わたしの課題なのだが、信じることは、信じることを持続させる努力が必要で、本当に信じることは、疑わないことではないかと思っている。同様に、疑うこともネガティブな力を持ち続けているのだと思う。
他の人に聞いてみたところ、信じるは信じるで、信じていることを疑ったことなどないと。心が素直な人はそういうものなのだと思った。
信じていると言われると、信じなくなったりするのかと思う。疑わないことは、疑わないだけで、なんら精神的な努力を伴わないのではないかと。疑うこと、ネガティブな努力を手放した時、その人は解放されるのかもしれない。
今朝、身体が本調子でない時に、電話を受けて、なんでもないことを、ちょっと責められている?と誤解した。不幸な展開を想像をした。そんな不毛な努力などまるで必要ないのにである。
体調管理をしっかりしておかないと、メンタルもやられてしまうようだ。
体調管理などと言ってられないほど、忙しかったけど…
体調管理などと言ってられないほど、忙しかったけど…
もう、寝ようっと。