最近はカルディの「マイルドカルディ」の豆と夜は「カフェインカットのおいしいコーヒー」のインスタントが定番となった。
生意気な高校生の頃は、酸味がきいたアラビア・モカが好きだった。そのころの喫茶店にはたいがいストレートコーヒーがおいてあった。
皆のたまり場となっていた店があった。カウンターがあってその棚にマイコーヒーカップを置かしてくれた。マスターが高校生の話し相手もしてくれる面白い店だった。
皆のたまり場となっていた店があった。カウンターがあってその棚にマイコーヒーカップを置かしてくれた。マスターが高校生の話し相手もしてくれる面白い店だった。
お店が休みの雨の日にか、駅で電車待ちをしていると、偶然マスターとあった。マスターからこれを考えたらお金持ちになれる方法というのを教えてもらった。駅の線路に落ちている吸殻を拾う方法とワイパー以外の車のフロントガラスの雨対策だった。電車待ちの間も退屈させない人だった。
前者は、駅が禁煙となりまあ解決したか。そうでもないか、airpodsみたいなちいさなイヤフォンを線路に落とすらしい。それを拾う器具あったかな?掃除機のノズルの先にストッキングを張って吸い上げていたっけかな?
前者は、駅が禁煙となりまあ解決したか。そうでもないか、airpodsみたいなちいさなイヤフォンを線路に落とすらしい。それを拾う器具あったかな?掃除機のノズルの先にストッキングを張って吸い上げていたっけかな?
後者のワイパーに代わるものはまだない。これを思いついたら大金持ちになれたのか。
とても話し上手なマスターは、髪の長いスッとした美人の常連さんと駆け落ちしてしまった。とんだ思いつきを実行してしまったものだ。それで幸せになれたのか?今でも。
とても話し上手なマスターは、髪の長いスッとした美人の常連さんと駆け落ちしてしまった。とんだ思いつきを実行してしまったものだ。それで幸せになれたのか?今でも。
暫く奥さんが一人で店をやっていたけど、マスターがいない店には、皆の足もだんだん遠のいてしまった。
あと記憶に残っているのは、バイク屋さんで飲んだブルーマウンテンが美味しかった。若い学生風なライダーにどうしてよいコーヒーを入れてくれたんだろうか、謎だ。ブルマンは当時から常に高値だったのでそうそう飲むことはなかった。
ハワイに行った時、コナコーヒーを飲んだら、もうこれしかないと思ったが、日本ではブルーマウンテンよりさらに高くて手が届かなかった。
就労してバブリーな時代になってから、ブルマンやハワイコナの豆を買って自分で挽いていれていた。そのころが一番いいコーヒーを飲んでいただろうけど、なんか忙しくてコーヒーの味わいについての記憶がない、残念だ。
高校を卒業してアメリカに居た時は、挽いた粉のコーヒーはドンとあったが、豆はあまり見かけなかった気がする。ドリップ式とかサイフォンもペイレスやセーフウェイにはなかったなぁ。なんだろうパーコレーターと言ったけ、粉と水を入れて火にかけるだけみたいな器具で泥水みたいなコーヒーを飲んでいた。あまりにそれがあたりまえな感じで気にはならなかった。カフェテリアやダイナーで飲むコーヒーもみなそんな感じだった。コーヒーが煮詰まって熱かった記憶はあるが、おいしかったということはなかった。
アメリカ人は皆、朝昼晩、同じ物を食べていても平気なようだった。まるで餌を食べているかのようだった。
前にニューヨークのアメリカ人の記者が和牛のステーキについてレポートしている場面があって、「日本の牛肉なんて別に期待できないな…」と言いながら一切れ口に入れた瞬間に表情を変えて「皆さん、私たちが今まで食べていたのは、ステーキではなく靴の底でした」と絶賛していたのを思い出した。
前にニューヨークのアメリカ人の記者が和牛のステーキについてレポートしている場面があって、「日本の牛肉なんて別に期待できないな…」と言いながら一切れ口に入れた瞬間に表情を変えて「皆さん、私たちが今まで食べていたのは、ステーキではなく靴の底でした」と絶賛していたのを思い出した。
カルディの「マイルドカルディ」そこそこおいしい。