自己とは、存在ではなく、エネルギーの方向性みたいなものなのか?
いや、エネルギーそのものか。
いや、エネルギーそのものか。
「それはエネルギー」と言ってしまえば、便利な言葉で、重さがあるものは、エネルギーに変換しうる。E=MC
加速度のような、ベクトルのような、エナルギーの集約が肉体であり、肉体の構成を介する思考=執着であって、そのいかれたフィルターを消去して、本体のエネルギーが姿、真如、如来蔵を示すのか。
「本質は真如」も便利な言葉だ。頭痛が痛いみたいな…
わたしの「現象世界の本質はエネルギー」ってバカな発言だなと思った。
そこに在ると認識させる実態は、電磁気力と実体とは言えない量子、生成消滅を繰り返す素粒子の集合体。それって本当に「体」なのか。
実体がないものを寄せ集め(縁起 and/or 執着か?)ても実体にはならないのでは?
只、感覚、前五識をもって感じているだけなのか。
只、感覚、前五識をもって感じているだけなのか。
で、感じているのは「だれ」なんだ?
とループし立ちはだかるのは、「バカの壁」か?
釈尊は、無知は最大の罪と説かれた。