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中庸新註の序 大川周明


中庸新註 大川周明

社会運動家。明治19年12月6日山形県に生まれる。第五高等学校卒業、東京帝国大学哲学科でインド哲学を専攻。
A級戦犯容疑で逮捕されたが、巣鴨(すがも)収容中に精神障害(東條英機元首相の頭を後ろから平手で叩いた)をおこし免訴となった。なお、都立松沢病院入院中にコーランの邦訳を完成させた。昭和32年12月24日亡くなる。本当に精神障害であったのか、詐病であったのか。議論はあるが、下記は、昭和2年、58歳の時のもの。
経緯は忘れたが、中庸を学んだ時のメモにURLが残っていた。著作権の保護期間満了しているので、少し書き出すと、
  • 正善なる生活とは、吾等がまさしく『我』と呼び得るものと、我に非ざる『非我』との間に、正しき関係を実現し行く生活である。
  • 孟子は『仁義礼智は外より我を鑠(とか)するに非ず、我固(もと)より之を有するなり』と説く。
  • 必ず『天地人三才に通ず』べきものと考へられて来た。
  • 天とは吾等の生命の本原である。其の最も直接なるは父母であり、父母より溯りて一門一家の生命の本原に到り、更に国民全体の生命に溯り、竟には宇宙其者の生命に溯原する。之を『敬』と呼ぶ。
  • 地とは精神に対する自然である。その吾等と最も直接なる交渉を有するは、言ふまでもなく吾等の肉体的生活及び之に伴ふ欲求感情、並に其の欲求感情の対象となる外物である。之を『義』と呼ぶ。
  • 人とは自己と平等なる価値を有する人格者としての人である。人格者とは、理性的に知り、道徳的に行ふ主体である。吾等は吾等の理性によつて宇宙の一切を知悉する無限の可能性と、是くして知り得たる事物の一切の意義を、吾等の意志によつて現実の生活の上に実現し行く無限の可能性を有して居る。この人格の無限性を、儒教に於ては『良知良能』と呼ぶ。
『我』と無我ではなく、『非我』が出てくるところは、さすが印哲専攻、興味深い。
「我固(もと)より之を有する」、『良知良能』は、孟子様の性善説かな。

 儒教の志すところは、疑もなく『道』の闡明に在る。而して道とは人格的生活の原則に外ならざるが故に、儒教は人間が如何にして正善なる生活を営むべきかを究尽せんとするものである。然るに正善なる生活とは、吾等がまさしく『我』と呼び得るものと、我に非ざる『非我』との間に、正しき関係を実現し行く生活である。儒教に於ては、旺の『非我』の世界を、天地人の三才に分類する。故に儒教の道とは天地人の道である。一層詳しく言へば、天地人に対する正しき関係を実現する原則である。支那に於いては、苟くも眞個の学者たらんほどの者は、必ず『天地人三才に通ず』べきものと考へられて来た。この思想は、英国詩人ワーヅワースが、吾等は神と自然と人生とに対して正しき観念を有たねばならぬと歌つたのと、物の見事に符節を合して居る。

 さて、儒教は『性に率ふ是を道と謂ふ』と教へる。孟子は『仁義礼智は外より我を鑠(とか)するに非ず、我固(もと)より之を有するなり』と説く。道徳の自律性は、カントによつて周匝精確なる論理を与へられたとは言へ、此の独逸哲学老を繹つまでもなく古への儒者は其の深刻なる体験によつて、逸早く此の真理を把握して居る。孟子の四端説は取りも直去ず人性に於ける道徳的基礎の研究である。彼れの所謂『端』とは、道徳の自然的基礎と云ふ意味である。それ故に儒教に於ては、道徳的完成のための努力を、存養とも長養とも、また修養とも名づける,そは己れに内存するところのもの、無限の可能性を具へて潜在するところのものを、開発し養育して行くことに外ならぬが故である。従って天儲人に対する道も、また本来自己に具有する道徳の自然的基礎を長養することによつて実現されるべきものである。さて天とは吾等の生命の本原である。其の最も直接なるは父母であり、父母より溯りて一門一家の生命の本原に到り、更に国民全体の生命に溯り、竟には宇宙其者の生命に溯原する。この天に対する正しき関係の実現は、取りも直さず宗教であり、儒教に於ては之を『敬』と呼ぶ。そは人性に本具なる畏敬信頼の感情を洗練純化せるものである。

 次に地とは精神に対する自然である。その吾等と最も直接なる交渉を有するは、言ふまでもなく吾等の肉体的生活及び之に伴ふ欲求感情、並に其の欲求感情の対象となる外物である。この自然に対する正しき関係、換言すれば先づ精神の支配を確立し、次で精神に帰一せしむることは、取りも直さず狭義に於ける道徳其者であるが、儒教に於ては之を『義』と呼ぶ。そは人性に本具なる羞耻の感情を鍛錬陶冶して、寛には仰いで天に慚ぢず、俯しては地に愧ぢざらんと期するものである。

 最後に人とは自己と平等なる価値を有する人格者としての人である。人格者とは、理性的に知り、道徳的に行ふ主体である。吾等は吾等の理性によつて宇宙の一切を知悉する無限の可能性と、是くして知り得たる事物の一切の意義を、吾等の意志によつて現実の生活の上に実現し行く無限の可能性を有して居る。この人格の無限性を、儒教に於ては『良知良能』と呼ぶ。故に人に対する正しき関係は、良知良能を包藏する生命の生々発展を相互に扶助することである。そは人性に本具なる愛憐の感情を純化することにより実現せらるべきもの、儒教に於ては之を『仁』と呼ぶ。然るに人間の共同生活に於て、各人各個の生命を、それぞれ分に応じて最も見事に生々発展させるための努力が、取りも直さず政治である。従つて政治とは客観化せられたる仁、若しくは組織せられたる仁に外ならぬ。

 是くの如くにして儒教は、宗教、道徳、政治の三者を包容する一個の教系である。そは人生を宗教、道徳、政治の三方面に分化せしむることなく、飽くまでも之を渾然たる一体として把握し、其等の三者を倶有する人生全体の規範としての『道』を闡明せんと努める。ここに儒教の免れ難き外面的混沌がある。或は儒教を以て道徳を説くものなりとし、或は主として政治家の心得を説くものなりとし、或は之を一個の宗教なりとするが如き、皆な其の原因は此点に存する.例へばダグラス教授が、孔子を以て単に『明白にして実際的なる道徳』を教へたるに過ぎずとするの類郭ある。さり乍ら儒教は、少くとも欧羅巴的概念に於ける宗教に非ず、また倫理学にも非ず、尚更政治学でもない。儒教は其等の一つに非ず、実に其等の総てである。そは当初の外面的混沌を存しながら、濃かに内面的統整を与へら勲たる一個の道統なる点に於て、比類なき特徴を有するものである。中庸の説くところを正しく把握するためには、先づ此事を明瞭に理解して置かねばならぬ。

 予は『はしがき』の中に述べたる如く、旧い意味に於ても、また新しい意味に於ても、決して漢学の専攻者ではかい。世上幾多の専門家が既に幾多の註釈を発表して居るのに、門外漢たる予が更に『中庸新註』と題して卑見を公けにすることは、固より蛇足の嫌ひなきを得ない。而も古典の妙趣は、千種万様の解釈を容れて尚ほ余裕緯々たるところに存する。多くの書籍は、特殊の人に特殊の場合に役立つこと、猶ほ薬物の如きものである。そは知識年齢の異かるに従ひ、或は益を与へ、或は害を与へる。然るに古典に至りては、一切の人がその賢愚老少を問はず、否其の賢愚老少に応じてそれぞれ魂の営養となるべき精神的食糧である。かくて予の魂が此の古典から如何にして又如何なる営養を摂取したかを公けにすることは、全く無益のことでもなからう。現に予は二個処の団体に於て、予が把握し占ままに中庸を講じ、全く予期せざりし感激を多数の青年に鼓吹するを得た。此の小冊子は、其等の聴講者の若干人が勧めるままに、講義を文字に改めたるものである。

昭和二年五月 大川周明

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