湯島聖堂
元旦に、湯島聖堂に初詣に行き、論語「素読始め」に参加する。
孔子廟であり、日本の学問発祥の地でもある。
「素読始め」が終わり、講師に挨拶をし、質問をする。
孔子様の時代には、「仁」という文字がなかったと言われていますが、いかがですか?
詩経には「仁」とあるが、美しいという意味で使われている。いわゆる「仁」という意味ではない。
では、往時は「仁」をどのように記載していたのですか?
おそらく、人人と書いて、「仁」としたのだと思う。
忠恕
能楽師の安田登さんによると、孔子様が生きておられた時代は、「忠」は下心がない「中」。「恕」は「如」と記載していたそうだ。
「如」とは、ひざまずいた女が神がかりをして、神霊や祖霊の言葉(口)を宣ることにかたどる文字であり、超越的な存在との一体化を意味し、
それから他者との一体化をも意味する(如し)ようになり、やがて「思いやり」という意味になったとのこと。
「中」は中。中心は、どのようなことがあっても中心(忠臣)であり続ける。
そんなところだったのか。
心の真ん中が「忠」ということらしい。
往時はどのような文字であったのか、考えるのは楽しい。