昔、冬山登山に行ったことが何度かあった。
はじめての時は、途中で車のバッテリーが上がって、車が止まり、近くでたむろしていた、ちょっと悪そうな善い人たちに車を押してもらってスタンドに入った。その時は、外車に乗っていたので、合わないバッテリーをなんとか載せて出かけられた。なんでこんなトラブルにと思った。
次は、自分の車ではなく、代車で中央道を走行中、車から白煙、どんどんスピードが落ちる、オーバーヒートだ。これは、本当になんとか、サービスエリアに着いた途端、息絶えて車のエンジンは止まった。夜中に車屋さんにセーフティローダーでエンコした車を取りにきてもらった。
私は、パーキングエリアからタクシーを呼び、近くの国鉄(JR?)の駅で一夜を明かして電車で向かった。真冬の終電あとの駅は、暖房はないが、冬山装備があったので、寒くはなかった。目だけ出した男がじっと駅のベンチで座っている絵だ。反省しその反省に気づき続けた。
単独行なら、どちらも行ってはいないと思う。仲間が一緒だったし、その日程しかとれなかったので、行くしかなかった。
けっこうあからさまな出来事に、冬山に行くのが嫌でこんなトラブルがあったのだと思った。
仲間に対して、そんな自分が恥ずかしく、そんな心根の自分自身を恥じた。
仲間に対して、そんな自分が恥ずかしく、そんな心根の自分自身を恥じた。
キリスト教の素養はなかったので、試練とは考えなかった。
不徳の致すところと思ったが、死ぬかもと思ったけど、
多くの助けが入り目的は達成できた。 感謝。