「幽玄体」という表現、これを明確に定義することは容易ではない。しかし、詩の世界においては、行雲流水の様子を「幽玄体」と表現することがある。
空に雲が浮かび、雪が風に舞い踊る風景は、まさにその象徴的なイメージだろう。
定家の著作『愚秘抄』には、幽玄体を物語として具現化した例が述べられている。
唐の襄王と天女との交わりを描いたこの話は、夢か現実かも分からぬ幽玄的な情緒が漂う。
襄王が神女に「形見をお残し下さい」と願うと、彼女は巫山の朝霧や夕雨を指し示す。
彼女の消え去った後、襄王が朝霧や夕雨を見つめるその情景こそ、幽玄体と言えるのだろう。
しかし、何が幽玄であるかは各人の心中によると思う。必ずしも言葉になるものではなく、表現や解釈には各自の心の動きが深く関わる。
ただ空に雲が流れる様子を幽玄体と称するのか、内裏の紫哀殿で桜が咲き乱れ、女房たちがそれを見つめる情景を幽玄体と称するのか、それは観る者の心次第であろう。
ともすれば、「どこが一体幽玄であるか」と問いただすも、「この所が幽玄だ」とはっきりと示すことのできない光景が幽玄体なのだと思う。
何故なら、幽玄とは言葉で説明できるものではなく、感じ取るものであり、人それぞれの感性や解釈が幽玄を生むのだから。(『正徹物語』より)
空に雲が浮かび、雪が風に舞い踊る風景は、まさにその象徴的なイメージだろう。
定家の著作『愚秘抄』には、幽玄体を物語として具現化した例が述べられている。
唐の襄王と天女との交わりを描いたこの話は、夢か現実かも分からぬ幽玄的な情緒が漂う。
襄王が神女に「形見をお残し下さい」と願うと、彼女は巫山の朝霧や夕雨を指し示す。
彼女の消え去った後、襄王が朝霧や夕雨を見つめるその情景こそ、幽玄体と言えるのだろう。
しかし、何が幽玄であるかは各人の心中によると思う。必ずしも言葉になるものではなく、表現や解釈には各自の心の動きが深く関わる。
ただ空に雲が流れる様子を幽玄体と称するのか、内裏の紫哀殿で桜が咲き乱れ、女房たちがそれを見つめる情景を幽玄体と称するのか、それは観る者の心次第であろう。
ともすれば、「どこが一体幽玄であるか」と問いただすも、「この所が幽玄だ」とはっきりと示すことのできない光景が幽玄体なのだと思う。
何故なら、幽玄とは言葉で説明できるものではなく、感じ取るものであり、人それぞれの感性や解釈が幽玄を生むのだから。(『正徹物語』より)