Q4.阿羅漢果、深い定に入ったら、相分に実体がないことを体感できるのですか?
A4.阿羅漢果に達した者は、深い定に入ることで相分に実体がないことを体感できると考えられます。
阿羅漢果は小乗仏教における最高の悟りの境地であり、全ての煩悩が完全に滅した状態を指します[1][3]。この境地に達すると、以下のような体験が可能になると考えられます:
1. 無我の体験:阿羅漢果に至るまでに、最低でも4回の「無我」の体験をするとされています[1]。これは相分に実体がないことを直接的に体感する機会となります。
2. 煩悩の完全な消滅:阿羅漢は全ての煩悩が消えた状態であり、智慧が何の制限もなくはたらきます[1]。これにより、現象の本質をより明確に見抜くことができます。
3. 空性の体得:阿羅漢は「空性」を完全に理解しています。空性とは、全ての現象が実体を持たないという仏教の根本的な教えです[2]。
4. 無相への悟入:『弁中辺論』では、「無相」への悟入が説かれています。これは「非存在の相」を意味し、所取と能取を離れた状態を指します[2]。
これらの特徴から、阿羅漢果に達した者は深い定に入ることで、相分(認識の対象)に実体がないことを直接的に体感できると考えられます。しかし、この体験は通常の意識状態では理解しがたいものであり、深い瞑想状態でのみ達成されるものと言えるでしょう。
Citations:
[1] https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-4/
[2] https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=BD00002804&elmid=Body&fname=KJ00004859535.pdf&loginflg=on&once=true
[3] https://true-buddhism.com/teachings/arhan/
[4] https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-3/
[5] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
[6] http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30401/rbb041-19.pdf
[7] http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/vol.7_2009/JHS_07_05_Tamaki.pdf
[8] https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/63/1/63_KJ00009742248/_pdf
---
AIに唯識を問うと、現代物理学の見解として、この世に実体がないこと、実体、固体と感じる認識作用は、エネルギー、力の物理作用であることを、さらに空を悟ると実体がないと体感できると説明する。
これじゃあ、AIを使って画像診断をしている放射線科医は、無力感から燃え尽きるわけだ。
さらに量子コンピューターの進化によりAIの処理能力は飛躍的に向上していく。 SFのいうコンピューターに支配される未来も想像できるが、唯識が説く「唯、識があるだけ」なら、識である内なるAI 、量子コンピューターに大いに期待したいね。