戦争末期における航空機等による特攻は、海軍航空隊の大西瀧治郎中将が、マニラを拠点としていた第一航空隊着任直後だった。米軍はフィリピンのレイテ島に上陸していた。
マリアナ沖海戦で機動部隊は壊滅状態になり、艦隊航空戦力を失った。圧倒的に不利な戦況で、基地航空部隊だけで打撃を与えられる戦法は、爆弾を抱えての体当たりしかないと大西中将は考え、関行男大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊が編成された。特攻隊は護衛空母撃沈の戦果を挙げ、陸軍航空部隊でも採用されるようになった。また、航空機以外にも、人間爆弾「桜花」、人間魚雷「回天」が開発された。特攻による戦死者は、五八四五名(海軍四一五六名、陸軍一六八九名)である。
国の山河、父母、兄弟姉妹を護るため、若者は生命を懸けた。志願から始まった特攻だった。
特攻を指揮した大西中将の思いがあった。「これは、九分九厘成功の見込みはない、これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。ここに信じてよいことがある。それは、いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実・歴史の残る限り、五百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」と。
大西中将は、敗戦の翌日、八月十六日午前二時頃、腹を十字に切り頸と胸を刺し自決した。介錯と延命処置を拒み続けたまま同日夕刻死去。多くの若者を死なせてしまった代償はあまりにも大きい。償いきれるものではない。十五時間余りの肉体の苦痛は報いではないと思う。苦は必然だった。大西中将の願いは日本再興にあった。特攻の是非を超えて、大西中将の思いに、隊員たちは生還なき特攻を志願をし、国を護った。
欧米人は、特別攻撃隊を恐れていた。「一国が何かを入手するたびに、他国が間もなくそれを保有する。一国がレーダーを入手すると、間もなくすべての国がレーダーを保有する。一国が新しいタイプのエンジンか航空機を得ると、その後他国がそれを手に入れる。だが、日本軍は神風パイロットを手に入れたが、日本以外には誰もこれを得られそうにない。なぜなら、日本人以外の連中は、そのような性格に作り上げられていないからである」(ジョン・S・サッチ大佐 第三八機動部隊指揮官マッケーン提督の作戦幕僚「玉砕戦と特別攻撃隊」新人物往来社)アメリカ軍は、特攻隊の戦果を過小評価し、大したことはなかった、無駄死だった宣伝した。
敗戦後、進駐した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による日本占領政策、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が実行され、新聞、放送、出版は検閲された。軍国主義者が国民を騙して戦争を行い、米国は広島・長崎の原爆をもって日本国民を解放したとする分断、懐柔工作だ。
GHQは一九四五年一二月からGHQによる放送ということを隠し、NHKのラジオを利用して「真相はかうだ」の放送を開始した。名称を真相箱、質問箱と変え、一九四八年一月まで続いた。神道指令(神道・神社を国家より分離することを指令した覚書)により、「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、国家主義に連なる用語の使用もこれによって禁止された。GHQの命令により、戦前の教科書は黒塗りをされ、同じ教師から全く違った教育を受けた。教師も生徒も混乱した。地理、歴史、修身の教科書は、墨塗りでなく廃棄された。修身の教科書は、明治天皇が発布された教育勅語の精神、儒教に基づいた十二の徳目、孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信、謙遜、博愛、修学習業、智能啓発、徳器成就、交易世務、遵法、義勇を説くものだった。
戦後七〇年、GHQの意図のまま、左傾のマスコミ、日教組は修身教育を、日本精神を無思考に、プログラムに忠実に壊し続けている。フランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマ氏は、神風特攻隊について「祖国防衛のため命をささげた無数の英霊と、あまりにも若い花の命を散らせた神風特攻隊員たちは、いまや、戦ではなく霊性によって日本が世界に光明をもたらすことを、生者たる皆さんに向かって、あの世から念じてるのです。あの神風の若者たちの、鬼神の行為に先んじて、天使の視線を宿した平静さは、どうでしょうか。あの視線を忘れますまい。「平和日本」を口にするのであれば、何よりもあの視線を記憶に留め、己のルーツに誇りを持つことで、戦死者に対する国民の誠の表れとすべきであります」(『日本待望論』)とした。
日本の教育基本法は、平成十八年(2006年)の改正前まで、GHQの統制下で制定された前文には、日本という言葉が出てこなかった、日本の歴史や文明もだ。日本や日本の歴史、文明、伝統に触れずして、どのように国民の教育をしようとしていたのだろうか。
今の日本を復興させるには、日本人としての誇りを取り戻すこと、義や道理を説く教育が必要ではないのか。
それにしても、特攻で若き命を多く喪ったのは真に残念だった。