私は、「エネルギー」という言葉を抽象的に使うことが多かった。いや、感覚的にか。
「自己とは、存在ではなく、エネルギーの方向性みたいなものなのか?いや、エネルギーそのものか。」と恥じることなく言い放っていた。
「自己とは、存在ではなく、エネルギーの方向性みたいなものなのか?いや、エネルギーそのものか。」と恥じることなく言い放っていた。
さて、物理学のエネルギーの定義はというと。
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物理学におけるエネルギーは、非常に基本的かつ重要な概念です。エネルギーは、仕事を行う能力や、状態の変化を引き起こす能力を表します。物理学では、エネルギーは多くの異なる形態を取り得ますが、いくつかの基本的な特徴があります。
仕事の能力: エネルギーは物体に力を加え、その物体を移動させる能力を持っています。この過程で行われる「仕事」は、力とその力によって引き起こされる移動の積として定義されます。
保存の法則: 物理学の基本原理の一つであるエネルギー保存の法則によれば、エネルギーは作られることも失われることもありませんが、一つの形から別の形へと変換されることはあります。
様々な形態: エネルギーは様々な形態をとります。主な形態には、運動エネルギー、位置エネルギー、熱エネルギー、化学エネルギー、電気エネルギー、放射エネルギーなどがあります。
相互変換: 異なる形態のエネルギーは、特定の条件下で互いに変換可能です。例えば、化学エネルギーは燃焼によって熱エネルギーや光エネルギーに変換されることがあります。
測定と単位: エネルギーは測定可能で、国際単位系(SI)ではジュール(J)が用いられます。1ジュールは、1ニュートン(N)の力がその力の方向に1メートル(m)作用したときに行われる仕事と定義されます。
これらの特性を通じて、エネルギーは物理学において多くの現象を説明し、理解するための重要な鍵となります。
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「自己とはエネルギー」は、エネルギーの定義からすると「仕事を行う能力」は「はずれ」だな。「自分」は、仕事はするけど、その能力を「自分」と感じない。能力≠自分だよね。
「状態の変化を引き起こす能力」これは、なんとなく掠めていると感じるのはどうしてだろうか。仕事と同様に「状態の変化を引き起こす」が…。その能力、その自由さ、主体性がよりありそうなところになんとなく自分のありようを感じる。
やっぱり自己とはエネルギーではないのか?
尤も、質量あるものはすべてエネルギーに変換しうるしね。M=E/C
素粒子は、カイラル対称性が自発的に破れて光速で移動できなくなり質量を獲得する。ロマンだなぁ〜