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8月, 2022の投稿を表示しています

こばんそう

米国加州にいたころ、友人に誘われて、米国人の牧場に遊びに行ったことがあった。 ランチではじめて、ショットガンやハンドガン(H&R:安価な銃メーカー)、22口径のリムファイヤーだったかを撃たせてもらった。 別の機会に、マグナムショットガンを撃たせてもらったことがあった。肩を外すかもと、ジョークと思っていたら、撃った瞬間に銃身が大きく跳ね上がり、凄い風圧で衝撃があり、目が見えなくなった。何が起きたのかと思ったら、サングラスのレンズが両眼とも外れてしまった。火薬の多い銃を撃つ時のサングラスは伊達ではなかった。 その家では、ビールを手作りをしていて、ちょっと、甘酸っぱめだった。日本の手作り地ビールでは出会わない感じだ。家内に話すと、ベルギービールなら、そういう味がするものがあるかもしれないと、よく知っている。 日がな、ポーカーなどして遊んだ。友人がアップルパイを焼いてくれた。 トイレに借りると、そこに枯れたこばんそうがガラス瓶に無造作に挿してあった。妙に懐かしい感じがした。その写真は撮っている。出てきたら載せたい。  

すこし涼しくなった

この先はわからないが、ここのところ涼しい。雨もふってくる。雨もふらないとにんじんが心配だ。ちゃんと育って欲しい。 からっと晴れた日よりも、こういう曇天の方がなんか落ち着いて作業ができる。やっと一つ宿題が終わりそうだ。宿題といっても単純な作業を積み重ねるだけだから、目は酷使するけど、さほど労力はかからない天候に左右されない作業だ。 これから本格的な読書の秋になりそうな予感。学生の頃みたいに、横になりながら読もうか。そういえば、あんたは、体力が無いから縦になって本が読めなかったねと言われたことがあった。その時よりか体力はありそうだけど、いかにせん、歳をとってしまった。  

雲を観る

林間学校で熱をだしたことがあった。皆は遠足に行ったが、わたしは一人で宿泊施設に残って窓から雲を見ていた。長い時間だった。 はじめは、空をなんとなく見ていた。そのうち、雲が出てきた。雲は、いろいろと形を変えていった。絹雲、積雲、層雲、積乱雲。その变化する姿に魅了された。実にきれいだった。写真に撮ってのちに夏の課題研究とした。  その時がはじめての観察だったような気がする。観察するという意識をもって、時間を追って、変化を記録していく。その変化について考察していく。 いや、違うな、3,4歳のころ、都電の窓からビルヂィングを見た時か、 もっと前に庭にいた蟻が隊列をつくって砂糖を運んでいる様子をじっと見ていた時か。 しかし、観察している自分に気づいていたわけではない。 わたしは、いつから観察する自分に気づきはじめたのだろうか。

夏に香るアベリア

近所のアベリア 柴との散歩の途中で、夏には珍しい香るちいさな花を見つけた。香りは、うすら甘い感じ、うちの庭に欲しいけど、調べるとアベリアは日当たりがよいところを好むとのこと。うちは、日当たりがよいところが少ないから見送りか、鉢植えのものでも入手するか。 今朝はちょっと蒸したので、柴は、途中で止まりがち。 することしたので、早々に退散した。 暑いから、食も細くなっている。犬も夏バテするものなのかと思う。 うちは、野菜が採れるので、しっかり食べるけど、きゅうり、トマトが終わり、ここしばらくは、なすとピーマンとししとうか、いんげんや水菜、かぶもけっこうすぐ採れるようになるから、まあいいか。にんじん、徐々に発芽してきたけど、どうなるか。 来週は、キャベツ、ブロッコリー、ロマネスコ、カリフラワーの苗を植える。少し高い畝をつくる。  

なすの切り戻し

 発芽したばかりの時は、分かりにくかったと思うが、すっかり、いんげんらしくなった?かな。 ほんとは、一穴置きに二粒づつ蒔くのだが、なんか違っている。いんげんは、けっこうワシャワシャになるので、間隔をあけないといけない。人によっては、リング状の支柱(朝顔に使うものみたい)を使っているのを見かけるが、茎がしっかりしていると、けっこう真っ直ぐ立ってくれるので、いんげんが土につかなければ、そのままにして置く。下がって土につくようなら、グラスファイバーの弦との間に麻紐を通して支えとする。いんげんもけっこう一時期になって、一気に収穫する感じだ。 なすの葉がすこし混んでいるが、これを少し整理、切り戻しした。 今日は、涼しいけれど、菜園に居る人は少なかった。 水やりをしていると園主さんから声をかけてくれた。園主さんは気さくな方で、菜園からの行き帰りに、家内と歩いていると、軽トラを運転中に声をかけてくれる。 なすの切り戻しについて聞いてみた。「なすの三本仕立て、切り戻し」となんども聞いている言葉だが、どうやってやるのか知らなかった。なんという「ほったらかし農法」というか手抜きなんだ。 今回、はじめて聞いてみた。主となる枝を三本にすることは、はじめに聞いて、それを主にして伸ばす。実は、この三本を選ぶのも、どの枝がどう三本となるのか、悩ましい。そこから、脇芽が出て枝になるが、その枝の太さや伸び具合に見て、脇枝にできたなすを一本か二本収穫したら、下の葉の上のところで切ってしまうのが、切り戻しだそうだ。おお!花がついたのを惜しんではいけないのか。 そうすると、葉の脇から芽が出てくるので、それを伸ばしてまた、一つか二つ収穫して切り戻すといい大きさのなすが採れるとのこと。なすの枝を整理せずにそのまま伸ばしたままにすると小さなものしか採れなくなるそうだ。余計な葉や茎を伸ばしてしまうと、そこに栄養をとられてしまうから、実が大きくならないのだと思う。 また、なすの周りの葉は取っておくようにとのこと、なすが傷つくからだそうだ、なすは、葉で摺られると茶色く傷が入る。 そして、枝は下に向かないように支柱で支えるとよいとのこと、枝が下を向くと成長がわるくなり病気になるとのこと。 万物、常に天に向かって育つのかぁ。メモしておこう。 きょうは、園主さんと話ができてよかった。聞きたかったことをたくさん教わった。 な

にんじんの芽がでた

微妙すぎてわからない 家内が運動をしに出かけるので、代わりににんじんの水やりをおおせつかった。 後輪を修理した自転車で出かけた。快調だ。  発芽していたインゲンと白菜、にんじんに水をやった。にんじんの種を蒔いたところを目をこらして見てみると発芽していた。昨日は、関東は雨がふったようだが、うちの近所だけふらなかったようだ。それでも一昨日あたりはふっていたので、そのおかげで芽がでたのだと思う。 涼しくなったので 非常にわかりにくいけど、黄色の○で囲ったところい発芽している。 まだ、ちゃんと成長するか不明だが、芽が出てよかった。 明日もまた、水をやりに行こう。 暑さも和らぎ、自転車が快調にはたらいたので、耐水ペーパー、コンパウンド、CRC6-66(5-56でないところがみそ、マリン用)で錆を落として磨いた。 久しぶりにきれいになった。きもちがいい。ありがとう。

ハンドサイン

トンネルを抜けるとそこは… 維摩会 春秋館に行く途中に地下道がある。すごく稀に、ネズミ捕りをしている。トンネルを抜けると、笛を吹かれ、止まれの逆三角形の赤旗を振られて、はい、御用。ご丁寧に側道に白バイも跨って待機している。 幸いにして捕まったことはない。トンネル内ではどんなに煽られてもスピードは上げない。 真ん中に隔壁があるトンネルだから、対向車の支援もない。下りきったところに電光管が待ち受けている。そこには申し訳程度に、ローラースケートのスラロームに使うようなすごく小さな赤いコーンが二つ立っている。 今はもう、その小さなコーンは見逃さない。 ロードバイク 通勤路に30km制限の道がある。ここも稀に取締を行う。 そこを走っていると、ロードバイクの人が、手の平を下に向けて上下した。 あっ、スピードを落とせということね。スピードを落として進むと、ネズミ捕りをしていた。前から見ても、気付けない感じで。 対向車からパッシングをもらうことはあるが、自転車からのサインは初めてだった。 それから、自転車の動きをより一層見るようになった。有難うございます。  

2ストローク バイク

これは、見たことがない、ドイツのシムソンのバイク。 昔、友人がチェコのJAWAのバイクに乗っていた。なんか、キックとシフトと同じペダルだった気がする。立ちが強いバイクだった印象。 一緒にツーリングとか行った仲間は、カワサキのA1という旧い2ストバイクに乗っていた。私もKRという2ストだったので、いつも最後尾で走った(煙がモクモクだったので)。 米国でハスクバーナに跨がらせてもらったけど、足が全然届かなかった。つま先立ちでも無理っぽい感じだった。KH750は、超じゃじゃ馬で、乱暴にアクセルを開くとすぐに前輪が浮く。 日獣畜大へ行った高校の時の友人は、スズキのGT750、ウオーターバッファローに乗ってきた。存在感があった。 その昔、福田モータースが、赤坂というか虎ノ門というか、六本木の手前というそんな場所にあって、ショールームに行くと、ブルーマウンテンのコーヒーが出た。美味しかった。 水平対向のBMWのエンジンが静かにスコスコと回っていた。 ドカティが来るとドコドンドコドンと不等間隔爆発していた。 シャフトドライブのモトグッチは、アクセルを空ぶかしすると、車体が傾いた。  懐かしい若き日の思い出。

クイズ、何の発芽でしょうか?

さて、前回、蒔いた種、発芽しました。 いったい、何の発芽でしょうか。 ”ドラムロール” つるなしインゲンです! 蒔いてから雨も降ったので、もう発芽した。 にんじんは、まだ、芽がでない。 水をやってじっと待つことにする。 こちらは、白菜。 こんな可憐な発芽なのにどでかくなる。 植物の力、土の力、陽の力、時空間、生成化育を感じる。 私も自分にしっかり水をまかないと、芽がでないかも… なんて、四の五の言わずに、やるべきことをやっていかないと。 これから、宿題に取り掛かる。

羊からはじまる祈り

羊さん 漢字の羊にみえる 羊さんは、供物、生贄とされてきた。その羊さんは、つかまった後、大きく育てられた。羊に大と書いて「美」となる。大きく太った羊は美しい。 羊を示すことは、 祥 ( さいわ ) いだ。 義は羊に我と書く。私は、我を羊として犠(いけにえ:牛さんもついてきた)することかなと思っている。義に虫偏がつくと蟻さん。川を渡るときは、つぎからつぎへと溺死しながら仲間を渡河させる。何という犠牲的行為か。 中国のいまの四川省あたりに 羌族 ( きょうぞく ) という民族がいた。羊に「儿(ひとあし、にんにょう)」、人の足が生えた。 そう、 羌族 ( きょうぞく ) は生贄とされていた。捕獲された後、美食を与えられ、美人にされてから、捧げられていたようだ。 教えるの「教」も結構凄い。 「教の旧字体は「敎」です。「敎」を分解すると、「爻(こう)」+「子(し)」+「攴(ぼく)」です。「爻」は「交まじわる」、「子」は「両手」、「攵(攴)=ぼくづくり」は「動作」を表あらわし、「先生が生徒と交わること」、つまり、「先生が生徒に教える」という意味が生まれたとされております。( 産経国際書会 )」 この「 攵 ( ぼくにょう ) 」どんな動作かというと、又(手)にムチや棒を持って叩く動作だ。 牛をムチで囲い込むののは、牧場だ。 子にものを教えるということは、正に鞭撻すること、「叩き込む」ことだった。 禅宗には、竹篦、警策など、鞭撻、叩き込む道具がある。 今の世の中、子供にものを教えるのにムチを持ち出したら、お縄になる。 愛なく子を叩いてはいけない。では、子の過ちを改めるのにはどうするのか。 改めるは、己の身体ではなく、己の過ちを叩いて悔い改めるのか? そうではなく、己の本体ではなく、巳(み=蛇)を叩く。 巳に攵で、攺(イ)、 邪気をはらうために身に着けた装飾品。金属や玉、桃の木で作った。 「攺は巳(シ)と攴とを組み合わせた会意の字。巳は蛇の形をした蠱(こ)というもので、他人にのろいをかけて災いを加えようとするときに使われた。これに攴を加えて打つというのは、自分に加えられようとする災いを他に移し、変更しようとするもの一種のおまじないであった。改めるというのは、もとはたたり(わざわい)を祓(はら)い清める儀礼をいった。それで改は「あらためる、あらためる」の意味となる。( 常用漢字の筆順

これでもか

下がしょぼいにんじん、中がえごま、上が終わっているトマト。 トマトは、もう終わり。茎が黒くなり、硬くなり、われてきた。きゅうりも最後の一株は、成長せずに下から枯れてきた。不調で終わりな感じ。えごまは好調で、反対側に植えたものは、収穫した。家の玄関先のものは、菜園のものと比べると葉が硬い。きっと家内が醤油漬けにする。ちょっと量が多いので、洗って少し水気をとったものの、手を拱いている。 ここの櫓を片付けたら、小松菜、ほうれん草、青梗菜を植える。 にんじんの種を園主からもらって、にんじんの種を蒔き直しした。ちょろちょろしているのが、にんじん。今度こそ、芽が出るまで水撒きだ。先程、雨が降ったので、明日はサボれるかも… そういう考えだと、芽がでなくなるのかも。反省。  

これじゃわからないなぁ

白菜の種を蒔いて、寒冷紗をかけました。といっても、この写真じゃわからないですよね。 こちらも、さて、なにを蒔いたでしょうか? 正解は、つるなしインゲンです。って、絶対にわからない。 芽が出たら写真をアップします。 昼の作業は、暑くて暑くて、とてもじゃないけど、できないので、朝、7時代にやったのだけど、それでも陽がさすと暑かった。 涼しくなるのが待ち遠しい。

ピアノの思いで

家の者はだれもピアノを弾かないのだが、友人、知り合いは音楽に関係する者がいた。 小学生のころ、友達の家に行ったらピアノを弾いてくれた。造りは和なのだが、中は洋風だった。まるで女優さんのように美しかったお母さんの趣味なのだろう。見るもの、手にするものが皆、初めてで、壁の洋画、陶器の人形、オルゴール、アールデコ風な装飾品。しっとりとした絨毯。パイプ煙草の残り香のような薫り。まるで違う世界だった。私の記憶では、はじめてちゃんとした紅茶(ティポットでいれた)をティカップで飲んだのも、そのお宅でだったと思う。友人は、エクボがかわいい子だった。成績優秀だったので、中学高校は、国立大学の附属へ行った。大学は近所の医大に通った。 中学に上って、夏祭りの時に、久しぶりに見かけたら、「あら、○○」とあだ名で呼んでくれた。顔が赤くなった。 小中学時代の友人の雄ちゃんは、電気系が強かったから、自作のアンプを作ったりしていた。アンプはきちんと音が鳴ったが、ブーンというハムノイズが残った。それとの比較ではないけど、家にラックスマンとかJBL、マッキントッシュの真空管アンプがあった。お姉さんは音大生、叔父さんは、音楽関係者でオープンリールとかも置いてあった。その時は、オーディオとかあまり興味がなかったから、どれだけ凄い機材か分からなかった。 今はもう弾けないが、出だしのワンフレーズだけ、映画音楽のテーマ曲を教わって弾いたことがあった。  学生時代の友人は、音大を主席で卒業し、新聞社の名前を冠した新人賞をピアノで貰ったが、ピアノで食べていくのは難しいようだった。

こういうやり方で貶めようとしているのか

先日、 特攻隊について 書いたが、昨日、毎日系の報道で「 特攻隊の『覚醒剤チョコ』最後の食事だったのか...記録には残されず「食べた瞬間にカーッときました」食料工場の女性や軍医の証言 」というものを見た。 国の山河、父母、兄弟姉妹を護るため、若者は生命を懸けた行為を貶めようとしているのだと思った。 「特攻隊は、人を興奮状態にさせる覚醒剤を使って、ラリって突っ込んでいった。」このような印象を喧伝したい勢力が日本にあることを感じる。 当時、覚醒剤は、疲労がポンととれる、ヒロポンとして疲労回復を目的として市販されていた。近所の薬局でだれでも買えたのだ。特攻隊に特に支給さされていたのではなく、夜間作業に関わる兵士用、夜間に飛行するパイロットが使用していた。 ウィキペディア でも読んで欲しい。 発売時には、ヒロポン、メタンフェタミンの副作用が解明できない医学水準だった。世界中に戦時売春婦がいた時代のことを、ことさらに日本特有の問題とし、また、自ら高給を望んで本土に出稼ぎに来ていたことを徴用と騒ぐ、日本を貶めたい、弱体化したい、そういうイデオロギーをもつ勢力が、日本のマスコミを支配していることは恐ろしいと思う。 先ず、気づかないことには、何も変えることはできない。 垂れ流されている宣伝を無思考に入れていてはいけない。 無思考は、隷属につながる。事物に向き合って自分の頭で考えよう。 日本で偏見なき正しい教育が為され、そこに暮らす皆が、日本に誇りをもって生活できる国となることを切に願う。  

妙にすきな風景

階段の踊り場、なぜか懐かしく好きだ。小学校の竣工は、昭和2年、近代建築だった。窓が高いところにあり、淡い光が差し込んでいた。丁度このアングルの視点から見るのが好きだった。 ねぇねぇちょっとと教室から引っ張り出されて、踊り場が見えるところで、何か秘密めいた話を聞かされると、ドキドキした。 何ヶ月か毎に、木の床に鉱物系のオイルをモップで塗り伸ばすと、決していい香りではなかったけど、学校の匂いとして記憶に残っている。 ちょっとくさい校庭の銀杏も、プールの塩素も、コークスの残火に水をかけた時の匂いも、よい香りではなかったけど、妙に懐かしい。

在宅作業

今日は、朝から作業で座りっぱなし。立ってもいない。(本当は、昨日の夜からほぼ、座りっぱなし) 昼前から神戸大附属病院のサイトもずっと落ちているみたいだし、いいかげん疲れてきたので、一休み。気温も外は35度以上あったようなので、出なくて正解だったかも。 耳石も動かさなければいけないので、後で柴と散歩にでも出よう。 夜だというのにまだ暑い、柴と散歩して帰ったら、湿ったシャツがへばりつく、不快だ。けれど身体を動かしただけ、気分は少しましになった。  

残念でならない犠牲

 戦争末期における航空機等による特攻は、海軍航空隊の大西瀧治郎中将が、マニラを拠点としていた第一航空隊着任直後だった。米軍はフィリピンのレイテ島に上陸していた。  マリアナ沖海戦で機動部隊は壊滅状態になり、艦隊航空戦力を失った。圧倒的に不利な戦況で、基地航空部隊だけで打撃を与えられる戦法は、爆弾を抱えての体当たりしかないと大西中将は考え、関行男大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊が編成された。特攻隊は護衛空母撃沈の戦果を挙げ、陸軍航空部隊でも採用されるようになった。また、航空機以外にも、人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」が開発された。特攻による戦死者は、五八四五名(海軍四一五六名、陸軍一六八九名)である。  国の山河、父母、兄弟姉妹を護るため、若者は生命を懸けた。志願から始まった特攻だった。 特攻を指揮した大西中将の思いがあった。「これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。ここに信じてよいことがある。それは、いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実・歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」と。  大西中将は、敗戦の翌日、八月十六日午前二時頃、腹を十字に切り頸と胸を刺し自決した。介錯と延命処置を拒み続けたまま同日夕刻死去。多くの若者を死なせてしまった代償はあまりにも大きい。償いきれるものではない。十五時間余りの肉体の苦痛は報いではないと思う。苦は必然だった。大西中将の願いは日本再興にあった。特攻の是非を超えて、大西中将の思いに、隊員たちは生還なき特攻を志願をし、国を護った。  欧米人は、特別攻撃隊を恐れていた。「一国が何かを入手するたびに、他国が間もなくそれを保有する。一国がレーダーを入手すると、間もなくすべての国がレーダーを保有する。一国が新しいタイプのエンジンか航空機を得ると、その後他国がそれを手に入れる。だが、日本軍は神風パイロットを手に入れたが、日本以外には誰もこれを得られそうにない。なぜなら、日本人以外の連中は、そのような性格に作り上げられていないからである」(ジョン・S・サッチ大佐 第三八機動部隊指揮官マッケーン提督の作戦幕僚「玉砕戦と特別攻撃

寝落ち

 十九や二十歳のころ、夜遅くまで遊んでいて、友人を家まで送る途中、首都高ですごく眠くなり、気がつくと一車線、車線変更していた。本当に死ぬかと思った。 随分と前に、くたくたになった後、21時から450kmぐらい走って、翌日出勤という時、家まで帰りたかったけど、どうしても眠くなり、PAで仮眠した。トイレの前に車を止めて、リクライニングを倒して寝た。すると夢を見た。高速道路を運転して寝てしまう夢だった。夢の中で、しまった運転中だ、寝てしまった、けれど視界が確保できない、眼を見開いて見ようと思っても視覚が追いついていない、見ようとする意識ははっきりとあるのに、視覚情報が入ってこない。やばい、見えていなくても、とにかく止まろうとフルブレーキを踏んだ。視覚を取り戻した。トイレの前だ。そこで目が醒めた。 意識は、 前五識 に先立つのだろう。意識があっても感覚器官はちゃんと作用しない領域があることを感じた。 もちろん夢だったが、トイレの前の車の中で思いっきり現実のブレーキを踏んでいた。心臓バクバク、呼吸はハアハアだった。そうだ、PAで休んでいたんだっけ、また眠る。するとまた同じ夢を見る。やばい、バコンとフルブレーキ。車の中で夢と気付く。バクバク、ハアハア。二度繰り返してから、自分に夢だからと言い聞かせて明け方まで眠る。 運転していて、眠くなることはあるが、カックンと来ることは避けている。カックン来そうなら、PA、SAに入れて休む。 その日は、本当にボロボロのまま、出勤した。職場に入るような格好ではないので、誰もいない時間に出勤した。朝ドラを見ていると、掃除のおばちゃんが入ってきて、いつもは、私はいない時刻なので驚いていた。

ふえてきたバイク

先日、高速を走った。SAでバイクを多くみかけた。こんな風景、昔のバイクブーム以来のような気がする。どうせ、昔とった杵柄みたなお爺ちゃんばかりかと思っていたら、そうでもない。若者は少なかったが、壮年層がけっこう居る。リモートワークで、時間ができて免許でも取ってみるか層なのか。コロナ禍前には、バイカーは息も絶え絶え、絶滅危惧種だった。  バイクが増えたせいか、バイクのトラブルで渋滞にはまった。事故と表示があったが、チラ見した感じでは、故障のようだ。 最近は、脊髄プロテクターとかの装備もあるようだが、バイクは生身だから、くれぐれも事故には気をつけたい。私の右股関節前に、コケてアスファルトで擦った紅生姜の後がうっすらと今でも残っている。 また、バイクに乗ってみたいけど、まあ、ないだろうな。

きゅうりのおわり

タイトルは、きゅうりのおかわりではなく、きゅうりのおわり。 前回、きゅうりの脇の茎や葉をすこし切って主茎だけにしたのだけど、それもいけなかったのか、きゅうりが枯れてしまった。残念。 けど、ことしはそこそこきゅうりは採れたので、まあいいか。後発の苗もまだ伸びているので、こちらに期待したい。 トマトも葉が一部黄色くなったり、焼けた感じがしていたが、枯れつつも、実はついており、まだ少しの間、採れそうだ。今年のトマトは豊作だった。感謝。  

柿をひとつ残す

なにか、原風景として柿の木に柿の実が一つだけぶるさがって(←関東地方の方言:ぶらさがって)いる。 柿を取る時に一つだけを残すことを「木守り(きまもり、きもり)」というそうだ。 なりものは、全部とってしまわずに、一つだけ残す。そうしないと来年ならなくなる。無花果や桃もそうするようだ。 「木まぶりとは、果の落ちざるものを言う。木守の義なり」と江戸時代の国学者谷川士清は書く(和訓栞)。然し偶然に取残った果実や、取りにくいので残ってしまった果のことではない。特に一個を木に残すこと、またその果の称である。成り物の木には、そういう習わしが、昔からある。」 『柿の信仰と伝承:柿の民俗誌(習俗双書第14集)』(永野忠一/著 習俗同攻会 1994) 木霊に対してのお供えもののような感覚なのだろうか。 庭の木を伐採する時も、神棚にお供物をして、ご報告してから行う。 祖父の家の庭にも柿の木があったが、それは、自然にまかせていたように思う。 この時期なると祖父の家に遊びに行って、庭にあった茗荷を蚊に刺されながらたくさん取ったのを思い出す。 うちの庭にも茗荷はあるが、やはり蚊がでるので、家内も及び腰だ。麺類を作る時には、装備して取りにいく。意外にもちゃんと香り立つ茗荷だ。 木守、感謝の気持ちをもって、菜園の野菜たちにも接していこう。  

なすはまあまあ

気温は35度ぐらいある。湿度も高く、かなり暑く感じる。  にんじんは、芽がでないで残念だったけど、なすはなんとかなっている。前は、高温が続いて、なすの表面の輝りがなく、ボケナス状態だったけど、輝りをとりもどしてきた。今年はうまくいっている方だと思う。 前は、区画ごとに秋作用に各自が畑を鍬で耕していたのだけれど、この暑さで、数年前から農園主さんがトラクターを入れて、肥料も一緒に入れてくれるようになった。ご高齢の方も多いので助かる。 自分の区画の作物と作物の際にえごまを植えているのだけど、農園主さん、たくみにそれを避けてトラクターを操作してくださった。ありがたい。こんどあったらお礼を言おう。けっこう気さくな方で、軽トラで走っていて、我ら夫婦を見かけると、窓を開けて声をかけてくれる。歳も近いからよく話をする。

芽がでないにんじん

雨が降ったあとににんじんの種を蒔いたけど、芽がちょぼちょぼとしか出ていない。この暑さで種がやらてしまったか。例年、発芽するまでは、家内がまめに菜園に漏斗で水を撒いていたのだけど、今年は、あまりの暑さに行けなかった。 これから蒔いても発芽するのだろうか?発芽地温が25度までとあったけど、今は、もっと高そうだ。今年はにんじんが採れるのかちょっと心配。 一昨年だったか、すごく葉が茂って、これは豊作だろうなと思っていたら、葉の下の根が貧弱でがっかり。昨年は、例年通りだったけど、採るのが遅れて、根が割れたにんじんが多かった。あと、耕し足りなく、土がかたくて、枝分かれしたり、曲がったものがあった。大根も同様になる。 きちんと野菜がつくれるようになりたい。

エラー続き

朝から事務方が、公的機関に送付しようとたデータがエラーで送れないと来た。この時期は、サポートの電話がつながらない。昼まで手は空かないし、サポートは昼に電話が集中するし、サポートには期待できない。 案の定、サポート電話はつながらない。今、使っているソフト、ちょっとした癖があって、「困った時は右クリック」。膨大なマニュアルは読みたくないので、エラーの原因のところを探り当てて、右クリックすると、メニューが出てきて、エラーを回避することができた。サポートに頼ることなく解決できてよかった。 仕事終わり間際に、こんどは、数が合わないと法人本部にデータが出せないとクレーム。数は合っているはずだが、担当が示すところの数字は、元帳の請求書と集計表が合っていない。データ送付ができているので、総集計は合っている。集計するコラムが少し異なっているのが、4月に導入したシステムの困ったところ。その集計システムに詳しければ、どこの数字がどこにあるのか分かるのだと思うのだが、私は、数字を扱う仕事ではないので、全体は合っているが、部分が合わない理由がピンとこない。夜になって、正規でないサポート(イントラの担当者)に電話がつながって、表の意味合いを聞いてやっと解決。なんでそれがここに入っているのかとは思う。請求書と集計表は同じ場所に同じ数字が入っていて欲しいと切に願うが、このシステムは違う。国の指針に適合しているというのだから、困ったものだ。けれど、右クリックと右側の註で、クセをつかみかけているのは、一歩前進だと思う。 けど、けっこううんざりしている。  

雨の表現

各地で豪雨の被害が出ております。被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。 歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」だ。雨が直線、斜線で表現されている。版画で細い線を表現するのは難しく、摺師の高度な技術あってのことだそうだ。この雨の線、よく見ると黒色とそれより少し薄い灰色と二色で表現されている。 浮世絵の雨の線ってどんな色? 「そもそも『雨を描く』という発想が、西洋絵画には長く存在しなかったのである。実はこれを試みて成功したのは、浮世絵の安藤広重(歌川広重)であった。雨を線で描いてみせたのである」「ゴッホの模写としても、この『大はし』の夕立が有名である。広重の描いたやや右上から左下へ流れる線が実に細密であるのに対して、模写という前提でみてもゴッホのそれは粗くて線とはいい難い」『三流の維新一流の江戸』p23-24(原田伊織/ダイヤモンド社/2016.12) 西洋絵画には、前面に雨を描く、表現するということがなかったことが驚きだった。しかし、西洋人(なんとザックリとした分類)にも、その視点、道具の使い方、ポージングの美意識に感じ入るところがあって、モネ 「ラ・ジャポネーズ」、ゴッホ 「タンギー爺さん」 、 マネ 「エミュール・ゾラの肖像」、ホイッスラー 「陶器の国の姫君」 らの ジャポニズム がやってきたのだろう。 ゴッホの「雨の大橋」は、遠近法がない浮世絵に奥行きが生まれた感じが凄い、さすがゴッホだ。

きゅうりは、おわりかな

きゅうりの葉が全体的に黄色くなってきた。まだ、少し成長点が延びているので、ここのところの暑さで疲れているのかもしれない。 トマトも相変わらず、焼けている感じ、赤くなる前に割れてしまう。 なすは、まあ順調、垂れ下がった葉っぱをまめに取って、病気予防している。 人参は、芽がでない。蒔き直しかな。  

Windows11pro note

Passmarkのベンチマークでも、うちのワークステーションと動作の速さはそんなにかわらない。たぶん、M.2 SSDが高速だからか。快適快適。 PCにファイルは保存しておらず、ほぼ、OneDrive for Businessに保存してある。無料版と違ってファイルの中身を「検閲」されていないはず。有料な分だけ、セキュアーと思いたい。 安かったから、キーボードのストローク短いかなと感じたけど、打ちにくいわけではないのでOKだ。前のMacbook Airは、11年ぐらい使えたから、ひょっとして、これが人生最後のノートパソコンになるのか? もう一台のi7ノートが2025年10月でWindows10のサポートが切れるから、後継をなにか購入するかも、それがたぶん人生最後のパソコンになるのだろうな。 その前に、最近ブルースクリーンが出るこのWindows10のワークステーションが先にダメになりそうだ。  

作業しどき

なんか、なすがしょぼくれている。各地で体温を超える気温だったからか、ぐったりしている。 きゅうりは、見に来なかったら巨大化、そしてなにげに瓢箪のような形に。 トマトも焼けちゃった感がある。ミニトマトがなんとなく、復活して身をよくつけてくれている。少し割れているけど。 菜園管理、雑草を抜いたり、具合の悪そうな葉っぱを取ったりとか、長ネギに土寄せしたりした。 今日は涼しくて作業に向いている気候なのに、菜園にあまり人がいなかった。 少し、雨がほつりと下りてきた。もう、切り上げる。  

お久しぶりです

普段は電話に出ることはないのだが、電話を取ると、とても困っている様子。なら、いいですよと言うと、~ですか?と、私の苗字を口にした。私の声を覚えているという。もう6年以上も前で手元に記録もない。声だけで分かるなんて珍しいなぁと思っていると、来られた。 お会いすると思い出した。ああ、なんとなく覚えている。前と違っていたのは、良性発作性頭位めまい症を患っていることだった。左側が向けないという。うがいをしてもらったけど、左に顔を向けらない。え~と、膿盆どこだっけ、この扉の下に方にあったはず。顎の下に膿盆を添えてうがいをしてもらった。 頭を動かすとめまいがして、お風呂場で座っていると後ろに倒れてしまうと言っていた。突発性難聴もあって、右耳は殆ど聞こえないそうだ。聞こえている左耳で、私の声を識別したんだ。それって、いい耳なんじゃないかな。私の声と知って、なんとなく親しみを感じてくれたと思った。来てみて、私の様子が以前と変わっていないと、なんかうれしそうだった。 どんな大学に行っても偉い先生に診てもらっても治らないと言われましたと。あれ、そうだったけ、耳鳴りが治らないと聞いたことがあったけど、めまいもそうだったかなぁ? 今度、見えたら詳しく聞いてみよう。  

ホテルのプール

今日は、すごく暑かった。夜に柴の散歩で少し出ただけだった。外仕事の人は、本当に大変だと思う。 昔は、都内のホテルに泊まってプールに行ってのんびりしたりしていたのだけど、このところの感染状況ではそれもないというか、貧乏になったので行けなくなった。去年は、写真の高輪プリンスに行った。中庭のプールも静かでよかった。今年は行けるのだろうか? 椿山荘とかは、毎年行っていたので、たまに、アップグレードサービスでいい部屋に通されたりしていた。前は、朝のプールのあと、プールを出たところのラウンジで軽食が摂れた。遠くから運んだ温泉のお湯につかれるし、夜になると天然ではないけど、庭園に蛍がいた。そこそこ広く、落ち着いた、いいホテルだと思う。  

十界 一念三千

地獄から仏まで、十の世界があるという。人を見ていると、多種多様で、人の気質などは、境界が曖昧なグラデーションを為しているような感覚を持つが、それぞれの世界で、明確に仕切られているのだろう。その境目を分かつものが何か、知りたい。その基準を明確に。