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12月, 2022の投稿を表示しています

そば

うちの近所は、けっこうおいしいそば屋が何軒かあって、よく行った。年越しそばは、一度だけ外で食べたけど、器とかいつもと違ったので、なんかイマイチ感があった。 おししいそばの三たて、挽きたて、打ちたて、茹でたて。大概の近所のそば屋は、そんな感じだった。 吉祥寺の中清もそういう三たてそばもおいしかったが、寝かせたそば、食べてみる?と言われ、出してもらった。角がとれた感じで、またおいしかった。酒もいろいろと品揃えがあって、家内はよく蕎麦前をたのんで飲んでいた。私は、普段飲まないし、車だし。 ここで、おもいがけずに、大駱駝艦の麿 赤兒さんを見かけた。 テレビで見たそのままで迫力がある感じだった。私が小声で「あっ、暗黒舞踏派の人だ」と、やはり声がよく通る友人に内緒話をすると、やっぱり会話が聞こえてしまったようで、こちらに気がついている様子だった。失礼してしまった。 吉祥寺のデパートのイベントで「達磨」の高橋邦弘名人のそばを食べたことがあった。水切りが絶妙だった。「翁」がかつてあった長野長坂で、今はお弟子さんがやっている店にも行った。やっぱりうまいそばを出す。 びっくりしたのは、神田の老舗、なん口か食べたら無くなったので、店員さんにもう一枚来るのと聞いたら、この一枚だけとのこと。そばのデミタス版かと思った。青山のそばやもそんな感じで、えっ、一口半?みたいだった。 はじめてスタバに行ったときも、エスプレッソ頼んだら、ほんの少し、小指の第一関節ぐらいしか入っていなかったので、カップの中を見せて、これだけ?と思わず聞いてしまって、それきりスタバに入ったことがない。 ああ、うまいそばをしっかり食べたい。  

むかしの夢

むかしの夢というか、妄想なのだが、船舶免許を取って外洋に出て、沖縄とかに行ってみたいとか思っていた。実際は、四級船舶もとらずに終わってしまった。 あまりに船とか乗ったことがなかったから、東京湾を出たらもうゲロゲロだったかもしれない。  水平線や地平線を行ってみたいな願望があった。 小学生の頃、ゴビ砂漠へ行って宝を探して、エキゾチックな奥さんもらって(現実の奥さんは、エキゾチックじゃない?けど、異国の人で、かなりエキセントリックな感じ)みたいなことを作文に書いて、家族から、そんな作文書いていたねと大人になってからも言われていた。 そう言って笑っていた母も今はもういない。寂しいことだ。

ことしは忙しかった

昨年末から、本当にバタバタしていた。 スタッフが急に辞めてしまい、てんてこ舞いだった。 あんなこと、こんなこと、結構、色々なことをしてくれていたのだと、改めて思う。細かいメンテナンスが必要なことが結構ある。 自分ですると、やっぱりたいへんだ。 今日も、いつもの倍近い仕事量だった。 いままでの分まで、頑張るよ。  

松柏

正月に会館に行くと、門松がお迎え下さる。 丁寧に手造りされている。その美的感覚に眼を見張る。清々しくて綺麗だ。 我家の門松というか、松飾りは、鹿児島産の対の出来合いのものだけど、真っ直ぐに天に向かっている。 さぁ、新しい年が来るぞ。  

鏡餅

松飾りをし、鏡餅をリビングにお供えした。 橙 橙(だいだい)ではなく、ご近所さんから頂いた「柚:ゆず」にした。 本来は、代々の繁栄を願っての橙、完熟してからも実が枝から落ちにくいそうだ。 先に実った橙も後から実ったものも、一緒の木に長く実り続ける。家族の健康と繁栄を願う。 譲葉 譲葉(ゆずりは)、古い葉は新しい葉が出るとまるで譲るように落ちていく、世代が交代を繰り返す「子孫繁栄」を表す。 裏白 裏白(うらしろ)、葉の裏が白い。二心なく、心が潔白。 昆布 昆布(こぶ)、子生婦(こうぶ)、広布(ひろめ)、喜びを広める。 四方紅 四方紅(しほうべに)、餅の下に敷く四方を紅で縁取った奉書紙。天地四方を拝して災いを払い、一年の繁栄を祈願する。  

くまかぁ~

熊はダメなんだよな~。テレビで見た穴持たず、「 三毛別事件 」からだめだ。賢くて凶暴。 ビースターズ でもやばかったし。 まえにも、川を渡っていると友人が目撃したし、私も炭焼きのおじいさんと一緒に歩いていて、土手に、これ熊の爪痕、ここらに居るんだねと言われ、もう一人の友人は、山の中で、これ、熊の穴じゃないと斜面に掘られた穴を指さした。 鉄砲担いだオレンジ色のベストを着た猟友会の人が来て、このあたりにも熊がでるから注意してくださいと夏に言われたこともあった。 穴持たずじゃないといいんだけど…  知床の漁師のおじさん は、「こら」と一括して追い払っていたけどね。いちおう、お前は霊獣なんだからと諭してみるけど… 遭いたくねぇ~

産土神

私が生まれた土地の神社だ。この雨の日に多くの人がお参りしている。初詣の景色ではなさそうだし、何の日なのだろうか? 皆、晴れ着を着ている感じでもない。季節は晩秋から冬、七五三でもなさそうだ。 ここでセミやトンボをとったり、池で魚釣りをしていた。池や裏山に入ると神主さんに怒られて、正座させられたりしたっけな。 秋祭りの日には屋台がたくさん出て、金魚釣り、射的、焼きそば、たこ焼き、ベッコウ飴、カルメ焼き、あんず飴、吹き矢などが出ていた。小さなころには、恐怖の蛇娘なんていう見世物小屋まででていた。化粧の厚い、とうのたったちょっとエロチックな格好をした娘さんが蛇の皮を剥いて、食べるふりをしていたっけ。さすがに「大イタチ」と客を寄せて、大きな板に赤いペンキだけみたいなものはなかった。 お祭りでは、ここのお神輿をかついで、ところどころで、みかんやなし、お菓子などを頂いた。こどものころの思い出がいっぱい詰まっている。 ここの神社の神様に護らて育った。有難う御座います。  

クリスマス

クリスマスは、そこに向かう街の様子が好きだ。街並みの飾り付け、各家からこぼれる電飾や灯り。 小さい時、貧しく、母がバタークリームのケーキを買ってきてくれた。くだものではなく、砂糖漬けの赤や緑のゼリーの飾り、それに下に銀紙が巻かれた色とりどりの細いロウソクを燈すのがうれしかった。メリークリスマスと書いてある薄い板チョコを姉と奪い合った。ほんとは、生クリームにフルーツのケーキがよかったんだけど、そう言えなかった。 学生のころは小物を扱う雑貨屋さんを巡った。クリスマス向けの小物の赤や緑、金や銀飾がかわいい。カードやテープ、文房具なんかの意匠も気になる。 サンタさんの通り路、家に薪の暖炉やストーブが欲しいのだけど、口にするたびに、家をあけて買い物に出られなくなると家内に反対される。薪ストーブはあったまるのになぁ。 庭に小さな炉をレンガで組んだ。たまにそこで煙が少ないものを燃やす。ひそかな楽しみだ。  

姿勢がよくなる本だって

家内が図書館で「魔法のフレーズをとなえるだけで姿勢がよくなるすごい本」というのを借りてきた。ちょっと時間ができたので読んでみた。どれどれ、脱力、自重系の姿勢について書かれていた。緊張して固めるから姿勢がくずれる。「気をつけ」なんて緊張させると10分も経たずに疲れてしまい、そのあとよけいにくずれてしまう。なるほど、そうだと思う。 気に入ったところは、個々の魔法のフレーズではなく、「 しようとしていないのに、無意識にしてしまっていることをやめていく 」というところだ。余計な筋肉の緊張などいらないし、不要な欲心というのもある。過度の「しっかり」を「ふんわり」と受け止めるということだろうか。その意は、すべての「魔法のフレーズ」に反映されている。 家内と一緒に受けているパーソナルトレーナーさんもそんな感じで教えてくれる。 ネットに著者の書いた簡略化したものがあった。 「あっという間に猫背が解消」唱えるだけで姿勢がよくなる"2つの言葉"    これ、けっこうお勧め。  

こういう景色をみると…

こういう景色をみると… 緊張してくるなぁ。身体に力が入るということ、筋肉を固めてしまうということではなく、 背筋が伸びる感じ、気合を入れるけど、気負うというふうでもない。 頑張るのはあたりまえだけど、そういわずに頑張るよ。  

年の瀬は…

今、すぐ、さぁ、なんとしてくれという人が飛び込んでくる。そんなぁ~、むちゃな~とは言わない。 なんとかしているが、経過をみないと分からないこともある。しかし、例年そんな隙間はどこにもない。そこをなんとかこじ開けるのが、毎年の年末年始の業態だ。

フィッシャーマンズ・ワーフ

アクアティック・パーク あたりから撮ったのだろうか。ギラデリスクエアの看板が見える。 金門橋近くのフィッシャーマンズ・ワーフでクラムチャウダーやクラブサンドを食べた記憶がある。 ユニオン・スクエア近くの安宿に入ったら、窓が割れた部屋だったので、変えてもらった。 英語が不自由な東洋人だからそこでも文句言わないとでも思ったのだろうか。 そんな想像をしてカチンと来てしまう若者だった。単なる手違いかもしれないのに… 先入観なく、偏見なくものを観るのは難しい。 スクエア近くから路面電車でフィッシャーマンズ・ワーフに行った。 その裏通りであやしげな味(味の素たっぷり)なチョウメン(炒麺:中華焼きそば)も食べた。 夜にバーに入ったら、男しかいない、 ヴィレッジ・ピープル の世界だった。 ゲイが集うバーからあわてて逃げでたなぁ。 ベイを臨む この写真右端が切れている。スライドフィルムで撮ったんだ。  

アメリカン

植木の刈り込みは、アメリカンな感じ。 車もフルサイズ。ブレーキを踏むと上下にピッチングしそうだな。 ここは、たぶん、 ファーンデール だと思う。 オールドアメリカンな感じがいい。 まっ、40年前だけどね。 別角度から  

ここ、好きな場所だった

ちょっと色がぬけているけど、LOLET近くのホテル。外壁の色は変わって、 いまは、レストラン になっているみたいだ。一度泊まってみたかったけど、ついぞ泊まることはなかった。 建屋の後ろの樹木が森のようになってびっくり。尤も、この写真は40年ほど前だからね。 なんかこぢんまりとしていいんだよなぁ。   別角度から

まるで絵葉書のよう

わたしの英語の ヘルニー先生 が住んでいたファーンデールの絵葉書のような構図。 きれいな街並みだった。オールドアメリカンという感じ。革製品屋さんとか小さな商店が味わいがあった。 もう二度と行くことはないだろうが、心に残っている。  

サマーセッション

写真はバークレー(UCB)の アイハウス (International House)留学生宿舎からの夜景。夏休みの期間にバークレーで化学の授業だけ受けたことがあった。英語で元素名が出てこないんだこれが、ナイトロジェンダイオキサイドが言えなくて、エヌオーツーとか叫んでいた。やっていたことは、本当に基礎的なことで、シャーレにオレイン酸を滴下して、分子が一つづつ並んでいる単位膜ということにして、シャーレの面積とオレイン酸の体積からアボガドロ数を求めるというものだったと思う。 夜明け前

やっと出てきた

古いCDを整理していたら、Windows95とか2000とか出てきた。使い勝手は、2000でもいいんじゃないかと思うほど安定していたと記憶している。 そのCDのなかに不明なものがあったので、中を見てみると昔撮った写真がいくつか入っていた。 この写真は サンフランシスコ の保険屋さんのビルだと思う。 CONTAX RTSで撮ったものだ。好みの色合いだ。 今ではもう、Photoshopで自在に色が作れるのだろうなと思うけど、なんか懐かしい。 今、手持ちのカメラは、古いキャノンのコンパクトとソ連製LOMOがあるかなぁという感じ。LOMOは、四隅が暗いちょっと変わった感じの写真が撮れる。  

朝霧

今朝は珍しく広範囲に濃い霧がでていた。むかし居たところは、沖で暖流と寒流がぶつかるので、霧が多い土地だった。 淡い太陽が照っていたのだが、写真に写らず残念だ。 せっかく冬タイヤに替えたので、仕事帰りにスタンドに寄って空気圧と規定通りに調整した。前が230Kpa、後ろが210Kpa、少し空気が抜けていたようだ。跳ねる感じになり、走行音は高い音域が鳴るようになってしまった。それでもまあ、静かな方だと思う。来年の春まではこのタイヤでいく。  

スタッドレスタイヤに

タイヤ交換 そろそろスタッドレスタイヤに替えようと思っていて、雨が降ったり、出かけたりと交換できなかった。時間ができたので、自分で交換した。電動ドライバーを使ったが、インパクトレンチではないので、ここ一番では動かなかったするけど、動いているうちはなんて便利なんだろうと思う。でもバッテリーの負荷が大きいのか、4本交換するにバッテリーを2つ使っても足りない。本当は、電動のインパクトレンチが欲しい。 住んでいるところ もっとも住んでいるところでは、年に2~3日、雪が積もるかかどうか、たまに膝下ぐらいまで積もるぐらいなので、積雪はあまり心配していない。布チェーンと亀甲チェーンも常時積んでいるし、大丈夫だけどね。 出かける先 あちらは、平地では降ったり積もったりしていなくても、雪を見かけなくても、少し上がっただけで、脛ぐらいまでは積もっていて、アップダウンもあるからスタッドレスだけだとスタッグしたりする。万全の準備をしないといけない。いまの車、最低地上高が低いので、腹をするので、雪が降ると分かっていれば、大きなスコップを積んでおく。 製造年週とオールシーズン スタッドレスの方は、2017年14週製造なので今シーズンで交換する予定。夏タイヤも見たら、2019年21週製造だった。車庫に保管スペースはあるから夏冬タイヤを持っていてもいいのだけど、はやりのオールシーズンタイヤも気になる。走行音がうるさそうだし、冬性能もイマイチかもしれないし、雨はダメかもだけど、一セットで済むなら、それもありかなと。 どれがいいかなと選ぶのも楽しいし、オールシーズンタイヤを一度使ってみたい。 結局、欲に負けて購入すると思うのだけど、適切な理由を見つけて合理化しておこう。  

ドッペルゲンガー

友人からメールが来て、私が映っているという。パッとみると私だが、その写真の私は僧侶の格好をしていて、何人か僧侶が並んで座っている写真だった。私と見える者以外は若く、たぶん修行僧、メガネも黒縁だし。私と見える者は、茶色のメガネをかけていた。 俺じゃないよ・なぁ? お坊さんと幾度か一緒に座ったことはあったけど、僧侶の格好をして一緒に座った記憶はない。 知り合いが得度する場面に立ち会ったことがあったが、私は作務衣(作業着なんだよなぁ、作務衣)だったような気がする。お寺さんと縁がある僧侶が各地から集まった。私も僧侶の友人から声をかけてもらい参列することになった。遠方だったので、お寺に泊めてもらった。部屋が足りないので、大勢のお坊さんと一緒に本堂に布団を並べて寝た。お坊さんは皆、眠る時、頭にニット帽をかぶっていた。黒や灰色で統一されているわけではなく、色とりどり、模様も入っていて、愛嬌があった。眠るときは、それぞれの色ある個になるのだと、ふと、思った。 そこは寒いところだったので、帽子がないと剃髪した頭がシモヤケになるそうだ。 お寺さんでは、僧侶と一般をきちんと分ける。僧侶がお茶を飲む茶碗も天目台がついたもので、一般の私らは、普通の茶碗だったから、私が正式な儀式で僧侶の格好をして参列することはなかったと思う。正式な場ではないときに修行僧の格好をさせてもらったことがあったかもしれないが、記憶はない。 記念の説法とかあったが、参加している僧侶の説法を聞いている姿はくずれる。その様子を見ていると、うちの人たちの方がきちんと背筋が伸びている。 私とそっくりなドッペルゲンガー、もし、出会ってしまったら、対消滅して光と化してしまうのだろうか。極性が真逆な反自分に逢ってみたい。きっと善い人なんだろうなぁ~  

きょう一日

朝から湯浴みをして出かけた。 集中して座る。 この季節、井戸水だけど冷たい。 ほどなく落ち着いてくる。そのままをキープすると時間となる。 また座る。 きちんと観ることを学ぶ。よろこばしからずや。 元気の塊みたいな人と話しをする。 エネルギッシュで明るい。未来を感じる。パワーをもらう。 皆と一つの目標に向けて集中する。 流石の顔ぶれ、きっちり決まっていく。あと少し深めたらフィックス。 たぶん、大丈夫だ。  

実は、三叉

昨日の大根 、抜いてみたら三叉だった。小石や硬い土があると股根となるようだ。耕したりなかったか。間引きの選別を間違えたかなぁ。 となりのおふくろ大根は葉っぱは立派だったけど、根が短い。毎年思うだけで実践できないけど、来年こそは、もっと深く耕そうと思う。

大根ぱっくり

う~ん、見た感じだと下でぱっくり二つにわかれてるかな。ことしの大根のできは例年通りといったところ。わたしにはいつもの大根だけど、家内がバイト先に持っていくとそのみずみずしさに驚かれるとのこと。うちの大根、おいしいのと聞くと、野菜は鮮度だからと。 そういえば、トマトはトマトの味がするけれど、外でトマトを口にするとトマトの味がしないこともあったな。うちのは完熟で収穫するからね。 今日もいつも銭湯に行くと自転車が並んでいない。今日は予め電話をしてから行ったのだが、電話に出なかったのは休んでいたからか。 よって、いつもの「たつの湯」へ行った。やっぱりよく温まる。 出る時に周りに注意しながら水を何杯かかぶった。  

狐の嫁入り

昨日は狸 だったけど、今日は狐。 栃木を行くと「動物注意」の標識が出てくる。最初は狸、福島に近づくと熊かよ熊。帰りは鹿の標識を見つけた。 けっこう種類があるみたいだ。 高速を走っていると、コロンと丸いお尻のVWが追い抜いていった。なんだあのお尻? あまり見かけないシロッコだった。 低速の車線に入ってきて並んだ。どんな人が運転しているのだろうと覗いてみると、 白髪で白い髭をたくわえたおじいさんだった。かっこいい。 今日は関東は晴れのはず、福島に近づくと雲が出て雨が降ってきた。 もう少し走ると、雨は降っているが、雲が切れて陽が強く射している。 明るいけど、雨がパラパラと落ちてくる。 陽と反対側に虹を探したが残念ながら見つからなかった。 狐の嫁入りだ。  

「東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠ほりがあって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾哩も廻り道をしたものである。  これは皆、その辺をよく歩いた貉のためである。」 と前フリは、小泉八雲の「貉」 赤坂から四谷へ抜けていく道だな。左手に迎賓館、右手にニューオータニ。この辺すきだなぁ。学校出て、広尾で働きはじめた頃、仕事帰りにトレーダーヴィックスとか昔は行ったなぁ~(遠い目) 今朝、高速の進入路から料金所に向かうカーブがあり、やや見通しがきかない。その先に40cmぐらいの長さのコロンとした角材らしきものを発見した。角材なんて踏んだら嫌だなと思った。アウト側にあったからまず踏まないけど、イン側だったら踏んじゃうかも。 その物体、焦茶色の角材じゃなかった。丸くてごま塩ぽいのでたぶん狸の死骸。轢かれていた。こんなところにも狸はいるんだ。尤も、うちの裏の家にもハクビシンはいた。職場の近くで見かけた狸は、親子連れで子狸を3匹つれていて、道を横切るとき、母(たぶん)狸は、「えっ」という感じで私を見て、車が止まったのを確認してから子狸を連れて走りさった。 いつもは、工事のゲートが開いているのに今日は閉じていた。 工事の人が来たら、弔ってもらってね。  

ミラクル三井

堤幸彦 さんの『トリック』おもしろかった。科技大の上田教授や超天才マジシャン・山田奈緒子さんもかわいくて大好きだ。そして、 ミラクル三井 さんも。 アインシュタインの言葉に「生きかたは二つに一つ。奇跡など全く起こらないと考えるか、全てを奇跡だと考えるかだ。」 There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle. 彼女はすべてが奇跡だと考えている。 MIT教授の ネリ・オックスマン がそう語っていたのを聞いた。魅力的だ。

ワープした?

職場から帰りのいつもの道だ。いつも右折レーンが渋滞するので、左車線を走る。夕方から夜にかけて一番混雑する交差点を過ぎた。その近くに大手の中古車販売店がある。モスグリーンを薄くしたようなアースカラーの車がいくつかあった。その昔、フォード・トーラスの砂埃の色のようなレンタカーを借りたことがあった。スタンドに寄ってガソリンを入れて、国道に出ようと、スタンド内を走ったら左側通行してしまった。おっといけねぇ、ここはワイハだった。 そんな微妙な色の車、スバルだったかな?をアットグランスして、いつもは暫く走ってから高速に乗る。けっこうな距離がある。 いつも通り走っていると、激安なスタンドがあった。今日の152円/Lは安い、目をひいた。街道沿いでも157~155円ぐらいだから。あれ、こんなところにいつできたのだろか、系列ではなく、独立系だよなここ。スタンドは、スクラップアンドビルドで入れ替わりが激しいから、そんなんだろうかと思って値段に目をやっていたら。普段通らない知らない道を走っていた。 どこだここ。高速の高架をくぐってちょっと走っていたことに気がついた。というより、いつもの道を見失っていた。変わった色の車を一瞥して、すぐに激安スタンドの意識だ。ほぼ隣な感じがしていた。あの出版社の倉庫の近くあたりだよなという感覚。 実際はけっこう走っていた。ほんとうに点から点に移動した感じだった。 意識が吹っ飛んでいた。 今日は、お疲れさんたろうだったからか。気をつけないと。こんなこと初めてだった。

かぶ

かぶの実は、一筋の根っこを地中に伸ばしているだけで、ほぼすべて地上にツルンと丸く真っ白な実をつける。とてもきれいだ。 ふつうは大根の葉のことらしいけど、もみ菜もおいしい。みそ汁の具やおひたしで食卓にあがることがある。

足りない

言葉は知っているが、理解できないことに気づかされた。残念だ。 それを残念がる、悔しがるところが小人だと思う。 子曰く、由、女(なんじ)に之を知ることを誨(をし)えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。 わたしは、知らざるを知ると為して気づかないところが愚かなところだと思う。   

フラクタル構造

ロマネスコは見事なフラクタル構造、自己相似性がある。花蕾一つ一つが円錐状でらせん構造をしている。 むかし、パソコンで マンデルブロ集合 をつくって拡大したり、縮小したりして遊んだことを思い出す。 秋に咲かないで春に咲くから春菊の春菊もいい感じで伸びてきた。前回は柔らかくておいしかった。今回はどうだろうか。 かぶはけっこう甘かったりする。歯ごたえも好きで生食したりもする。葉っぱもおいしい。 写真撮りそこなったけど、おふくろ大根が巨大、丸太のようだ。

銭湯はうらぎらない

「銭湯はうらぎらない」、これは談志さんの言葉だ。銭湯に行って、きょうは失敗だった、行かなければよかった…なんてことはおきない。銭湯に行って、後悔することはないということ。 今日は、あまりに寒いので、よく温まる炭酸泉がある 川場湯 にでかけた。口開けから。ちょっとぬるいかけ湯をしてから、まずは柔らかい井戸水の湯船に、程よい熱さだ。ここの銭湯も清掃がゆきとどいていて、気持ちがいい。どこもピカピカだ。 次は露天風呂、白い薬湯、「ユッカ濁り湯」だが、こちらはぬるめ。露天だし、もう少し熱くてもいいかなという感じ。 身体を洗うのにカランの赤いレバーを押すと、こちらも若干ぬるめ、省エネ運転中なのかな。 いよいよ、炭酸泉。口開けで、三人ほど一緒に脱衣場に入ったが、二人は知り合いで井戸水の湯船で話をしている。もう一人は、身体を洗っている。あとからさらに二人入ってきたが、だれも炭酸泉につからない。年寄りはぬるめの炭酸泉は好みではないのかな? だれも入って来ないので、足を組んで座ってみた。ぬるいので長くつかれる。膝の負担も小さいので楽ちんだった。 洗い場の桶の音やジェットバスの音でサウンドマスキングされて心地よい。混雑していなければ、浮力にまかせて座るのにいいのかも。あとからどなたも入ってこなかったので、30分も(ここ大事)つかった。