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羊さん 漢字の羊にみえる |
羊さんは、供物、生贄とされてきた。その羊さんは、つかまった後、大きく育てられた。羊に大と書いて「美」となる。大きく太った羊は美しい。
羊を示すことは、祥 いだ。
義は羊に我と書く。私は、我を羊として犠(いけにえ:牛さんもついてきた)することかなと思っている。義に虫偏がつくと蟻さん。川を渡るときは、つぎからつぎへと溺死しながら仲間を渡河させる。何という犠牲的行為か。
そう、羌族 は生贄とされていた。捕獲された後、美食を与えられ、美人にされてから、捧げられていたようだ。
教えるの「教」も結構凄い。
「教の旧字体は「敎」です。「敎」を分解すると、「爻(こう)」+「子(し)」+「攴(ぼく)」です。「爻」は「交まじわる」、「子」は「両手」、「攵(攴)=ぼくづくり」は「動作」を表あらわし、「先生が生徒と交わること」、つまり、「先生が生徒に教える」という意味が生まれたとされております。(産経国際書会)」
この「攵 」どんな動作かというと、又(手)にムチや棒を持って叩く動作だ。
牛をムチで囲い込むののは、牧場だ。
子にものを教えるということは、正に鞭撻すること、「叩き込む」ことだった。
禅宗には、竹篦、警策など、鞭撻、叩き込む道具がある。
今の世の中、子供にものを教えるのにムチを持ち出したら、お縄になる。
愛なく子を叩いてはいけない。では、子の過ちを改めるのにはどうするのか。
改めるは、己の身体ではなく、己の過ちを叩いて悔い改めるのか?
そうではなく、己の本体ではなく、巳(み=蛇)を叩く。
巳に攵で、攺(イ)、邪気をはらうために身に着けた装飾品。金属や玉、桃の木で作った。
「攺は巳(シ)と攴とを組み合わせた会意の字。巳は蛇の形をした蠱(こ)というもので、他人にのろいをかけて災いを加えようとするときに使われた。これに攴を加えて打つというのは、自分に加えられようとする災いを他に移し、変更しようとするもの一種のおまじないであった。改めるというのは、もとはたたり(わざわい)を祓(はら)い清める儀礼をいった。それで改は「あらためる、あらためる」の意味となる。(常用漢字の筆順と成り立ち)」
改めるとは、災い、呪いを叩いて祓い清めることらしい。
そして災い、呪い、それ執着か。