使うと書いてないが、たぶん使うだろうという器具を予め準備しておくとのこと。「凄いスキルですね」と言うと、別に、単に経験があるだけだからと言う。 忙しい 滅菌を担当していた助手さんが辞めてしまって、補充がない。手術が夜までかかると、その後、器具を片付けて、洗って、滅菌器に入れる。帰りは深夜。 翌朝は、朝から手術の準備と、オペ室に入って器械出し。手術が終わると片付けと洗浄、滅菌。次の手術の準備。その間、外来と病棟で使う器具の滅菌もこなす。 朝から晩までフル稼働でしばらく休んでいないとのこと。 皮膚の乱れ もうこれ、腕や膝を出して、見てよと、 皮膚が赤紫色だったので、「えっ、紫斑?血小板下がっているの?」 皆そう云うけど、そうじゃなくて、アレルギー。ずっとステロイドを飲んでいる。 ストレスよ、ストレス。休みを申請しても取らせてもらえない。 夜も眠れない。眠剤飲んでもダメで、抗うつ剤を増やしてもらったけどダメと。 手の爪を見たら、爪白癬のような感じ、げっ、ステロイドの副作用の真菌症か? 手もしわしわでお婆さんのよう。まだ、そんな歳ではない。 みんな、私が辞めないと思っている。もう辞めてやると吼えていた。 二週間ぐらい休んで温泉行くか、辞めないと回復しそうにないと思った。  

最後のママチャリ

  ハブの横ブレ ママチャリの後輪を替えてからの車輪の横ブレ、 ハブの精度のせい にしたが、ハブの締付けが足りなかったようだ。 ダイソーの万能レンチ 調整するには、薄い15mmレンチが要る。専用のレンチではなく、ダイソーの100円の万能レンチにした。何度も使うようなものでもないし、大きいトルクをかけるものでもないから。 玉押し調整 ハブの内側が15mm、外側のナットが17mmだった。ハブにベアリングを押さえつける力を微妙に調整する。(ハブベアリングの)玉押し調整と言うらしい。締め付け過ぎるとゴロゴロと車輪の動きが渋くなるし、緩いと現状のようにカタカタと左右にブレる。こんなところだろうというところを出して、また締めたり緩めたりしていく。 チェーン引き チェーン引きに内側外側の区別があるので、平な方を内側に接して入れる。 チェーン引きのナットがあまりに錆びていたので、チェーン引き、一個100円程のものを左右で二個購入した。緩まないナイロンナットだけ買ってもよかったかも。 中心出し 一番外側の15mmの後輪のハブナットを仮締めして、タイヤが中央になるように、チェーン引きを調整していく。ブレーキを取り付けて、左手のブレーキの引きぐあいを調整して終わり。 試乗 以前のような、コツコツ感、後輪の揺れた感じもなくなった。 最後にブレーキワイヤーの後端にアルミのキャプをつけて、少し潰した。 我が人生最後の自転車 これが、わたしの人生最後のママチャリとなると思うと愛おしく感じる。大事に乗ろう。 けっこう錆びているから、たまには、錆取りでもしてあげよう。

とうもろこしの食べごろ

とうもろこしの食べごろが来たようだ。とうもろこしの上部のひげの部分が茶色くとろけるような感じになり、皮の上から身を触って、ぷっくりした感じだったらOK。 菜園の人たちは、本当においしいのは、3日間。そこを外さずに採らないといけない。夜間に糖分を貯めるので、朝方に採ること、とのことでした。きっと昼間は光合成や成長するのにその養分を使うのだろう。 今日、採ったのは最高。とったらすぐに家内が手を加える。今日は、焼きもろこしを醤油で食べた。おいしい。  

散弾

安倍元首相が撃たれた。後ろから散弾銃で撃たれたようだ。 SPは、なにをしていたのだろうかと、車の中で第一報を聞いて思った。回復して欲しい。 後ろが開いているところに散弾銃で撃たれたとのこと、一般的な散弾銃なら銃身は長いから、持ち歩いていても、肩に銃床を当てて構えていても気づくと思うが、銃身を切った銃で腰だめで撃ったのか。銃身が短いと散弾は、すぐに広く散らばる。 手製の銃か。鉄パイプを切っただけのようだけど、一つのパイプに6つ弾を入れていたと報道があった。二連の各単発だろうから、撃鉄式ではなく、電気的な火縄銃の構造なのだろう。 後に報道されるだろうけど、詳しく構造とか報道しない方がいいと思う。 マネして作る者がが出てくるだろうから。 地方だから、後ろの警備が甘かったのか、残念だ。 ※安倍元首相、お亡くなりになりました。 ご冥福をお祈りいたします。  

今日の収穫

自転車の試乗も兼ねて、菜園に行った。後輪の空気圧を少し高めにした。 走り出すと、なんか歪んでいる音と揺れ、菜園で見てみると、車輪が少し左右にブレる。チェーン引きを調整して、ハブナットを調整の為にいいからかんに締めたきりだったか。後で締めておこう。(ああ、やっぱり締めていなかった。締めたら少しましになった。けど、ハブ自体にブレがある。少し高め(1000円ばっか)だったけど、シマノのハブにしておけばよかった。たぶん、人生最後のママチャリなのに…) 雨降って、なすは順調に育っていた。きゅうりは見落としでヘチマになっていたり、微妙な形で、ちょっと今一、何かが変だけど、まだ分からない。 トマトが色づいてきて、これもまあ良しとしよう。 明日は、姉のところに、柔らかいうちに枝豆とほぼいけてるとうもろこし、なすを届けにいこう。  

盛りだくさんな日

朝のゴミ出しから始まって、職場に着いて、先延ばしにしていた材料屋の請求書を処理してから総務へ、ついでに物品の請求書を出す。事務に寄って、会計のリセット、集計業務。 まだ、貯めている日報があるけど、今日はやめておく。他部署に出したものを取りに行って帰ってくると公的機関から電話が入って、借りたいものがあると、忙しくなりそうだ。 今日は、月に一度のちょっと面倒くさい業務。4月からシステムが代わり、まだ感覚的に馴染めない、便利なんだけど、オンラインサポートもあるけど、コールバックが二時間後だったりして、今すぐに解決したいのに、電話もとる間もないことになったりしている。だからといって膨大なマニュアルを読む気になれない。 お昼になって、サポート業務の人が来て、あっさり終わった。出来る気にはなったが、ちょっと手順が複雑だから、そんなにあっさりされると覚えきらない。メモもとれない。でも、まぁいいか。 今回は、本来業務が順調だったからすべて時間通りに進んだ。 でもこれから午後の仕事、けっこうみっちりある。  

ん・まい

朝、畑に行って、試しにとうもろこしと枝豆を採ってきた。 うまい、とうもろこしは、若干わかい感じだけど、来週あたりまでの3日間ぐらいが、たぶん、おいしさのピークになると思う。 枝豆は、少し、小ぶりだけど、欲をかいて、大きくなるのを待っていると、固くなってしまう。もう食べ始めた方がよさそう。 すごく小さなきゅうりは、家内が間違えて、きゅうりの主茎を切ってしまって、その残り。急遽、新しい苗を植えた。友人から魔法の肥料、(超すぐれものだけど、マル秘の製法を農法の達人みたいなおやじさんだけが持っている)を使ったので、すぐに他のきゅうりに追いつくと思う。それも楽しみだ。 人参は、これからだけど、まだ種が届いていない。うまくできるといいなぁ。  

素晴らしかったけど、違う

状況を詳しく書かないが、その昔、その気に触れた瞬間、(接触ではありません) この感覚だったら、死ねる。と感じたことがあった。愛なのだろうけど、安心感が先立つ感じだった。悦びともちがう。 なんと表現していいのか分からないけど、人は、これを感じているのなら、死ねるなと感じた。 でも、それは、私が求めていたものであったかもしれないが、 いや、求めているものであったが、 本当に求めているものとは違っていたようだ。 すごく素晴らしいものだったけど、残念だけど、違うものらしい。 瓶に手を入れて中のものを摑んだつもりが、握ったままでは、手は抜けない。 本当は、瓶もその中身も存在してはいないのに、私自身が勝手につくりあげているようだ。 でも、現実に、手がぬけない。と錯覚している。  

集中すること

知覚情報の視覚の割合は、83%だそうだ。感覚は、かなり視覚に頼っている。 私は、何かに集中している時は、やはり、目で追って、目を使っている時が多かった。 今日は、視覚に頼らずに、意識を集中させた。 これが、なかなか、時間を稼げない。すぐに思考などの雑念が湧いて出る。 そのあたりだろうけど、そこじゃない感というか、すり抜けていく感じとちょっとちがって、 かゆいとこを掻いているはずだけど、微妙ににそこじゃない感かな…  そもそもほんとに痒かったのだろうかと思考し、何をしていたんだっけと呆けてしまう。 そこにフォーカスしようとする意識が、フォーカスそのものを妨げる感じか。 集中することと、集中していることはちがうことなのか? 作意があってはいけないが、なくては到達できない。 そんな感じかな? うまくできないことは、つい、歳のせいにしたくなる。 まっ、普段、実践していないだけのことだけど。 ここは、実践を重ねて超えて行きたいポイントだ。と意味不明に終わる。  

か・ゆ・い

自転車の後輪が届いたので、組んだ。 ママチャリから後輪を外すのは、ナットをいくつか緩めるだけなので、あっという間に外せた。 いざ、組もうと思ったら、ブレーキがローラーブレーキで合わない。購入したのは、バンドブレーキ用のバブだった。大失敗だ。急いでバンドブレーキを買いにいく。今は、バンドブレーキではなく、サーボブレーキと言うそうだ。 知らなかった。でも、仕組みが違う、バンドで巻いて止めるか、バイクや車のドラムブレーキのようにシューを押しつけて止めるのか。 一応、部品をつける順番を覚えていたはずなのに、これ、どっちが外側?みたいな感じがあったり、サーボブレーキが意外と大きくてあっさり収まらない。車輪をつけるフレーム最後端に10mmのナットを締めていく仕組みの車軸のテンショナー、錆びていて動きが渋い。適当に締めたら車軸がぶれてタイヤがフレームに当たる。緩めて、車軸を止める15mmのナット緩めると、今度は、スタンドが自己主張しだす。 自転車屋さんなら、なんてことないことだと思うけど、思いの外、手こずる。その間に蚊が集まってきて、くるぶしから下を狙って刺しやがる。痒いけど、チェーンをなぶった油まみれの手袋で足を掻くわけにもいかない。とてもかゆい。スタンド、フェンダー、荷台を収めつつ、車軸を直そうといじっていると、ナットを緩めるとナットが飛び出して外れたりする。それも、しゃがんでいて、手が届かないところに転がる。手を離すと、荷台とフェンダーがびろ~んとなる。 ああ、かゆいし、だんだん暗くなってくる。いい加減に組んで試走してリヤブレーキをかけると効かない。ワイヤーがゆるすぎた。ワイヤーを締めてもう一度、なんか、ローラーブレーキの方が効きがいい感じだった。またがっかり。次回はローラーブレーキのハブにしよう。 けど、この自転車、20年前に買って、タイヤも含めてはじめての後輪交換だ。私って、あと20年も生きていて、自転車に乗るのか? 数年前、2000年前に購入したエアコンを交換した時に、この新しいエアコンが壊れるまで、自分は生きているのだろうかと思った。 最近の家電は、ネットにつながり、風向、風量、人感センサー、自動清掃したりして、可動部分が多いからそんなに長く使えないかもと思いながら、これが人生最後のエアコンかなと思った。 そういえば、車のCVTが壊れた時も、最後の「上がり」の車、な

さ・む・い

しつこく暑いと書いてしまったので、カウンターで寒さについて。 20年以上前、冬山登山に行った。仕事が終わってから行くのがよっぽど嫌だったのか、一度目は、行く途中で車(E36)のバッテリーが上がった。困って周りの若者たち、かなりヤンチャな雰囲気だったが、声をかけたらノリでガソリンスタンドまで押してくれた。スタンドでなんとか合うバッテリーを無理くり入れて(+端子のLRは合ったが、底の固定の形状、リップが違っていたか)なんとか集合地点に向かった。無事に登って、下山。たぶん、赤岳。 次は、ちょうど代車に乗っていて、談合坂SAの手前で白煙モクモク、速度も落ちて、トロトロとやっと駐車スペースに入れたら、そのまま事切れて、エンジンもかからなくなった。車屋さんに動かなくなった車をローダーで取りに来てもらった。 サービスエリアにタクシー呼んで、最寄りの駅に行って、そのまま、駅のベンチで夜明かし、冬山装備を持っていたから寒くはなかった。 翌朝、電車で山へ向かった。常念岳だったかな? 皆と合流して、夕方にテントを張れるところに着いて、もう一人、ベテランさんを待った。そのベテランさん、真っ暗な中、何張りもテントがある中、探して辿り着いた。GPSの座標を送って来てもらうなんて時代の前、なんという能力かと思った。 私は、冬山用の暖かい装備をしていて、外は零下20度ぐらいで寒いけど、汗だくになってテントの設営をした。身体は熱いが、外気温が寒い、トイレに出ると尿がそのまま凍るほどなので、汗で濡れた身体はどんどん熱を奪われる。小さなガスストーブで暖をとったけど、全然、暖かくならない。 段々、寒くなってきた。重ね着をしても、身体を震わせていても、手で擦っても暖かくならない。 いよいよ、体温が奪われ、やばい感じ(血圧低下、脳の血流量が低下)がしてきた。 どうしても、体温が上がらない。 その時に気づいた。人はこうして死んでいくのだと実感した。 このまま、体温を奪われ続けたら、死ぬと。 もう、どんどん脱いでいった。 遭難する人って脱ぎ始めて、雪の中、外に出るっていうのを思い出した。 幸いにして、外に出たいとは思わず。 素っ裸になって、タオルで汗を拭き、下着を換え、 温かいものを飲んだら暖かくなった。 冬山で汗をかいたら、脱いで拭いて、温かいものを飲む。 そんなことも分からなかった。 けど、死んでしまうかも体