仁義礼知信 五常の徳
文政二年(1819年)、二宮尊徳は、貧しい小田原藩士のための低利助貸法及び五常講を起こした。仁、義、礼、知、信の五常の徳を実践している藩士にその心根を担保に信用貸を制度化した。信用組合制度は、ドイツが発祥とされている。1859年、シュルツェ=デーリチュは、200以上の銀行を組織化し、最初の協同組合会議をヴァイマルで開き、協同組合の中央組織を設立した。尊徳は、それよりも四十年前に五常講を興した。世界初の信用組合制度だ。
仁 皆で困っている人のためにお金を出し合う。
義 借りたお金はきちんと返す。規則を守る。
礼 互いに感謝する。
知 知恵を出し合い運用する。
信 互いに約束を守り信頼しあう。
お金を出した者も借りた者も感謝の気持ちで約束を守ることで五常の徳の実践をしたことになる。兵よりも食よりも信用が大事なのである。
子貢、政を問う。子曰く、食を足し、兵を足し、民(たみ)之を信ず。子貢曰く。必ず已むことを得ずして斯の三者を去らば、何れをか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むことを得ずして斯の二者を去らば、何れをか先にせん。曰く、食を去らん。古自り皆死有り。民、信無ければ立たず。(顏淵十二)
子貢が、政治の要を孔子に問うた。孔子様は、食を満たし、兵を満たせば、民は政を信じると答えた。子貢は更に、このうち一つを捨てなければならない時は何をお捨てになりますかと問うた。孔子様は、兵だな。更にお捨てになるとしたら、食だ。人はいづれ死する。人に信が無ければ生きるに値しない。孔子様は、信は命よりも大事であると説く。命を超えて繋いでいくものがあると。
子孫の相続は夫婦の丹精に在り 父母の富貴は祖先の勤功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り 衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り 今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り 年年歳歳報徳を忘るべからず
二宮尊徳の報徳思想の由来は、論語から来ており、「十年に及んだ桜町復興の成果報告を、二宮尊徳から受けた小田原藩主大久保忠真は、「そちの方法は論語にある、『徳を以って徳に報いる(以徳報徳)』というやり方だな」と評しました。わが意を得た尊徳は、その後自分の仕法を「報徳」と呼ぶようになりました。
尊徳の言う「徳」とは万物に備わる徳、すなわちそれぞれの長所、潜在的な力を意味します。尊徳は「荒地には荒地の徳があり、借金には借金の徳がある」と言っています。少年時代、捨て苗を拾い、荒地の水溜りを耕して米を収穫し、成人してからは借財の問題点を整理して、財政再建に導きました。災いを転じて福となす。一見の災いも捉え方によっては徳に変わります。それぞれの徳を掘り起こし、連係させ、生産性を高め、循環性を効率化し、生活・生業の創造性と安定性を追求する作業が、報徳仕法の基本です」(報徳博物館HPより)
幼い時より身を粉にして働きながら、学問をし、率先垂範し、倹約をし、よく働く者には報奨し、創意工夫を凝らして実利、実績を積み上げて、周りの者に良き影響を与え、お互いに助け合い、社会を豊かにしていった。二宮尊徳は、まさに孔子の教えを実践した、日本が誇る君子の一人と言えるのではないか。
仁 皆で困っている人のためにお金を出し合う。
義 借りたお金はきちんと返す。規則を守る。
礼 互いに感謝する。
知 知恵を出し合い運用する。
信 互いに約束を守り信頼しあう。
お金を出した者も借りた者も感謝の気持ちで約束を守ることで五常の徳の実践をしたことになる。兵よりも食よりも信用が大事なのである。
子貢、政を問う。子曰く、食を足し、兵を足し、民(たみ)之を信ず。子貢曰く。必ず已むことを得ずして斯の三者を去らば、何れをか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むことを得ずして斯の二者を去らば、何れをか先にせん。曰く、食を去らん。古自り皆死有り。民、信無ければ立たず。(顏淵十二)
子貢が、政治の要を孔子に問うた。孔子様は、食を満たし、兵を満たせば、民は政を信じると答えた。子貢は更に、このうち一つを捨てなければならない時は何をお捨てになりますかと問うた。孔子様は、兵だな。更にお捨てになるとしたら、食だ。人はいづれ死する。人に信が無ければ生きるに値しない。孔子様は、信は命よりも大事であると説く。命を超えて繋いでいくものがあると。
報徳訓
父母の根元は天地の令命に在り 身体の根元は父母の生育に在り子孫の相続は夫婦の丹精に在り 父母の富貴は祖先の勤功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り 衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り 今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り 年年歳歳報徳を忘るべからず
二宮尊徳の報徳思想の由来は、論語から来ており、「十年に及んだ桜町復興の成果報告を、二宮尊徳から受けた小田原藩主大久保忠真は、「そちの方法は論語にある、『徳を以って徳に報いる(以徳報徳)』というやり方だな」と評しました。わが意を得た尊徳は、その後自分の仕法を「報徳」と呼ぶようになりました。
尊徳の言う「徳」とは万物に備わる徳、すなわちそれぞれの長所、潜在的な力を意味します。尊徳は「荒地には荒地の徳があり、借金には借金の徳がある」と言っています。少年時代、捨て苗を拾い、荒地の水溜りを耕して米を収穫し、成人してからは借財の問題点を整理して、財政再建に導きました。災いを転じて福となす。一見の災いも捉え方によっては徳に変わります。それぞれの徳を掘り起こし、連係させ、生産性を高め、循環性を効率化し、生活・生業の創造性と安定性を追求する作業が、報徳仕法の基本です」(報徳博物館HPより)
幼い時より身を粉にして働きながら、学問をし、率先垂範し、倹約をし、よく働く者には報奨し、創意工夫を凝らして実利、実績を積み上げて、周りの者に良き影響を与え、お互いに助け合い、社会を豊かにしていった。二宮尊徳は、まさに孔子の教えを実践した、日本が誇る君子の一人と言えるのではないか。