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10月, 2022の投稿を表示しています

仄かに暗いもの

通勤する車の中で、ふと、老子様の「玄之又玄」というか、なぜ、光ではなく玄だったのだろうかと。色界は光、無色界は玄? それすらを去ったときに顕れるもの? 玄は黒体のことか? 透明感がある黒?  

マンネリ

マンネリとはgoo辞書によると、 マンネリズム【mannerism】 手法が型にはまり、独創性や新鮮味がないこと。マンネリ。マナリズム。「―を脱する」 私の仕事は、同じようなことを繰り返すことが多いと思うが、「商い」というように飽きてしまうことはなかった。同じように見えても、扱っているものがものだけに、いつも違うと感じ、新鮮に感じている。 今、別件で単純作業をしているが、好きじゃないから苦手に感じているが、ここにインデックス入れると間違えがなく、マイルストーンとなるとか、作業そのものではなく、工夫が楽しめるからできる。 同じ性格傾向の人がマンネリしたからと離れていったと聞いて驚いた。その人は、マンネリするほどやっていない。むしろやったこともなかったからだ。 その人にとって、生きるとはどういうことだったのだろうか。 聞くまでもないか。 人のことをとやかく言えない自分がいる。 明日こそは、ちゃんとやるよ。  

今日も菜園へ

ことしは、なぜだか、ねぎをみっしり植えなかった。間隔をあけて太いのを育てようとかではなく、なんとなくそうなってしまった。けど、太く育ってしっかりした感じににんまりする。 きゃべつは、隣のブロッコリーの葉が虫食いになっているにもかかわらず、それほど虫食いがない。 こちらは、ブロッコリー、しっかり食われている。薬を散布しようと、今日も出かけたが、薬はなかった。もうだいぶ寒くなったので、不要ということか。 大根、こちらもまあまあ、例年は、みっちり植わって育っている感じだが、点前の大根は、少し小さい。このまま大きく育って欲しい。  

秋の菜園

なすは、例年になく順調。なすの成長方向の葉は落とし、切り戻しをして、余分なものは摘芯しておく。上に伸びないでいい感じになっている。でも、もう勢いはない感じはする。実は太らないで、長くなってきている感じだ。 ねぎは、しっかりしてきた。まめに土寄せしていたのがよかったのかも。 ブロッコリーがけっこう虫食い。おなじアブラナ科で同じ場所に植えた、カリフラワーやキャベツは食われていない。ロマネスコはやや食われている。 今日は、薬がないから、明日、行ってあったら少し撒こうか。 ピーマンがなんとなく持ち直して育っているが、葉っぱに斑が入っている。調べてみると「斑点細菌病」の写真に似ている。  対策は、 (1)排水良好な肥沃地で栽培し、有機物を十分施すとともに肥培管理を適正にする。 排水は悪くない。配合飼料には有機物が入っている。肥培管理、園主からの施肥指示を守っている。 (2)敷きワラなどを行って、土壌の乾燥を防ぐ。 ビニールマルチではダメ? (3)発生が多くなると防除は難しいので、予防に重点を置く。梅雨時および秋雨時の初発前~少発生時期に7~10日間隔で薬剤防除を行う。 秋雨が長ったな。その影響か。

青い花

最近、 Netflixでシスターズ というドラマを見た。お金が絡むサスペンスもので、キーアイテムが青い幽霊蘭。その青い花は、とても珍しいもので、殺人現場に置いてあったりする。 いろいろと伏線もあって、それもきっちり回収されて、役者も自然で上手い。貧富の差(日本どころじゃない)金銭感覚(主に富裕層)、絶対的な主従関係も伝わってきて、これ韓流ドラマなんだけど、韓国芸能の底力を感じる。 家内は、話が複雑なので、ディテールまで追うのが面倒だったようだが、私は楽しめた。 近い人にネトフリを見たというと、そんな暇があったら…と窘められる。 柴の散歩中に、ふと青い花が眼に入ると、ドキッとする。  

相次ぐ値上げ、だけか?

東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下になり、「 なにがおこるのか 」と思っていたら、値上げのニュース、「 東京23区でシェア7割の「火葬場」が相次ぐ値上げ 」がでた。 値上げは、民間企業の営利活動の想定内としても、金銭以外に火葬場をコントロールしてできることは何なんだろうか? ギャングやマフィアなら使い道ありそうだけど、上場企業はそうはいかない支那。  

シンギュラリティは近い

兎にも角にも、動画を見て欲しい。もうここまで来たかという感じ。凄すぎる。 この手のヒューマノイドがAIのインターフェイスとして人間と言語、表情、身振り手振りを交えて情報交換を始める日は近いと思った。 さらに、メタバース空間の自分のアバターが、物理現実世界のヒューマノイドとして展開されるのか? 私の代わりに働いてもらいたいが、働き方、働く概念が根本から変わるだろうな。 その前に、私、我という概念も変わるだろうな、アバターのセンサーからの感受情報、前五識、眼識耳識鼻識舌識身識は、肉体の識とシンクロしつつコントロールされ(でき?)、意識との統合化、ああ、AIとも共有化、統合化までされるのかも。自他の別の概念も大きく変わるのだろうか。 だれもが、肉体を超え、Oneness、魂の永遠性を実感する日が来るのだろうか? そう遠くないうちに、人間の存在、実存ということの大きな転換点が来るのだろう。 自分のアバターの外部感覚器官からの情報を感受し、意識と統合化していくには、「修行」が必要になるのだろうな。恐らく、自証分、証自証分など意識の使い方なのかな? なんとなく、今の私は、自分とアバターの感覚を切り分け(スイッチし)て、分析、統合みたいに考えているが、そうではなく、アバターの感覚、意識を介して、「我」を失わず、「我」を超えることができるのならば、Onenessとして、総体として、AIの意識ともに、pureな阿頼耶識に、実存する人間として触れることができるようになるのかしら。 えらいこちゃ。 私の中では「 それ、「恕」か 」なんだけど、それはまた、別の機会に。 莫妄想! 今日も、まじめに瞑想しなくちゃ。

緩急の加減

職場まで40km程度あるんだが、今朝は高速道が渋滞、下道に降りたら、職場まで2時間かかった。朝はどうしても混雑する。2時間は長い。帰りは、最速で1時間というところか。普段は、1時間半みている。 朝の混雑する時間帯を避けるには、もう少し早く出るか、遅く出るか。昔は、10分前に入ってみたいなこともあったけど、今はもうできない。 今日の仕事量は、思惑通りのセッティングで、ゆるい感じだったが、少し過ぎて、時間を持て余し、普段は見ないところを見て、思わず掃除なんかしてしまった。すっきり整っている方が時短になるので、効率がいい。 壁に掛かっている時計の時刻まで合わせた。昔は、中央制御の有線の電気時計で合わせる必要がなかったのだけど、何度かの地震を経て落ちたりして、壊れてしまった。高いところ掛けてあるので、時刻合わせが面倒なので何度か電波時計にしたこともあったが、向きが合わないのか、窓際にもかかわらずうまく受信しない。 動いている感があるステップ秒針も好きだが、今は静かなスイープ秒針にしている。仕事中に腕時計はしないので、たまに壁の時計の秒数をみてカウントすることがあるので、秒針が見やすいものがいいのだか、好みのものは見つかっていない。 歴代の電波時計は、壊れると突然、針がぐるぐるして、使えなくなり廃棄したが、大学卒業時に頂いた同窓会会長賞のステップ運針の時計は、30年過ぎても、職場の別室で元気に時を刻んでいる。なんてことない単3駆動のユニットなのだか、意外に長持ちするものだ。  

ぬけがわるい

エンジンに例えると、カムに乗らないというか、吹き抜けていかないというか、不完全燃焼しているというか、すっきりしない。もう少し上まで回るでしょ。という感じ。 集中して知識を整理しているつもりなのだが、未だにピンとこない。努力不足はもちろんだが、集中できていない感じだ。 もう少し読み込めば、突き抜けてくれるのだろうか。 選択肢はなくて、やるしかないことなのだけど、いまいち。まあ、頑張るよ。  

レンズは入るが車が入らない

やっと 眼鏡ができた 。遠近両用、乱視補正、左右と高さ、プリズム補正済み。やっぱり度があっているものは見やすい。レンズのコーティングは、アルカリ性が苦手で石鹸はダメとのこと、必ず中性洗剤で洗うようにする。 ここの近くに鰻屋さんもあって、ついでに蒲焼も買った。ここの鰻はうまい。 いつも止めているコインパークが満車だったので、酷く駐めづらい別のコインパークに入れた。歩道がない二車線道路の脇で、駐めようとハザードつけて止めるだけでも、片側通行になるので、迷惑千万。しかも二台だけ並んで駐める形、駐車場の幅が狭い。左右に家が建ち、通行が見切れない。いきなり歩行者が現れる。もちろん、車も。駐車するには、対向車も含めて両車線の走行中の車を止めないと出入りできない。昼間の交通量が多い時間帯なので、家内も一緒だったから駐められたようなものだが、独りでは無理だ。あとで見ると近くにもコインパークがあったがそこの半額以下の料金設定だった。軽ならなんとか、フル規格の軽ワゴンでは厳しい感じだった。牽引トレラーの運転手にでもなった気持ちで、さっさと駐めた。 いつもの駐車場は満車になるような場所ではないのにと思っていたら、そこに駐められない時に利用する奥にある大きな駐車場の場所でマンション建設をしていて、その駐車場が無くなり、工事の人たちのワゴン車なんかが、近隣の駐車場に流れたので、いつものところが満車になっていたようだ。長いバン、ワゴンの工事関係車両じゃあ、あの狭い二台並列の駐車場には駐められないだろうな。 こんな時には、チンクエチェットやモーリスやオースチンのミニが気になる。

にんじん、白菜、大根のようす

人参がしっかりしてきた。この前、間引いたらけっこういい出来だった。あまり置いておくと根が割れてしまうから、どんどん採っていこう。 白菜も順調。結球してきた。間引いてものを頂いたところも、どこだったけ、というぐらい成長した。有難い。 大根、天候のせいか、育ちはまちまち、この前、間引いたもみ菜がスパゲティに入っていた。 おいしかった~  

元気はつらつ

昨日、思いがけず、オロナミンCを頂いた。ほんとはリポビタンDをくれようとしていたけど、売店に置いて無かったそうだ。いつも、忙しそうにしていたから、「ファイト一発」くれるつもりだったのかな。 ねぎが少し育って、後ろのアブラナ科も順調。 キャベツなんか、結球しはじめている。よしよし。 いんげんもたくさん採れた。でももう終わりが近い、後に葉物だけど、いまから育つのだろうか。 なすは、思いの外、順調に実がなっている。秋なすをこえて、晩秋なすになりつつある。 久しぶりの晴天なので、菜園の皆も顔を出していた。  

仕事帰りに気づきつづける

きょうは、気を使う場面が多かったが、さほど忙しくなかった。 帰りに運転しながら、運転している自分に気づきつづけていた。バックミラーとサイドミラーの像が同時にけっこう鮮明に見える。頭に気が上がっているように感じで、後頭部あたりの違和感を確かめていた。やっぱり疲れているんだよなぁ。 触覚に似た感じでモヤモヤと動いた。その感触を味わいながら、身体の感覚を確かめた。肩に力が入っていて、重力に逆らっている。ハンドルの影響を超えて、両肩が前につぼんでいる。右側の腰が少し張っている。右の坐骨に重心が移っていた。そうだわな、右を下げて覗き込む姿勢が圧倒的に多い。仕事帰りには重心が右に偏ってしまうのか? いや、もう普段からずっと右に偏っているか。 運転そのものは、どこにも偏りがない。自然にアクセルを踏んで、ハンドルに手に添えて、必要があればじっくりと止まるだけ。通勤路は、ほぼ、直線と直角だけで構成されているから、ズボラな運転ができる。途中の高速道路は、信号もないので、もっと気楽だ。いつもは、左車線を流すのだが、今日はすこし緊張したいので、右車線に入る。左がのんびり流れているので、さほど速くない右でもスピード感はある。少し窓を開けていると、不思議な共鳴音が聞こえてくる。音とも風とも言えないものが、共鳴、もしくはぶつかり合っている感じだ。この感じは、単調で規則性があるので、やばい感じがする。意識レベルに影響を与えそうなので、窓は閉じることにした。 高速道路の出口まで、しっかりと自分の身体感覚を意識していた。この意識している意識に気づくと、なんとも不思議な感じがしてくる。自分という座標軸の中心を失う感じが、断片的に起こる。居眠りしてしまっているのではない。意識は鮮明だ。 フォーカスできないというか、フォーカスすることが馴染まない感じがした。本来あるはずのものが見つけられない感じがした。 なんだろう、それ。  

なにが起こるのか

ふと、「 東京23区内の「火葬場」独占企業が中国資本傘下に 」という見出しが目に入った。 ラオックスが買ったようだ。随分前から秋葉原にラオックス進出していたが、社長は「羅」氏だったんだな。 秋葉原になんで免税店と思っていたが、もう20年以上前からだったと思う。爆買いの利益は中国資本が吸い上げていたんだ。 火葬場を押さえるとなにが起こるのだろうか。火葬が滞ると混乱が起こることはすぐに見当がつく。『 レッドクリフ 』の一シーンが浮かんだ。 ラオックスは、 二年前から 動いていたようだ。 既得権益だけ欲しかった?  まさかと思うが、「これ、お願いするよ」「あいよ」はないと思いたい。

とんだこと

その昔、サイパン島からテニアン島まで軽飛行機で移動したことがあった。距離にして、5kmぐらいだから近いし連絡船もあったのだが、家内が調べたところ、海が荒れて皆、ゲロゲロになるとのことなので、空にした。パイロットは、日本人男性だった。乗り込んで滑走路に向かうのだが、ドアが開けっ放し。ハイジャック対策で閉めてはいけないそうだ。15分ぐらいのフライトだったけど、なかなか揺れて楽しかった。家内は高いところが苦手なのでいまいちぽかった。 そういえば、ハンググライダーに乗ったことがあった。体験飛行だったのほんのわずかの間だったけど、身体浮いて飛ぶ体験は楽しかった。風を捉えていたから、もっと高く遠くに飛べそうだったけど、降りろの指示で残念ながら降りた。 飛んだ体験ではなかったけど、水上スキーは結構スピード感もあって楽しかった。引き船は、V8積んだ水上スキー専用の船、引き波があまり立たない構造だそうだ。操船するキャプテンは前を見ているので、もう一人が水上スキーヤーを見守る。水上スキーヤーになにかあると、「沈!」と叫ぶ。するとキャプテンは船を止めて、水上スキーヤーを回収するみたいな感じだった。二本の板でも立つまでがたいへんで、早く立とうとして、すぐに沈してしまう。じっとこらえないとちゃんと立てないところがおもしろかった。バイクはコケると必ずケガをするけど、スピードが出ている水面、結構硬いが水上ならまあ大丈夫。楽しかった。  

ホームポジション

寝る前に1時間程、 あれから 毎日リビングで座ってみた。寝る直前だからか、ボ~とした感じが残る。そのおかげさまで、寝付きはよくなった。昔は、ギリギリまで起きていて、ストンと5分も経たずに眠っていた。今は、寝つかれないこともあって、つい、タブレットに手が伸びる。老いたと思った。 今日は、春秋館で座らせて頂いた。やっぱり座りやすい。すっとホームポジションに入れる。鮮明にぼっとした感じになる。この感じの時、忘れていて思い出せないことが出てくることがある。昨夜は、顔は浮かんでくるのだけど、誰だったか、どこだったが…となっていた名前とプロフィールが、座って5分もしないうちに湧いて出た。便利、便利。あとで検索したらビンゴだった。 これから、また座ってみる。

きょうの収穫

なすは、小ぶりになってきた感じ、ピーマン、ししとうもそこそこ。いんげんは、もう採ったな、という感じ、水菜がいまいち、例年より育たなかった。蒔いた時期がよくなかったのか、なんかしょぼいけど、柔らかくておいしそうだ。

メガネのレンズを換える

白内障手術の手術を受けて、落ち着いた頃、メガネを新調して、それっきり、3年ぐらい使っていたら、レンズの表面のコーティングが剥がれてきた。 いつものSSS級認定眼鏡士がいるお店で見てもらった。後発性白内障で後嚢を開けているから、もうあまり変化はないのかと思っていたが、左目がやや見にくくなっていた。 ガラスレンズの方が剥がれにくいだろうから、ガラスにしようと聞いたけど、遠近両用が入らない。こんなにコーティングが剥がれるのは、薬品の影響とのこと、ハンドソープでレンズ洗っていたりしていたから、それらがいけなかったのかも。これからは中性洗剤だけにする。 行っている眼鏡屋さんは、しっかり検眼してくれて、微妙にプリズムとかも入れて、これ以外には、ないですと言い切るところまで詰めてくれる。プロの仕事は有難い。  

フーコーの振り子

こどもの頃か、上野の国立科学博物館、全長30mの大きなシロナガスクジラのオブジェがあるところに行った。印象に残っているのは、天井あたりからだったか、大きな振り子がゆっくりとフロアで動いていたことだった。フーコーの振り子だ。来た時と帰りでは、違う場所でゆれる。反時計回りに振幅する位置が変わる。振り子の振幅方向に直角に力が加わる。地球が自転し、コリオリの力が作用ているからだ。北極や南極点で振れば、きっちり24時間でぐるっと軌道が一周する。 あと、大きな恐竜の骨を組んでつくられたオブジェもあった。ニホンオオカミの剥製も印象に残っていた。 昔は、上野の博物館や美術館によく行った。芸大の食堂(美術の方、わたしは、音楽の方は入りにくい感じだったので入ったことがない)でお昼したりしていた。 国立国会図書館支部上野図書館 そういえば、国立国会図書館分室で、父の博士論文を見つけた時は、胸熱だった。  

きょうの畑

ねぎの土寄せをした。後ろのアブラナ科の野菜たちも順調。 いんげん、こんな感じ。きょうは、いんげんもよく獲れた。大きなものは、やや大味で硬く、小さいものの方が味がよく、やわらかかった。 ブロッコリーもしっかり。収穫が楽しみだ。   そうそう、今日はなすを見にいった。中型のなすを獲って、切り戻しと摘芯した。 だいぶすっきりした感じ。 このあとに小松菜、ほうれん草なのだが、冬の菜ものは、育ちがいまいちなので、もう少し、なすを楽しもうかなという感じ。片付けて、お礼の肥料を入れて、二週間置いてから播種だから、年明けに収穫としても、ギリギリかな。

意識のトンネル効果

ポテンシャル障壁を超えて流れてくるようだった。 ストンと意識レベルを落とした状態から、湧き出た感じだったが、素直なところだった。 いつもの馴染んだ感じなのだが、その意識から引き出していくのは新鮮な体験だった。普段はそこで何か積極的にすることはなかった。 そこからさらに進んでいくとは思ってもいなかった。只管をとどまることと勘違いしていたようだ。偏見は、間違う。

己の行く末を決めるのは己

日々刻々、ありとあらゆる選擇をしている。  妥当な選擇をしていると思っているが、どれだけ理情に適うものがあるのだろうか。支障がないものはあったとしても、凡夫であるわたしは正しい判断はできず、正しい選擇をしているわけではない。自分の振る舞いは、自分の行末となって返ってくると釈尊は説かれている。 それでも、日々をなんとか生きていけるのは、御指導を賜り、数限りない存在に護られているからだと思う。 有難う御座います。

人生は苦なのか

同じような過ちを何度も繰り返す。 繰り返してしまうのは、気づかないからか。 気づいていないことは、変わらない。 気づいていても間違えるのか。 気づいていたら、変えることもできるのではないか。 気づける機会を与えられていることは、本当に有難いことだ。 わたしは、何と恵まれていることか。 このまま、いつまでも恵まれているとは限らない。諸行無常の響きあり。(祇園精舎には鐘はないらしい)  

きれいな海

まだ、サイパンに直行便があったころ(今は復活)、マニャガハ島に行ったことがあった。透明度が高くきれいな海だった。家内とシュノーケリングをした。ここは天国かと思うほどきれいだった。家内と二人で撮った写真を恥ずかしながら年賀状にした。善い時間が過ごせた。 白いビーチには日本の砲台が残っていた。暗い影の中を覗くと、なにか無念な感じがした。そうだよな。あまり気持ちを寄せていてはいけない感じがした。 夜は、中華を食べに行った。腰ぐらいまでスリットが入ったチャイナドレスを着たとびきり美人なお姉さんがワゴン車で、ホテルまで迎えに来てくれた。友人のSさんが見たら大喜びだっただろう。 曳き馬だったけど、馬にも乗った。 サイパンでは、噂にあった夜中に行進している日本兵には会うことはなかった。 あのクリフと向かい合う勇気はなかった。心の中で手を合わせた。 バリ島の海もきれいだったが、少し波が高かった。バリのホテルもとても静かで雰囲気があった。ガゼボで朝食を摂り、二人きりでホテルのプールを使い、室内の壁には大きなトッケイ(とかげ)が貼り付いていた。アニエスベーのようだった。 いくつか、泊まっているホテルじゃない処に行って部屋を見せてもらった。バリそのもののしっとりと落ち着いたインテリアだったが、ここ、夜、出るわ。という感じがした。デザインはよいと思ったが、泊まってはみたくない。 沖縄、黒毛和牛の里、石垣から高速船で行った黒島の海もきれいだった。ここの海が一番きれいだったかな。あの当時でも携帯の電波をつかんだ。現実に引き戻す電話、出なければよかった。 モルディブの水上コテージにも行ってみたい。実は、モルディブのマーレ空港には行ったことだけある。トランジットでもなく、夜中に飛行機の中にいた。給油だったか、時間調整だったか、真っ暗で何も見えなかったのが残念だった。昼間に行きたかった。  

リビングで座る

普段、寝室で座っているが、家内が先にやすんでいるので、リビングで座ってみた。 少し寒かったが、エアコン入れているし、照明も調光で少しおとした。Youtubeにつないで、Technicsのスピーカーから瞑想用の音楽が静かに流れる。寝室の音よりずっといい。香も、寝室よりも上品な香りのものを使う。 座る前にYogi社の「 Honey Lavender Stress Relief 」温かいハーブティーを飲んだ。からだも温まった。 前五識、眼・耳・鼻・舌・身、整えて臨んだつもりだったけど、いまいち座りがわるかった。 なにが違ったのか、寝室は祈りの場でもあったから、座りやすかったのかもしれない。 もう少し、リビングでも座って、なにが違ったのか観てみよう。

スーパーリアリズム?

ぱっと見て、いいなと思った。第一印象は、写真ではなく、スーパーリアリズムの絵かなと思った。 えっ、でも写真? 解像度を大きくして見るとカーテンなんか実に細密に描かれている。その描写がやはり絵のようだ。写真ならこんなに動きを与えなくてもいいんじゃないかと。やっぱり絵画だよな。  スーパーリアリズムの作画って、こんな感じだし。これは製作過程を見せて驚かせるために、こういう描き方をしているのだ思うのだけど。

オーバーフロー

今日は、月一の集計作業もする日、先月は、流れを堰き止めていなかったので、大変だった。今月こそは、余裕をもってやろうと思っていたけど、けっこうギチギチになっていた。 正規の始業の1時間前に入って準備していると、なんと、飛び込み。先送りしたかったけど、来週は祝日があって、もうパンパンで送りようがない。手をすりすりされても… わかりました。やります。 普段は、しない異例なことをした。本当に午前中はギチギチで、へたを打ったらもうだめな感じだったけど、なんとか終えた。 午後は、スロースタートする手筈だったが、そんなうまい話はなく、通常通りはじまり、スロースタートの心積もりで、別件に手をつけていたから、がっかり。始めるんじゃなかった。 手順が多いこと、予想外のこと、アポ漏れも重なって、もうぐったりだ。気づいたら呼吸が浅くなっていた。いかん、いかん。 気を取り直して、息をはききって、リズムを取り戻した。 息しないと死んじゃうよな、まったく。

秋の実りに感謝します

なすは、きょうもみのりを与えてくれた。 有難い。 茎が割れはじめ、もうだめかと思ったピーマンも実をつけた。 ししとうも暫くとれそうだ。 にんじんもしっかり、ブロッコリーが元気にのぞく。  いんげんも無事に育ち収穫できた。 善き哉、善き哉。

五常八徳

わたしは、畜生か。人ですらないと感じた。 わたしがしゃっきりしない理由、勇なく卑怯になる原因が浮かび上がってきた。 衝撃的だったが、それを圧倒する熱量があった。 せめてスタートラインにはつきたい。 四の五の言わずに真面目に実践していくのみ。 想像が及ばない世界だった。 はやく人間になりたい。  

読書スペース

家の中で本をよむ場所を増やすべく、リビングのソファで環境づくりをしようと、二階からZライトを下ろした。 これがクランプで設置するものだったから、どこにつけたらいいのか、いまいち収まりがよくない。ネットで「デスクベース」なるクランプの代わりになる卓上に置くものを見つけて、あと1クリックで購入決定のところ、思い留まった。それって、重いだけじゃないか。なんか他の工夫ができそうな感じがした。うちにある、重くてクランプが使えるもの、バーベルの重りだわ、バーベルのウェイトにクランプを挟ませて使えるようになった。円盤なので座りがいまいちなので、上下に厚めのステンレス板でも噛ませようかなと思う。 その「デスクベース」結構なお値段で、もうひとつ調光の卓上スタンドが買える価格だった。もう一つ家に卓上スタンドが増えるのも嫌だったので、「デスクベース」を購入する寸前だった。なにか違和感があったら立ち止まり、考えるようにしようと改めて思った。 ステンレス板を噛ませたが滑るので、古いゴム手を切って滑り止めにした。下には使っていないラテックス製のマウスパッドを敷いた。だいぶ具合がよくなった。クランプの厚みだけ、前傾し左右も浮いているので、エッジになるものを差し込もう。 ん? 素直にデスクベースを買えばよかったか、んなことないよな。 必要は発明の母、工夫する気持ちが湧いてくる。  

都内最大規模のガーデンセンター

いつも行くお風呂屋さんの近くに都内最大規模の ガーデンセンター がある。ないものはないという感じ。前もふと、ホワイトセージなんか置いてないよなぁと思いながら聞いてみると、置いてあった。今は、球根類や水栽培用の鉢をがたくさん置いてある。 玄関の前にちょっと薫るものを置きたいなとおもって、沈丁花を探していたら、まだ時期じゃないけど、年末には出てくるとのこと、楽しみに待っていよう。花も豊富だけど、野菜の苗もたくさん置いてある。秋野菜はほとんどあるだろう。家内がすきなサンチェなんかもある。柑橘類もあって、金柑、レモンもあった。くだものは日当たりを好むだろうから、うちではちょっと難しいかな。夏場は、バナナの鉢植えとかあった。 うちには、前にもらった吉祥草がたくさん増えているが、それが結構な値がついていて、なんか少しお金持ちになった気がしたのが、己の貧しさを実感させ、悲しかった。吉祥草の花が咲くとよきことが舞い込んでくると聞いていたけど、毎年咲いてくれるし、きっと、これから来るんだろうな… 来て欲しい。