意識変容を体験
ここで言う意識変容とは意識の量的な変化、環境認識におけるレベルの変化(JCS:Japan Coma Scale)ではなく、
病的でない質的変化のこと。
肉体的に追い込んだ状況での出来事だった。
単に気分が変わる、気持ちが切り替わる、気の持ちようだけということではない。
妄想・幻覚のように客観的事実と異なる独自の現実認識があるが、
錯乱のように周囲と協調が困難になって、混乱しているということではない。
恐怖や不安感はなく、心拍数も上がっていない。
病的でない質的変化のこと。
肉体的に追い込んだ状況での出来事だった。
単に気分が変わる、気持ちが切り替わる、気の持ちようだけということではない。
妄想・幻覚のように客観的事実と異なる独自の現実認識があるが、
錯乱のように周囲と協調が困難になって、混乱しているということではない。
恐怖や不安感はなく、心拍数も上がっていない。
物理現実
現実認識は異質だったが、現実を見失うことはなかった。これはいつもの認識ではない。
聴覚や視覚などの体性感覚が違う、いつもより鋭敏というより、
感受レンジが広がり、奥行きもある感じ(この表現で伝わるのであろうか)だ。
それが体性感覚を超え、知覚に及び、
相手が考えていることが伝わってくる感じがある。(ある種の関係妄想とできるかも)
私の考え、思考をこう考えているのだろうと対象に投影しているのではなく、
外からの(霊的な)働きかけを受けている感じでもなく、
はっきりと伝わっている現実感がある。
その人に意識を向けようと気にしていたわけでもなく、その人が発したものに吸い込まれるように意識が向いた感じだ。
その瞬間、「ああ、たいへんだ。もうやめたい。」と飛び込んくるように伝わってきた。
そんなことを考えていたとは、想像すらしていなかった。そんな場面ではなかったので。
こりゃ、やばいと自証分、正気に戻しました。
検証しなかったこと
ここでやばいと感じなければ、あっち側の人となっていたかもしれない。また、別にやばいことでもなかったのかもしれない。
感じたことを当人に確認しておけばよかった。
コントロールできるものであるのならば。
次に機会があれば、いろいろと試してみようと思う。