孔子様が説かれた「恕」は、往時は、下心がある漢字はなく、「如」と表記していたようだ。 「己所不欲、勿施於人。己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ。」 「相手の感情に共鳴して湧き上がる感情の動き」、 シンパシー(同感)を超えて、エンパシー(共感)「相手の立場に立って意思や感情を理解し、相手が感じたり考えたりしたことを共に感じる」相手を自分の如く感じる世界なのかなと。 私が「恕」を感じて作用しているという話ではなく、私は「恕」をもって受け入れられていると確かに感じている。 有難う御座います。
よりよく生きるためにやっておくこと