通勤途中に、ふと、浮かんだ。普段、利いたふうな口をきいて、「宇宙開闢以前では」なんて言うことがあるが、以前って、時間と空間ができるのは、宇宙開闢以後(以後も怪しいなぁ)プランク時間後(時代)から時間と空間が生じたんだと思っているけど、時間も空間も無い世界(世界でもない)っていったいどういう存在(存在という概念であっているの?)なのだろかと。
あっ、夢の中って、時間や空間があるのだろうか。夢は経過(変化)するが、時系列がメチャくくちゃなこともある。夢を見ている見分は、空間っぽい認識をしているが、夢の中って果たして空間なのだろうか?違うんじゃない。
けど、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六根を認識し、客観側の六境、色(視覚)、声(聴覚)、香(嗅覚)、味(味覚)、触(触覚)、法(知覚)が対応していると思う。匂いや味もするからね。それって、時間と空間がないと本来は認知できないのではないの。空間というか空気がないと匂いは伝播しない…そうでもないか、遠い昔、舌に電気刺激を加えて網様体を経由するかどうかとか、やっていた気がする…電気刺激で嗅覚や味覚は作動するなぁ。刺激から伝播、認識の動作そのものが「脱分極」、細胞内外の電位差の証左だよな。でも空間がないところ、依りどころのないところでの電気刺激って何よ、だな。ん、仏教用語的な「受」ならOKか。
で、夢という想念の中(中だって!)に空間はあるのか?
空間(という概念?名言習気?)を造っているんだろうな、わたしの中では。(だから中ってなに?)
ま、夢が変化すること自体で、時空(時間と空間、時間=空間)があるとできるのかな?
で、刹那滅が絡んでくると…
時空間の有無じゃなくて、時空間認識の有無なら有だろうね。
夢の中で認識する時空間は虚妄なのか。
虚妄だろうけど、そもそも論だと夢じゃなくても、物理現実のこの世界は、虚妄分別の産物というところに落ちるんじゃない?
人生の苦悩やその解決にはつながらない、くだらないことを考えていることがある。(無記)
それも、何も考えないようにと意識している時に襲ってきやがる。
これって疲れた時の脳に対するわたしの娯楽なのだろうか。道草?きらいじゃない。