スキップしてメイン コンテンツに移動

作業しどき

なんか、なすがしょぼくれている。各地で体温を超える気温だったからか、ぐったりしている。
きゅうりは、見に来なかったら巨大化、そしてなにげに瓢箪のような形に。
トマトも焼けちゃった感がある。ミニトマトがなんとなく、復活して身をよくつけてくれている。少し割れているけど。

菜園管理、雑草を抜いたり、具合の悪そうな葉っぱを取ったりとか、長ネギに土寄せしたりした。

今日は涼しくて作業に向いている気候なのに、菜園にあまり人がいなかった。

少し、雨がほつりと下りてきた。もう、切り上げる。
 

このブログの人気の投稿

維摩会 春秋館に出逢う前の話・参

愛子さまの会見 よかった! 昨夜の地震による被災者へのお見舞いのお言葉、また、ご成年を迎えたことについてお話、お声、表情を拝見して、理知的で明るい、素晴らしい成年皇族だと感じた。 ソファーでそのまま寝てしまうなんて、なんとも親しみを感じた。 スロースターター 諸事情あって、30歳を少し超えてから、それなりの収入を得るようになり、不満の少ない生活をしていた。 週末になると車やバイクで箱根詣、うだつが上がらない穀潰しで、趣味の人だった。 指紋にオイルの黒い跡が入るのは、ちょっと憚れたが、バイクや車のメンテをしていた。 モラトリアム そんな一見呑気そうに見える人生でしたが、心には寂寥感があった。 オーバーサイズのピストンリングを入れて首都高環状線の飯倉付近でエンジンがロックしてしまったバイクを汗だくになりながら背広姿が行き交う、大手町の官庁街を押しながら見上げた空に、このまま、なんとなく消費していく人生を過ごすのか…とふと思った。 行く道を見失ったのか。 そうではないと感じていた。 求めている道の歩み方がさっぱり分からなかった。 無気力のようであっても、なにか自分の人生に違和感を感じていた。 燃えるような憶いを、冷めたような気持ちのまま、ぼんやりとやり過ごすのか。 当時よくいわれていた「モラトリアム人間」だったのかもしれない。 小此木啓吾さんのシリーズ本はほとんど読んだ。 アイデンティティが確立できない。したくない。 甘えて無責任に、ニコニコと性格の鎧(character armor)で固めていたのだ。 アマチュア 友達には「あなたにはプロ意識がないのよ、アマチュアなのよ、結局のところ」 おお、痛いところを突かれてしまった。 シャーリー・マクレーンを勧めてくるあんたには言われたくない。 けれど、この熱量がある友人に導かれることになった。 維摩会 春秋館に出逢う前の話・陸 維摩会 春秋館に出逢う前の話・伍 維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆 維摩会 春秋館に出逢う前の話・つづき 維摩会 春秋館に出逢う前の話

灌仏会 維摩会 春秋館にて

灌仏会 昨日は、維摩会 春秋館の灌仏会で三時間ばかり座った。 維摩会 春秋館では灌仏会に 座禅 を行う。 呼吸、姿勢を整え、集中していく。 開始、30分前ぐらいから、一礼して座について準備をしていると、10分前ぐらいになると整い、座りやすくなった。 本山、別院、名刹、禅宗のお寺で座ったことがあった。 宗派によって、座る向きが異なり、曹洞宗は面壁九年と云われるように、壁に向かって座る。 座蒲も曹洞宗は丸、臨済宗では四角で、 手は、印、叉手の重ね方が違っていたりする。 どちらのお寺でも参禅会では、初参加の時に座り方、作法を教えてくれる。 坐禅堂 維摩会 春秋館の他で、 私が座りやすいと感じたのは、冬は膝上まで雪が積もったお寺だった。 本山に次ぐ第二道場とのこと、750年以上の歴史がある。 永年にわたり、修行者が座っていたという場の力、後押しがあるのかもしれない。 そこに居た僧侶の友人に、誘われて真冬に座りに行った。 僧侶は、一炷香、お線香が燃え尽きる時間(四十分ぐらいか)座り、経行(きんひん)、歩く禅をされる。 友人からそのまま座っていてもいいよと言われていたので、私はそのまま、何時間か座っていた。 維摩会 春秋館は、経行を入れずに続けて座る。1時間、2時間、3時間があっと言う間だ。 終わった後、甘茶を頂いた。甘いお茶なの、これ?…じわっと甘くなってくる。 はじめての方も全員、三時間座り通した。 卓越した座禅の指導と仲間と一緒だから、座れるのだと思う。 あっ、それと場の力と後押し。 善き、時を共有させて頂きました。有難うございます。 一礼して終わる。  

維摩会 春秋館に出逢う前の話・肆

神経質で鈍感 その対象に興味がなかったのかもしれない。 事象・自然の息吹から「何か」をつかみ出してくるという感覚はなかった。漠然とした感覚ではなく、手で触り、目で見て耳で聞いて、どういうことか、実感として知りたかった。 知ったか 知識として、言葉として「色即是空」「一切皆空」とか知っていて語りもしたが、体感、体現として、何一つとして理解はしていない。 表在意識だけ、死んだら一切失ってしまうものを頼りとしていた。 ということさえ思いも至らず、維摩会 春秋館に出逢わなかったら、何も知らぬまま死んでしまうところだった。 ダイブしようとする友人 私の友人は違っていた。 スピリチュアルリーディング・・霊感というか直感があったように思う。 衝撃的なことを言うのだけれども、間違ったことも言うのだけれども、 どれも、私の為にと心底言ってくれていた。(と思っていた!) ※その友人談:そんなこともなかった!と、あっさり。 え"? もっとも私が突拍子もないこと言うのを受け止めることを知っていたからだろう。 そんな友人も友人なりに在学中に精神的に厳しい期間があったようで 私が偉そうに心構え的なことを『禅語百選』の引用なんかして話をすると 一応、へぇ?と関心をもっているようだった。 卒後は誰より早く独立し、自分の進むべき道を極めようと努力していた。 一時期シャーリー・マックレーンとかのチャネリングに興味があったようだ。 友人はチャネリングにはそこに至るまでのシステムがない・・と残念そうだった。 えっ、チャネリングなんかする気なのかい・・ 私も憑き物、じゃなかった霊感、霊媒系の話は、物語としてはおもしろいと思っていたが、 だからといって・・ねえ、そこに飛び込んじゃうのはいかがなものかと・・ 鉄砲玉の普段からするとやりかねない… 本人に素養もありそうで、心配だったので、よく話を聞くようにした。 開けてはいけない扉 あっちの世界は幸せだけ詰まっているわけでもないだろう。 つながる手段を得て、不用意にパンドラの函を開けてしまったら… 天に通ずる道は地の底にも繋がっているに違いない。 心の奥底に不安を抱えていた私はそう感じていた。 維摩会 春秋館の御指導のおかげ様で、今は不安に引きずられてどうしようもなくなることはない。実践する対処をいくつも教わった。 キュリオシティ どうなっているんだろう