Netflixで、「ルシファー」を見ることがある。地獄が飽きた地獄の番人、悪魔ルシファーは、ロス・エンジェルスにナイトクラブを開いた。自堕落といっては自堕落な生活なのだけど、堕天使だけあって結構善人な設定。脚本は、女性刑事さんと事件を「人が隠している本当の欲望を告白させる能力」を使って解決していく、他愛もない恋愛ものなのだけど、登場人物?の名が、ルシファーの兄がアメナディエル(神の罰)とか、親友のマジキーン(強烈な魔物)とか、母親(元・万物の女神)とか、キリスト教的文化の背景を知るにはおもしろい。
見ていて、仏教文化圏とは違うなと思ったのは、自分に不都合な厳しいことが起こると、キリスト教的には、神から与えられた試練と考えるようだ。神がその人を鍛える為に試練を与え、それを克服していくというストーリーを描く。それは、自分自身の行い(過去や前世)が返ってきているとは考えない。自分には理不尽な出来事であっても、全能の神の経綸で、神から自分に与えられたものと受け止めていることだった。創造者、神と、被創造者、子ははっきり分かれている。また、マジキーンは魔物だから魂はなく、この世に一度きり、死んだらおしまいという設定。だからか、より享楽的。
懺悔し、悔い改め、苦悩を受容する力はあっても、苦悩の原因が我の執着というところではなく、結果として、自分が不都合なこだわり(罪悪感)を持っていて、それは手放すべき与えられたもので、手放したら解決すると考えているようだ。そんな感じだと思うが、もっと見てみよう。
でも、直接的には描かれていないが、かなり娯楽番組に振ってあるので、よい子が見るのにはおすすめはしない。時間があればどうぞ。