認識とは、デジタル大辞泉(小学館)によると
[名](スル)
1 ある物事を知り、その本質・意義などを理解すること。また、そういう心の働き。「―が甘い」「―を新たにする」「―を深める」「対象を―する」
2 《cognition》哲学で、意欲・情緒とともに意識の基本的なはたらきの一で、事物・事柄の何であるかを知ること。また、知られた内容。
ウィキペディア(Wikipedia)では、「知識とほぼ同義の語であるが、日常語の知識と区別され、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である。」
脚注に『岩波哲学小事典』とあるからそこが出処なのだろう。
でも、「作用を含む概念」って、認識は、認識するってサ変動詞になるからじゃなぁい?
安易に認識したと使っていたが、「本質・意義を理解すること」とされると、俄然、ハードルが上がってしまう。
普段は、哲学用語の「何であるかを知る」程度で使っている。
その本質、ホンゼツを理解するって、本来は不立文字で言語では説明できないのではないか。有為法、虚妄分別のうちにあると認識している。
あっ、認識しちゃった。