家の者はだれもピアノを弾かないのだが、友人、知り合いは音楽に関係する者がいた。
小学生のころ、友達の家に行ったらピアノを弾いてくれた。造りは和なのだが、中は洋風だった。まるで女優さんのように美しかったお母さんの趣味なのだろう。見るもの、手にするものが皆、初めてで、壁の洋画、陶器の人形、オルゴール、アールデコ風な装飾品。しっとりとした絨毯。パイプ煙草の残り香のような薫り。まるで違う世界だった。私の記憶では、はじめてちゃんとした紅茶(ティポットでいれた)をティカップで飲んだのも、そのお宅でだったと思う。友人は、エクボがかわいい子だった。成績優秀だったので、中学高校は、国立大学の附属へ行った。大学は近所の医大に通った。
中学に上って、夏祭りの時に、久しぶりに見かけたら、「あら、○○」とあだ名で呼んでくれた。顔が赤くなった。
小中学時代の友人の雄ちゃんは、電気系が強かったから、自作のアンプを作ったりしていた。アンプはきちんと音が鳴ったが、ブーンというハムノイズが残った。それとの比較ではないけど、家にラックスマンとかJBL、マッキントッシュの真空管アンプがあった。お姉さんは音大生、叔父さんは、音楽関係者でオープンリールとかも置いてあった。その時は、オーディオとかあまり興味がなかったから、どれだけ凄い機材か分からなかった。
今はもう弾けないが、出だしのワンフレーズだけ、映画音楽のテーマ曲を教わって弾いたことがあった。
学生時代の友人は、音大を主席で卒業し、新聞社の名前を冠した新人賞をピアノで貰ったが、ピアノで食べていくのは難しいようだった。