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投稿

12月, 2024の投稿を表示しています

千日

 もう破壊されてこの形ではないけど、バーミヤンの石仏、一度見てみたかった。はじめて知ったのは、真崎守だったかの漫画の背景画だと思う。迫力があり凄い存在感だった。 高校生の頃 だった。 このブログ、千日千回書いた。毎日欠かさず書いてきたけれど、プラットホームのBloggerがGoogleファミリーであるにもかかわらずイマイチ検索に引っかからない。 ここって広告がないのが気に入って使っていたんだけどね。 ここで筆を擱きます。 お読み頂きまして、有難うございました。

冬やさい

かぶは、順調に育ってくれた。ぷっくりとしていて、甘くておいしい。 大根が不調なのでありがたい。 葉っぱも使い勝手がいい。 例年になく、うまくいかなかった白菜。これが例外で大きく育ってくれた一つ。 このところ暖かい日が続いているから、これからしっかりと結球してほしいな。 カリフラワーは、先に小ぶりなものがおいしいそうだったのでいただいた。 写真のものを収穫して茹でて食べた。 こちらの大きい玉の方が味がしっかりしていた。残りも順調だ。 ブロッコリーがまだ小さいのが気がかり。 はやく大きくなってね。  

世界初、単一光子の形状を可視化することに成功 – バーミンガム大学が量子光学の新理論を発表

バーミンガム大学の研究者たちは、単一光子の正確な形状を初めて定義することを可能にする新しい理論を開発し、量子レベルでの光と物質の相互作用に関する理解を革命的に変える可能性があるという画期的な研究が、Physical Review Lettersに発表されました。 量子光学の最近の進展により、研究者たちは複雑な光子構造を可視化し、光の本質に対する前例のない洞察を提供しています。オタワ大学の科学者たちは、二重光子デジタルホログラフィーと呼ばれる技術を開発し、2つのエンタングルされた光子の波動関数をリアルタイムで可視化しました。この方法は以前のアプローチよりも指数関数的に速く、量子エンタングルメントを捉えるのに数日ではなく数分しかかかりません。 一方、バーミンガム大学の研究では、光子の形状を定義するだけでなく、環境要因がその特性にどのように影響を与えるかも明らかにしました。この研究は、光子の色、形状、および放出の可能性が、その周囲の幾何学的および光学的特性によって影響を受けることを示しました。これらの光子構造の可視化と洞察は、より効率的なセンサー、太陽電池、および量子コンピューティングシステムを含む改良された量子技術への道を開いています。 フォトンの形状に関する新しい理解は、以下のような技術分野で大きな利益をもたらす可能性があります: 量子コンピューティング フォトンの形状と振る舞いを正確に予測・制御できることで、光を用いた量子ビットの実装や量子情報の伝送に新たな可能性が開かれます[3]。より安定した量子演算システムの設計に貢献し、量子コンピューティングの発展を加速させると期待されています[1][3]。 高感度センサー技術 フォトンと物質の相互作用を精密に制御することで、これまでにない高感度な検出システムの開発が可能になります。病原体の検出や分子レベルでの物質同定など、より精密な計測技術の実現につながる可能性があります[3]。 量子暗号通信 フォトンの複雑な形状を利用することで、より安全なデータ転送や量子暗号通信システムの開発が期待されます[5]。 高効率太陽電池 光と物質の相互作用に関する新しい知見は、より効率的な太陽電池の設計に応用できる可能性があります[3][6]。 ナノフォトニクス フォトンの形状と環境との相互作用に関する理解が深まったことで、新しいナノフォトニッ...

可憐な吉祥草が咲く

吉祥草が咲くと善きことがあると言われているそうだ。そう教わって頂いた。 はじめは一鉢だったのにどんどん増えてきた。 増え方は折り鶴蘭のようなランナーがどんどん増えていく感じ。 幸せもどんどん増えて欲しい。 でも因がない果は実らないのが道理だね。 この可憐な花があるだけでもいいかな。 欲張ってもろくなことはないし。  いまあることに感謝だ。

やるなぁAI【参】

Q4.阿羅漢果、深い定に入ったら、相分に実体がないことを体感できるのですか? A4.阿羅漢果に達した者は、深い定に入ることで相分に実体がないことを体感できると考えられます。 阿羅漢果は小乗仏教における最高の悟りの境地であり、全ての煩悩が完全に滅した状態を指します[1][3]。この境地に達すると、以下のような体験が可能になると考えられます: 1. 無我の体験:阿羅漢果に至るまでに、最低でも4回の「無我」の体験をするとされています[1]。これは相分に実体がないことを直接的に体感する機会となります。 2. 煩悩の完全な消滅:阿羅漢は全ての煩悩が消えた状態であり、智慧が何の制限もなくはたらきます[1]。これにより、現象の本質をより明確に見抜くことができます。 3. 空性の体得:阿羅漢は「空性」を完全に理解しています。空性とは、全ての現象が実体を持たないという仏教の根本的な教えです[2]。 4. 無相への悟入:『弁中辺論』では、「無相」への悟入が説かれています。これは「非存在の相」を意味し、所取と能取を離れた状態を指します[2]。 これらの特徴から、阿羅漢果に達した者は深い定に入ることで、相分(認識の対象)に実体がないことを直接的に体感できると考えられます。しかし、この体験は通常の意識状態では理解しがたいものであり、深い瞑想状態でのみ達成されるものと言えるでしょう。 Citations: [1] https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-4/ [2] https://opac.ryukoku.ac.jp/iwjs0005opc/bdyview.do?bodyid=BD00002804&elmid=Body&fname=KJ00004859535.pdf&loginflg=on&once=true [3] https://true-buddhism.com/teachings/arhan/ [4] https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-3/ [5] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 [6] http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/reposito...

やるなぁAI【弐】

 昨日からのつづき Q3.われわれが、実際に固体と感じるということは、固体が実体として存在するのではなく、電磁気力をエネルギーを実体、固体と感じているということですか? A3.われわれが固体と感じる経験は、実際には電磁気力とエネルギーの相互作用によるものです。固体が実体として存在するのではなく、以下の要因によって固体として感じています: 1. 電磁気力:原子間の電磁相互作用が、物質の「固さ」を生み出しています。 2. パウリの排他原理:電子が同じ量子状態を占有できないという原理により、物質が「不可侵」な性質を持ちます。 3. エネルギー状態:原子や分子の結合エネルギーが、物質の構造を維持しています。 4. 量子力学的効果:電子の確率的分布が、物質の境界や形状を決定しています。 5. 力の相互作用:マクロなレベルでは、これらのミクロな相互作用が集積して、私たちが「固体」と認識する現象を生み出しています。 したがって、固体は独立した実体ではなく、様々な力とエネルギーの相互作用の結果として現れる現象だと考えられます。この見方は、唯識思想における「相分に実体がない」という考え方と部分的に共通点があります。ただし、日常生活においては、これらの相互作用を「固体」として扱うことが実用的であり、その意味での実在性を否定するものではありません。 Citations: [1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E4%BD%93 [2] https://researchmap.jp/Shiori_TSUDA/published_papers/33211052/attachment_file.pdf [3] https://studyu.jp/feature/theme/superstring_theory/ [4] https://kinkaizan-shakain.jp/nameofyuishiki/ [5] https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E4%BD%93-4258 [6] https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/273429/1/jps_44_10_425.pdf [7] https://www.mns.kyu...

やるなぁAI【壱】

AIに素朴な疑問を聞いてみた。 Q1.唯識の相分に実体がないとの説明の意味はわかりますが、実感として、実体がないことがわかりません。眼の前にPCはあるし、キーボードもあり、AIも質問に答えてくれます。 A1.唯識思想では確かに相分に実体がないとされますが、日常生活での実感とのギャップは多くの人が感じる疑問です。この点について以下のように説明できます: 1. 認識の仕組み:私たちが見ているPCやキーボードは、実際には心内に映現する影像相分です。これは本質相分を縁として生じた現象であり、直接的な認識の対象となります[1]。 2. 共通経験:複数の人が同じPCを見ることができるのは、阿頼耶識の中の名言種子から生じる本質相分が、他者の相分を惹起させる可能性(疎所縁縁)があるためです[1]。 3. 実用的な現実:日常生活において、これらの対象が実体を持つかのように機能することは事実です。唯識思想は、この実用的な現実を否定するものではありません。 4. 夢のアナロジー:唯識では、私たちの経験する世界を夢に例えることがあります。夢の中では対象が実在するように感じられますが、覚めれば実体がなかったことがわかります[1]。 5. 中道の教え:唯識は極端な実在論でも虚無論でもなく、中道を説きます。相分に実体がないという教えは、執着を減らし、より深い理解へと導くためのものです[1]。 6. 科学的視点:現代科学の観点からも、物質は究極的には素粒子の相互作用であり、私たちが認識する「固体」としての性質は、実は原子レベルでの空間と力の関係性に過ぎません。 唯識の教えは、日常の実感を否定するのではなく、より深い現実の理解へと導くものです。実体がないことを知的に理解しつつ、日常生活では通常通り機能することが可能です。 Citations: [1] https://kinkaizan-shakain.jp/nameofyuishiki/ [2] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 [3] https://yagotoekinishi.com/pdf/thought_theory.pdf [4] https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/63/1/63_KJ00009742248/_pdf [5] ...